(42)あなたのものになりたい

 

 

~チャンミン~

 

お兄さんはソファにもたれ、僕はお兄さんの胸にもたれていた。

 

手紙を前にして緊張している僕の背中は、すっぽりとお兄さんに囲われており、温かく安心できる。

 

お兄さんのドクドク音が僕の背中に伝わってきた。

 

お兄さんは僕以上に緊張しているのが不思議で、

「お兄さんの胸、ドキドキしています。

...あれ?

お兄さんは読んでいないのですか?」と尋ねた。

 

「他人の手紙は勝手に読んだらいけないものなんだよ。

親しい仲であってもね」

 

「そういうものなんですか...」

 

もともと封が開いていた手紙だ。

 

僕に手渡す前にお兄さんが読んでいてもおかしくないし、お兄さんが大好きな僕だから、むしろ読んでいて欲しいくらいだった。

 

「それじゃあ、一緒に読んでください」

 

「分かった。

泣きたかったら、俺の腕をタオル代わりに使っていいぞ」

 

「ははっ。

泣いちゃうような内容だって、どうして分かるのです?」

 

「う~ん。

親からの手紙って...そういうパターンが多いから」

 

お兄さんの意味深な言葉に反応してしまい、「お兄さんは経験があるのですか?」と尋ねた。

 

店の出来事を断片的に話してくれる程度で、お兄さんは昔話をすすんでしてくれないからだ。

 

「今のは一般論。

よくある話」

 

振り向いた僕の頭を両手で挟むと、ぐいっと正面に向けた。

 

「ほら、手紙を開いて」

 

今、僕が手にしている茶色の封筒は飽きるほど目にしたものだ。

 

便箋は開いては折ってを繰り返したせいで、折り目が今にも破れそうだった。

 

 

前の店に居た時、僕の元に届いた手紙だ。

 

「お前の家族からだぞ」と店のマネージャーからこれを手渡された時、僕はとっさに喜べなかった。

 

僕にはもう家族はいないと思っていたからだ。

 

『犬』に慣れ、指名客も増えだして、「ひょっとしてこの世界に向いているのでは?」とまで思えるようになっていた頃だった。

 

数年かけて掴んだペースを家族からの手紙の登場によって、乱して欲しくなかったんだ。

 

貰っては困る理由がもうひとつあった。

 

だからといって、捨てられるほどの度胸は無かった僕は、枕カバーの中に仕舞っておいた。

 

手紙の扱いをどうしたらよいか、客に抱かれる間も考えていた。

 

10日程経ったある日、同室の『犬』たちが出払っている間を狙って、封を開けてみた。

 

封筒の端っこをぴりぴりと丁寧に破って、三つ折りの便箋をゆっくり取り出した。

 

生まれて初めて手紙というものを貰った。

 

「......」

 

白い紙に連なる小さな黒い点々。

 

「ラブレターか?」

 

「!!」

 

部屋に戻ってきた『犬』仲間が背後から僕の手元を覗き込んでいた。

 

「まあな」と、僕は余裕ぶり、手紙を懐に隠した。

 

「なんて書いてある?

早くあなたに会いたいわ~、ってか?

それとも、借金とりか?」

 

「邪魔だよ。

ひとりにしてくれ」

 

しつこい彼をやっとのことで部屋から追い出した

 

Tシャツの下に隠したせいで、便箋に皺がついてしまった。

 

「......」

 

恥ずかしいことに、僕は文字が分からなかった。

 

手紙を貰っても困るのだ。

 

便箋を掲げ、蛍光灯に透かしてみた。

 

便箋は1枚、黒のボールペン。

 

この手紙にはとてもいいことが書いてある。

 

分かったんだ。

 

「ありがとう」と僕に感謝してくれる手紙だ。

 

自分の名前くらいは分かるから、文章のところどころに『チャンミン』とある。

 

前の買い主から返却されてしまった僕は、この手紙を持ってお兄さんと出会ったあの店に払い下げられた。

 

大事なものなのにどうして、あの店に手紙を置き去りにしたのか?

 

心を空っぽにしてゆくと、自然と指名が増えていった。

 

手紙の存在も忘れていった。

 

何を言われてもへらへらと笑い、自分の身体を道具として扱った。

 

お兄さんに助け出された日、手紙のことは全く頭になかった。

 

え...。

 

今、『助け出された』って言った?

 

 

便箋を持つ指が震えていた。

 

「...チャンミン?

辛いか?」

 

「いいえ、全然」

 

「頑張れ」

 

「はい」

 

何年も前、ひとつも分からなかった言葉が目に飛び込んでくる。

 

「えーっと。

『元気でやっていますか?

私たちが助かったのは、チャンミンのおかげです。

ありがとう』

 

僕は読み上げた。

 

「『チャンミンに辛い思いをさせてごめんなさい。

チャンミンのおかげで暮らしてゆけます。

もう少し頑張ってください』

 

...って書いてありました」

 

手紙の内容はあっけないほど、短かった。

 

「...そうか」

 

「『僕を捨てた家族へ』」

 

「...チャンミン?」

 

「手紙の返事を今からします。

『僕は辛くないですよ。

家族のために、僕がギセイにならないといけなかったんだから、しょうがないでしょう?

僕は小さ過ぎて覚えていません。

僕は小さかったから、幸せと不幸の区別がついていませんでしたから。

辛いとか寂しいとか...分かりませんでしたから』」

 

お兄さんの両手が伸びて、僕の手を包み込んだ。

 

僕はお兄さんと言う繭に守られている。

 

「『嘘です。

ぼ、僕はっ。

やっぱり...苦しかった。

悲しかった。

...僕を売るってどういうことだよ!

僕をギセイにしないといけない程のことって、何をしたんだよ!

他に方法は無かったのかよ!』」

 

僕の手の中で、手紙がくしゃりと音をたてた。

 

「『もう、いいです。

もう、怒っていません。

『犬』が当たり前の生活になっていましたから。

家族がいないのが当たり前になっていましたから。

...手紙を貰えて嬉しかったです。

気持ちにケリがつきました』」

 

「......」

 

握ったこぶしを解くと、丸まった紙屑がぽろりと床に落ちた。

 

「チャンミン...!」

 

僕はお兄さんの腕の中でくるりと回転し、彼の首にしがみついた。

 

「お兄さんっ...。

僕...っ...寂しかった。

苦しかったよー」

 

僕の背にお兄さんの逞しい腕がまわった。

 

「大変だったな。

うん、辛かったな」

 

「『犬』に戻りたくないよー。

『犬』は嫌だよー」

 

「二度と戻らないよ。

あの店はもう無くなった。

俺が消したから

俺が許さないから、安心しろ...な?」

 

「絶対?

お兄さんちにずっと居ていいの?」

 

「もちろんさ。

死ぬ気でチャンミンを守るからな。

『そばにずっといてくれ』と俺の方から頼みたい」

 

「ホントに?」

 

「ああ。

死ぬまでお前を手放すつもりはないよ」

 

「...っく、っく...。

お兄さ~ん」

 

おいおいと泣く僕の頭を、よしよしと撫ぜていた。

 

 

僕は初めて、自分は可哀想だったと認めた。

 

僕の心はタフだから、どんな過去であれへっちゃらなつもりでいた。

 

お兄さんは、僕よりずっと繊細な心の持ち主だ。

 

お兄さんこそ傷つき苦しんできただろうから、僕が明るくしっかりしていないと、と心にきめたんだ。

 

お兄さんを笑顔にしてあげたくて、昔のことを無理やり封印して強がっていたのではなく、『自分は強い』と、ホントウに思いこんでいた。

 

ところが、家族からのザンゲの手紙を読んで、僕の中の何かが崩れた。

 

僕は可哀想だったんだ。

 

自分で自分を可哀想と思わないように、意識の外に放り出していた。

 

認めてしまったら最後、『犬』として生きてゆくことが辛くなるからだ。

 

だから同情されたくなかったんだ。

 

僕は全然平気なのに、同情されても困ると思っていた。

 

でも...僕は可哀想だった。

 

辛かったし、寂しかった。

 

お兄さんは可哀想だった僕を見つけてくれた。

 

お兄さんに助け出してもらえてよかった。

 

 

「『今の僕は幸せです。

新しい家族ができました』」

 

僕の口からするっと、凄い言葉が出てきた。

 

「『僕はユノという凄い人と一緒に住んでいます。

ユノ、といいます。

僕の新しい家族は...僕の家族は、ユノさんです。

家族がいるので心配しなくても大丈夫です。

それでは、お元気で』」

 

 

(つづく)

 

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