例のコンビニエンスストアでかれこれ30分。
(遅いな...)
店内の掛け時計を見上げると、あと15分で日付が変わろうとしていた。
23時15分に店に到着したユノは、既にチャンミンが待っているかと期待していた。
(自動車学校を出てからの数時間、ユノは一度家に帰り、仮眠をとってエナジーチャージしたのち、ここに馳せ参じたのだ)
(遠回しの俺の誘い。
せんせに伝わったと思ったのになぁ...)
ファッションに気を遣う系男子であるユノなのに、この夏の注目アイテム紹介など「それどころじゃないんだよ!」...状態だった。
雑誌を立ち読みしているフリも、そろそろ限界だった。
幸いなことに、ヤル気のない深夜バイトは、買う気のない雑誌を幾冊も立ち読みするユノを放置していた(下手にヤル気を出して注意した結果、ボコられたりしたら困る)
(このまま待つのはシンドイ。
待ちきれない)
チャンミンに会えるかもしれないワクワク感、もしかして来てくれないのではと恐れる不安感...これらを維持し続けることがしんどくなってきたのだ。
(せんせに会いに行こう!)
ユノは決意した。
長居したお詫びに雑誌ラックから1冊、書籍棚から1冊、迷った末成人雑誌を1冊手に取った。
それらと、ジュースとお茶、おにぎりとサンドイッチ、さらにフランクフルトとアメリカンドッグも合わせて会計した。
(夜食を買いにくる、って言ってたから、これくらいあれば足りるかな)
会計を済ませると、店前に停めていた自転車のハンドルに買い物袋を引っかけた。
食糧で詰まった袋は重く、ハンドルのバランスがとりづらいため、マンションまで自転車をひいていくことにした。
これからのことを想像してにやけてしまっても、恥ずかしがる必要はない。
この通りは繁華街からも幹線道路からも遠く、通行人はユノだけだった。
ユノの首筋を撫ぜる生温い風は、天候が崩れる兆しだ。
ユノはこんこんと、もの思いにふけっていた。
(せんせんちでこれを一緒に食べられたらいいなぁ。
せんせは俺のこと、部屋にあげてくれるかなぁ。
先走り過ぎ?
期待していいと思う。
せんせは俺に無関心ではないはずだ。
『その根拠は?』と問われたら、うまく説明はできないけどさ)
この道は何度も通った。
見上げるだけだったあの建物に入ることを許される自分!
チャンミンの住まいを知っている件については、適当に言い訳すればいい、とユノは高をくくっていた。
例えば『ちょうどコンビニに行く途中だったんすよ。へ~、せんせんちってここなんすか』という具合に。
ユノは今コンビニからマンションへ向かっているため、「コンビニに向かう途中」の説明はおかしいことに、彼は気づいていない。
その辺りのつじつま合わせも、ユノなら笑って誤魔化せそうであるし、チャンミンの方も騙されてくれそうだが...どうなるだろうか。
(いいさ、せんせが俺のことを可愛い教習生程度でしか見ていなかったとしても、これから猛プッシュをかければいいことさ。
『好き』の気持ちと、『せんせを大事にする』の意志をたっぷり見せれば、せんせは振り向いてくれる。
その気がなくても、拒絶まではしないと思う。
せんせは男が好きだ。
男の俺がせんせのことを好きだと言っているんだから。
男が男を好きになるってのは、レアケースなんだし。
せんせは喜んでくれるはずだ)
...このユノの考え方については、後日まるちゃんから苦言を呈される。
・
マンションに帰宅したチャンミンが真っ先にしたことは、シャワーを浴びることだった。
この後、ユノと会う予定(それは、暗黙の約束だ)
生温い空気で、夜になってもじとりと汗ばんでいたから余計にだ。
汗を洗い流してさっぱりし、髪を乾かしながら何を着ようか考えていた。
(前みたいにTシャツ、ハーフパンツ、サンダルの方が普通っぽくていいかな。
夜食を買いに来ただけよって感じが出るから。
でも、その恰好じゃラフすぎるな)
歯磨きも済ませると、チャンミンはクローゼットの戸を開け放った。
ユノと落ち合った時のシーンを思い浮かべてみる。
(外出用のTシャツに、ハーフパンツだったらもっとパリッとした物がいい。
このパンツに合わせるなら、あの革のサンダルがいいな。
それじゃあ、深夜のコンビニファッションにしては、カチッとし過ぎてる。
う~ん、このチノパンならスニーカーを合わせられるし。
いや、デニムパンツの方がラフっぽいかな。
足元はビーチサンダル?
こんな気持ち...久しぶりだ)
前の恋では、半同棲状態になっていたこともあり、2人とも部屋着でだらだらと、ケジメがなく、小綺麗な恰好で外出から遠ざかっていた。
(前の恋など忘れろ!)
迷った挙句、Tシャツ(まだ新しい)とハーフパンツ、サンダルに決定した。
(ふうぅ...コンビニごときで疲れちゃった...)
コンビニエンスストアへ向かうまで、まだ1時間ある。
ソファに横になり、目を閉じた。
(ユノには悪いことをした。
『教えられない』と拒んでしまった。
今の関係じゃ、それは出来ないことを遠回しに伝えたつもりだけど...分かりにくかったかも。
今夜、誤解を解いてあげよう)
『早く、楽にしてあげろよ』
チャンミンはKの言葉を思い出した。
・
ユノに立て替えてもらったコンビニエンスストアでの会計も、まだ返していない。
高速実習の日、ユノと個別に話をする機会が訪れなかった。
ユノは女子教習生(Qのこと)に対するチャンミンの声が優しかったことに嫉妬して、チャンミンに声をかけなかった。
そして、チャンミンもユノが機嫌を損ねていることを察していて、声をかけづらかった(自身の言動がユノの機嫌を損ねてしまったと思うあたりが、チャンミンの自惚れである)
ユノへの指導の仕方が、やや冷淡気味であることを、チャンミンはちゃんと自覚していたのである。
(唯一、優しく熱心に接しられたのは、手と手を重ね太ももに触れたクラッチタイミング練習の時だったなぁ。
あれからのユノは上手くなってしまって。
まだまだ下手で危なっかしくて補修教習は必須だけど、断然マシになった。
上手く出来た時は沢山褒めているつもりだけど、それ以外では素っ気なかったかもしれない)
『教習生によって指導の仕方に差をつけないこと」
ずっと心がけてきたマイルールが、ユノを前に崩れてしまった。
チャンミンは女子教習生だからと、基本的に態度は変えないし、ドギマギと緊張もしない。
高速実習の日、『女子だから優しいんだ』とユノは嫉妬していたが、あれがチャンミンの通常モード。
つまり、チャンミンはユノのことを最初から意識していたせいで、ツンデレな態度をとっていた...それだけの話だ。
後日の教習時、ユノは何事もなかったようにケロリとしており、チャンミンは胸をなでおろした。
そしてその後、連絡先を教えて欲しいと、ユノから素敵なお願い事をされた。
驚くと同時にユノの積極性に感謝していた。
自分からは絶対に、口に出来ない台詞だった。
いざ、具体的な積極性を見せられると、その反応に困惑した。
(教習車の中じゃなければ...。
ユノが教習生じゃなければ...。
ユノが卒業したら...)
チャンミンはここで初めて、ユノが卒業した後...つまり、自動車学校に通う必要がなった以降のことに考えが及んだ。
『捕まえてもいないうちから、離れてしまう心配をするなって』
Kの言葉を思い出した。
チャンミンはガバッと起き上がった。
(そうだよ!
今のうちに捕まえておかないと、ユノと会えなくなる。
これからも会える口実を作っておかないと!)
「?」
チャンミンは何かを感じた。
「!!」
裸足のままベランダに出た。
まさかと思いながら、手すりの下を覗き込んだ。
「ユノ!?」
思わず声が出ていた。
「どうして?」
ポケットに突っ込んでいたスマホを見て、飛び上がった。
「しまった!」
考え事をしているうちに、待ち合わせ時間をとうに過ぎていることに。
(つづく)
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