(43)あなたのものになりたい

 

 

~ユノ~

 

 

「ごめんなさい!」

 

俺の首にしがみついて泣いていたチャンミンが、突如大きな声をあげた。

 

まわしていた腕を解き、涙目で俺を見上げて謝るのだ。

 

「勝手に『家族』だなんて言ってしまって...ごめんなさい。

お兄さんとは一緒に暮らしているから、家族みたいだなぁと思っちゃったんです。

家族がどんなものなのか、分からない僕なのにね、えへへへ」

 

チャンミンの額に落ちた前髪をかきあげて、俺は言った。

 

「そうだね。

俺とチャンミンは『家族』だよ」

 

「よかった。

僕と同じことを考えてくれたんですね」

 

チャンミンには、友人と恋人、家族の区別がついていない。

 

以前の俺だったら、チャンミンの言う『好き』の意味を問うなどして、その違いを深く追求していただろう。

 

その必要はないのだ。

 

チャンミンが言う『大好き』には、この3つの要素が全部こめられている。

 

「お兄さん...泣いてますね」

 

「バレた?

チャンミンの言葉が嬉しくて、感動していたんだ」

 

チャンミンの言葉に、俺はもらい泣きをしていた。

 

愛の告白の連投だった。

 

俺の人生において、熱く重い言葉を捧げたい人物と出逢う機会など無いと思っていた。

 

チャンミンの言葉は、まるでプロポーズだった。

 

身体同士は快感のあまり溶け合ってしまいそうな程、繋がり合っていた俺たちは、手紙をきっかけに、心の繋がりを深めたのだった。

 

「...家族かぁ...」

 

しみじみとつぶやいた。

 

「お兄さん。

手紙...見つけてくれてありがとうございます」

 

「俺は何もしていないよ。

店を壊した時に、たまたま出てきただけさ」

 

俺は床に転がっていた手紙の残骸を拾い、広げて皺を伸ばした。

 

「これ...どうする?」

 

3つ折りにした便箋を封筒に戻し、チャンミンに差し出した。

 

「いらないです」

 

「...え?」

 

「ケリがついたんです」

 

「そっか」

 

「じゃあ、俺が貰っておくね」

 

「?」

 

「だって要らないんだろ?

場所を取るものじゃあるまい、邪魔にはならないさ。

あそこに...」

 

俺は封筒をリビングのキャビネットの引き出しに仕舞った。

 

「読みたくなった時には、ここに入れておくからね」

 

今のチャンミンは気分が昂っている。

 

一時の感情に任せて、チャンミンと家族を繋ぐものを捨てるようなことはさせたくない。

 

 

チャンミンは「けりがついた」と言っただけで、「家族に会いたい」とは言わなかった。

 

俺は未だ、チャンミンの家族が今どうしているか把握していなかった。

 

調査を担当していたアシスタントへの嫌がらせを理由に、調査を中断させている。

 

財力に任せれば、探し出すことは容易だ。

 

だが、この先は知らないでいる方が幸せなのかもしれないと考えている。

 

あの手紙以降のものが届いていないことから、俺は2つの可能性を思いついていた。

 

1つは、彼らはもうチャンミンのことを忘れてしまった、もしくは忘れたがっていることだ。

 

その訳は、チャンミンを捨てた罪悪感からだ...気持ちは分からないでもないが、俺は理解するつもりはない。

 

2つは、この世に存在しないことだ。

 

チャンミンの過去は知りたいが、家族の現在を知らせるのは踏み込み過ぎだと思った。

 

チャンミンから頼まれた時に初めて、家族の現在を追えばいい。

 

「お兄さんには...家族、いた?」

 

過去形な言い方に笑ってしまった。

 

「そりゃあ、いたさ」

 

「ですよねぇ」

 

続いて家族のことを尋ねてくるかと身構えたが、チャンミンに唇を塞がれ、その話題は終わりになってしまった。

 

チャンミンの手をひいて寝室へといざなって、互いの衣服を脱がせ合った。

 

この夜の俺たちは、烈しさとは真逆の、優しく丁寧に、身体のすみずみまで抱き合い愛し合った。

 

 

「お兄さんのことを教えてください」

 

暖房のよくきいた寝室のキングサイズのベッドで、俺たちはけだるい身体に下着だけをつけていた。

 

カーテンをつけていない窓から、夜景が見える。

 

「いいよ。

何が知りたい?」

 

チャンミンの質問に、チャンミンの方に横向きに寝返りをうった。

 

「買い主の人のところで、どんな暮らしだったか...とか。

どうして『犬』になったのか...とか。

いっぱいあります」

 

「そうだなぁ。

順番に教えてあげるよ」

 

「言いにくくないですか?」

 

「言いにくいさ。

でも、俺たちの間にタブーの話題がある感じが、俺は嫌なんだ。

俺が多分、好きな奴に関しては欲張りになるんだろうなぁ。

全部知りたい、全部自分のものにしたい...子供っぽいだろ?」

 

「いいえ。

僕こそ、お兄さんの全部を知りたいし、お兄さんの全部を僕のものにしたいです。

似た者どうしだから、ぴったりですね。

あ...水飲みますか?」

 

チャンミンは反動をつけて起き上がると、サイドテーブル下の冷蔵庫を開け、冷たいミネラルウォーターを取った。

 

「手始めに、買い主に買われた理由と、自由になった経緯を教えてあげるよ。

『犬』になった理由についてはヘヴィな話だから、後にしていいかな?」

 

「はい。

お兄さん、ここ」

 

チャンミンは毛布を持ち上げて、マットレスを叩いた。

 

「今夜は僕が『お兄さん』です」

 

「どうして?」

 

チャンミンの言いなりになった俺は、彼に腕枕をしてもらった。

 

「面白くない昔話でしょう?

お兄さん...きっと泣いちゃうでしょうから、いつでも慰めてあげられるように用意をしているんですよ」

 

背伸びをしている感じが可愛らしくて、胸の中に引きこんで抱きしめたかったけれど、そうはせず、チャンミンの二の腕に頭をもたせかけた。

 

「俺も買い主の所有物になった。

窮屈だったし、人間としての尊厳みたいなものを損なわれたと思った。

でもな...悪くなかったよ」

 

「...そうなんですか?」

 

「ああ。

大事にしてもらえた。

俺の買い主は、全てにおいて所有することができなくなって、俺を手放した。

人であれ物であれ、永遠に所有し続けることはできない。

いつかは離れていったり、消えてしまう」

 

「お兄さんの話は...難しいですね」

 

チャンミンは鼻にしわをよせた。

 

「ごめん。

この説明の仕方は遠回しで、曖昧だったね。

そうだなぁ...俺は期間限定の『犬』だったんだ」

 

「...期間限定」

 

「ある一定期間、買い主と生活を共にすれば、約束の期日になれば自由にしてもらえた。

『期間限定』と言ったのはね...余命ある人だったんだ。

孤独な人だったんだ」

 

 

(つづく)

 

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