ユノの恋心は複雑なルートを経てチャンミンに向かっている。
チャンミンの読み通り、ユノはノンケである。
よくあるパターンだと、『好きになったやつがたまたま男だった』とあるが、単純にそうくくることができない。
愛憎ほとばしる修羅場を目撃してしまった若き青年。
チャンミンの顔に真っ先にひかれた。
「結局は顔なのか?」と思われそうだが、そもそもひとめぼれとはルックスありきのものである。
裏切り、自分の元を去ってゆく恋人への涙の抗議。
その涙の主は大人の男。
ぼんやりと周りに流されるように生きてきたユノは、大人でも号泣するほどの恋ができる事実に歓喜したのだ。
「この人と恋愛ができるのか!
彼を守ってやりたい!
彼の笑顔を見たい!
泣かせたくない!」
乱暴な浮気男と別れて正解、自分の方が絶対にいい恋人になってあげられる...。
出会って早々に一方的に、ユノはそう決意したのだ。
こういった思考回路の末、恋した相手が男であることに抵抗を覚えることなく、チャンミンを追うことが可能になったのだ。
・
さて、実地教習1日目の二人の様子を覗いてみよう。
学科教習を2時限分(この日は違う指導員だった)受講したユノは、階段を駆け下り、校舎を飛び出した。
(待ちに待った実地教習!
せんせと二人きり!)
その姿はさながら、休み時間にグラウンドに飛び出す小学生のようだった。
胸の奥からぞくぞくと沸き起こる喜びと緊張が強すぎて、はやる気持ちはとても抑えられそうにない。
Qは自分を置いていったユノにムッとしながら、自身の担当指導員(30代女性)の方へ向かった。
腕を組み仁王立ちした指導員の姿に、Qは「気が強そう...きっと、厳しいんだろうなぁ...」と気が重くなった。
向こうから聞こえる「よろしくお願いします」と元気いっぱいな声は、ユノだった。
テンション高めのユノに、指導員は困った表情をしている。
Qは「いいなぁ...。イケメン先生が担当なのかぁ」と、ユノを羨ましく思う。
そして、「男の先生なら安心。だってユノはカッコいいから」と安心もしていた。
その男の先生にユノが夢中になっていることを、Qは知らない。
・
今どきの男子大学生や男子高校生の行動は、終始だらだらとしているものだと、チャンミンは決めつけていた。
ところが、背筋を伸ばし深々と頭を下げたユノに、チャンミンは困ってしまった。
「えーっと、ユノさん」
「はい、せんせ」
対面して立つ二人、よろめいたら胸で抱きとめられそうなその距離1メートル。
(ちか、ち、ちかっ!)
チャンミンは1歩後ろに下がり、間近に迫るユノの顔面から逃げるしかなかった。
ここでユノをフォローしておくと、彼はチャンミンを困らせるつもりは全くない。
高すぎる恋のボルテージのせいで、適切な距離感が失われてしまっただけだ。
まじまじと、二人は互いを観察し合っていた。
ユノだけが一方的にチャンミンを追っていたわけではない証拠がここにある。
チャンミンの方こそ、初対面の瞬間、平均値をはるかに超えるユノのルックスに目がとまった。
キラッキラにかがやく眼、全身から放たれる好意の波に圧倒された。
初対面であからさまに好意をぶつけられるのは、初めての経験といってよかった。
なぜなら、恋愛対象が同性であるチャンミンは、周囲から気持ち悪がられることの方が多かったからだ。
(ユノ...綺麗な肌だなぁ。
若いって素晴らしい)
と、密かに感動するチャンミン。
(目が充血してますね。
昨夜も泣いていたのですか?)
と、チャンミンを心配するユノ。
「荷物は後部座席に置いてください。
教習簿を渡してください。
運転席に座って下さい...はい、そうです」
チャンミンの指示に素直に従うユノは、細身のボトムスを穿いていた。
チャンミンの視線は、自然とユノの下半身に吸い寄せられていた。
(いいお尻...)
「シートの位置を直して...。
膝が軽く曲がるくらいまで、下げてください。
レバーはそこです...いいえ、そこじゃなくて」
ユノはシートの横を探っているが、チャンミンの言うレバーの場所が分からない。
「せんせ、分かりません」
ボケているのではなく、ユノは本気でテンパっていた。
「どこ?
無いです!」
運転席のドアを開けシートの下を覗き込むユノに、チャンミンはしびれを切らせた。
「ここですよ」
チャンミンはユノの上に身を乗り出して、ユノがもたついている辺りを指さした。
その際に、どうしてもユノの股間に目をやってしまう。
(大きい...)
レバーが見つからなくて本気で焦っているユノは、チャンミンのエロい視線に全く気付いていない。
(チャンミンの元恋人が男だと知ってはいても、チャンミンの視線に性的な感情が含まれる場合があるとまでは、ユノは考えが追い付いていない)
「すみません!
どこ、どこですか!?」
「ユノさん、落ち着いて」
ユノの手に、金属製のものが触れた。
「せんせー!
ありました!」
ただ、それはチャンミンが指示をしていたレバーとは違った。
「そっちじゃなくて...あああっ!!」
がっこん!!
という音と共に、勢いよく背もたれが後ろに倒れた。
「!!」
「!!!」
同時に、ユノの上に身を乗り出していたチャンミンも、バランスを崩してしまった。
ユノの太ももの上に身を伏せてしまったチャンミン。
「......」
「......」
ぎりぎり股間に顔を埋めることからは、逃れられた...が...。
(『男同士とは言え、セクハラで訴えられる!)
チャンミンの背中にたらり、と冷や汗が流れた。
その汗がボクサーパンツを濡らした感触まで分かるほどの、大量の冷や汗だ。
「...チャンミンせんせ?」
硬直してしまったチャンミンを不審に思うどころか、具合が悪くなってしまったのかと心配するユノのなんと無防備なことよ。
チャンミンは、わずかであれ欲情を持ってしまった自分が情けないやら恥ずかしいやら。
「せんせ、顔、真っ赤っすよ」
「し、下を向いていたからです!
はい!
シートを前に出すのは、こっちのレバーです」
チャンミンはユノの太ももから身を起こすと、前髪を撫でつけた。
チャンミンが半身を起こした際、ふわっと香った体臭をユノはこっそり、すんすん嗅いだ。
(俺って変態...ぐふっ)
「ユノさん?
聞いてますか?」
「すみませーん!」
と、車がコースに走り出すまでに、二人は一汗かいたのである。
・
「ふうぅ...」
その日の夕刻、チャンミンは自宅へ向かう車内でため息をついた。
(ユノ...彼の教習はドタバタだった。
でも...楽しかったなぁ)
「...っと」
ブレーキペダルをきつく踏んだせいで、助手席の荷物のいくつかがシートから滑り落ちてしまった。
チャンミンがそれらに気をとられたちょうどその時、チャンミンの車の真ん前を通り過ぎる者がいた。
横断歩道を渡る自転車。
惜しい!
ユノの自転車だった。
チャンミンは気づかない。
チャンミンが車通勤していることも、彼の車も知らないユノは、当然気付かない。
ユノは日課となりつつある、チャンミンのマンションに立ち寄った帰りだったのだ。
(つづく)
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