~ユノ~
「ごめんなさい!」
俺の首にしがみついて泣いていたチャンミンが、突如大きな声をあげた。
まわしていた腕を解き、涙目で俺を見上げて謝るのだ。
「勝手に『家族』だなんて言ってしまって...ごめんなさい。
お兄さんとは一緒に暮らしているから、家族みたいだなぁと思っちゃったんです。
家族がどんなものなのか、分からない僕なのにね、えへへへ」
チャンミンの額に落ちた前髪をかきあげて、俺は言った。
「そうだね。
俺とチャンミンは『家族』だよ」
「よかった。
僕と同じことを考えてくれたんですね」
チャンミンには、友人と恋人、家族の区別がついていない。
以前の俺だったら、チャンミンの言う『好き』の意味を問うなどして、その違いを深く追求していただろう。
その必要はないのだ。
チャンミンが言う『大好き』には、この3つの要素が全部こめられている。
「お兄さん...泣いてますね」
「バレた?
チャンミンの言葉が嬉しくて、感動していたんだ」
チャンミンの言葉に、俺はもらい泣きをしていた。
愛の告白の連投だった。
俺の人生において、熱く重い言葉を捧げたい人物と出逢う機会など無いと思っていた。
チャンミンの言葉は、まるでプロポーズだった。
身体同士は快感のあまり溶け合ってしまいそうな程、繋がり合っていた俺たちは、手紙をきっかけに、心の繋がりを深めたのだった。
「...家族かぁ...」
しみじみとつぶやいた。
「お兄さん。
手紙...見つけてくれてありがとうございます」
「俺は何もしていないよ。
店を壊した時に、たまたま出てきただけさ」
俺は床に転がっていた手紙の残骸を拾い、広げて皺を伸ばした。
「これ...どうする?」
3つ折りにした便箋を封筒に戻し、チャンミンに差し出した。
「いらないです」
「...え?」
「ケリがついたんです」
「そっか」
「じゃあ、俺が貰っておくね」
「?」
「だって要らないんだろ?
場所を取るものじゃあるまい、邪魔にはならないさ。
あそこに...」
俺は封筒をリビングのキャビネットの引き出しに仕舞った。
「読みたくなった時には、ここに入れておくからね」
今のチャンミンは気分が昂っている。
一時の感情に任せて、チャンミンと家族を繋ぐものを捨てるようなことはさせたくない。
・
チャンミンは「けりがついた」と言っただけで、「家族に会いたい」とは言わなかった。
俺は未だ、チャンミンの家族が今どうしているか把握していなかった。
調査を担当していたアシスタントへの嫌がらせを理由に、調査を中断させている。
財力に任せれば、探し出すことは容易だ。
だが、この先は知らないでいる方が幸せなのかもしれないと考えている。
あの手紙以降のものが届いていないことから、俺は2つの可能性を思いついていた。
1つは、彼らはもうチャンミンのことを忘れてしまった、もしくは忘れたがっていることだ。
その訳は、チャンミンを捨てた罪悪感からだ...気持ちは分からないでもないが、俺は理解するつもりはない。
2つは、この世に存在しないことだ。
チャンミンの過去は知りたいが、家族の現在を知らせるのは踏み込み過ぎだと思った。
チャンミンから頼まれた時に初めて、家族の現在を追えばいい。
「お兄さんには...家族、いた?」
過去形な言い方に笑ってしまった。
「そりゃあ、いたさ」
「ですよねぇ」
続いて家族のことを尋ねてくるかと身構えたが、チャンミンに唇を塞がれ、その話題は終わりになってしまった。
チャンミンの手をひいて寝室へといざなって、互いの衣服を脱がせ合った。
この夜の俺たちは、烈しさとは真逆の、優しく丁寧に、身体のすみずみまで抱き合い愛し合った。
・
「お兄さんのことを教えてください」
暖房のよくきいた寝室のキングサイズのベッドで、俺たちはけだるい身体に下着だけをつけていた。
カーテンをつけていない窓から、夜景が見える。
「いいよ。
何が知りたい?」
チャンミンの質問に、チャンミンの方に横向きに寝返りをうった。
「買い主の人のところで、どんな暮らしだったか...とか。
どうして『犬』になったのか...とか。
いっぱいあります」
「そうだなぁ。
順番に教えてあげるよ」
「言いにくくないですか?」
「言いにくいさ。
でも、俺たちの間にタブーの話題がある感じが、俺は嫌なんだ。
俺が多分、好きな奴に関しては欲張りになるんだろうなぁ。
全部知りたい、全部自分のものにしたい...子供っぽいだろ?」
「いいえ。
僕こそ、お兄さんの全部を知りたいし、お兄さんの全部を僕のものにしたいです。
似た者どうしだから、ぴったりですね。
あ...水飲みますか?」
チャンミンは反動をつけて起き上がると、サイドテーブル下の冷蔵庫を開け、冷たいミネラルウォーターを取った。
「手始めに、買い主に買われた理由と、自由になった経緯を教えてあげるよ。
『犬』になった理由についてはヘヴィな話だから、後にしていいかな?」
「はい。
お兄さん、ここ」
チャンミンは毛布を持ち上げて、マットレスを叩いた。
「今夜は僕が『お兄さん』です」
「どうして?」
チャンミンの言いなりになった俺は、彼に腕枕をしてもらった。
「面白くない昔話でしょう?
お兄さん...きっと泣いちゃうでしょうから、いつでも慰めてあげられるように用意をしているんですよ」
背伸びをしている感じが可愛らしくて、胸の中に引きこんで抱きしめたかったけれど、そうはせず、チャンミンの二の腕に頭をもたせかけた。
「俺も買い主の所有物になった。
窮屈だったし、人間としての尊厳みたいなものを損なわれたと思った。
でもな...悪くなかったよ」
「...そうなんですか?」
「ああ。
大事にしてもらえた。
俺の買い主は、全てにおいて所有することができなくなって、俺を手放した。
人であれ物であれ、永遠に所有し続けることはできない。
いつかは離れていったり、消えてしまう」
「お兄さんの話は...難しいですね」
チャンミンは鼻にしわをよせた。
「ごめん。
この説明の仕方は遠回しで、曖昧だったね。
そうだなぁ...俺は期間限定の『犬』だったんだ」
「...期間限定」
「ある一定期間、買い主と生活を共にすれば、約束の期日になれば自由にしてもらえた。
『期間限定』と言ったのはね...余命ある人だったんだ。
孤独な人だったんだ」
(つづく)
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