ユノの「同棲してるみたいですね」発言に、チャンミンはドキドキ、口にしたユノもドキドキ。
ドアが開きエレベータから吐き出された2人ともが、鼓動の早い胸をそっとさすった。
「あ~、マジで緊張した」と。
チャンミンは、自宅に誰かを招くことなど慣れている風に「僕の部屋は端っこだよ」と、余裕ある態度でユノを先導していった。
(コンビニの時もそうだったが、チャンミンはユノに対して、年上ぶってカッコつけるところがある)
実際は前の恋人を除くと、Kも含めて誰一人自宅に招いたことはなかった。
(チャンミンは友人といるよりも、恋人といる時の方がリラックスできるタイプだ)
つまり、ユノが初めて。
チャンミンのだぶだぶのTシャツとハーフパンツの中で、彼の細身の身体が泳いでいる。
(せんせのゴツゴツした身体...俺より背が高い...のどこに、魅力を感じたのだろう。
顔?
うむ...顔から入門した点は否定できない。
あとは~、情熱的なところ?
せんせの身体とか、そんなに意識したことないけど、クラッチタイミング教習の時は、手を握ってもらえてドキドキしたし、顔が近づいた時はキスされるかとドキドキしたし。
女の子の時と同じくらい、胸がキュンキュンした...。
せんせは男なのに、俺はせんせにキュンキュンしてる!)
などなど、ユノがひとり赤くなっているうちに、突き当りのドアまで到着していた。
「ここです」と、チャンミンはポケットから鍵を取り出した。
(わぉ!
キーホルダーがバンビのマスコット。
すげぇ、可愛いんだけど。
自分で買ったのかな(正解)
だとしたら、超萌えるんすけど!?)
ユノはチャンミンに恋するあまり、チャンミンに関する新情報を取りこぼさないよう、五感をはたらかせている。
チャンミンが外開きのドアを開けると、室内の空気が廊下へとざっと動いた。
(せんせんちの匂い...!)
ユノは肺一杯に、この場の空気を吸い込んだ。
チャンミンの教習車の匂いも、教習を重ねるうちに鼻が慣れてしまったが、チャンミンの衣食住の匂いが充満する自宅に招かれて、ユノは興奮した。
(俺...せんせの匂いに萌えてる。
俺...変態かもしれない。
ヤバいよ~、重症だよ)
バタン...。
ユノの後ろでドアが閉まった。
チャンミンは「散らかってるけど...どうぞ」と、言いかけた。
「やっぱり、そこで1分待ってて下さい!」と、靴を脱ごうとしたユノを押しとどめた。
「え?
いいすよ」
今夜ユノを部屋に招き入れる流れになるとは、想定外の展開だ。
ユノに見られてはマズいものはないか、チャンミンは1LDKの室内をチェックして回った。
「キッチンよし!」
指さし確認していく様子は、自動車のボンネットを開け、エンジンオイルやエンジンベルトを指さし点検する教習のようだった。
「こいつらは片付けて...と」
ひとりファッションショーをしたままで、ベッドの上に散らかった衣服はクローゼットの中に放り込んだ。
「いろいろと落ちているからな」と、洗面所の床にコロコロをかけた。
「洗面所よし」
電気のスイッチを切った直後、スイッチを入れた。
(じゃねーよ!)
広げたタオルの上で乾燥中だった大人の玩具を、流し台の下に隠した。
(あっぶね~)
快楽にとことん弱いチャンミンを、抱いてくれる者も身体だけの付き合いの者もいない現在、自身ので後ろを慰めるしかない。
ユノには絶対に、見られたくないアイテムだ。
最後にトイレのチェックを終え、玄関に待たせていたユノを出迎えに行った。
「お邪魔します...」
ユノは、まるちゃん宅では乱暴に脱ぎ散らかすのに、チャンミン宅ではそろそろと行儀よくスニーカーを脱いだ。
「せんせんち、広いっすね」
リビングは玄関を背に、右手にトイレと洗濯機置き場、左手に脱衣所と風呂場がある廊下を通過した先にある。
「そうかな...寝る所と居間と...それだけだよ」と、チャンミンは謙遜した。
ユノはぐるりと室内を見回し、「俺のアパートと比べたら、広いっすよ」と、感心して言った。
「独身男の部屋って感じ。
なんか、色っぽいっすね」
「!」
ユノが何の気なしに口にしたのは、お世辞ではない正直な感想に、チャンミンはドギマギ動揺してしまった。
「カッコいい」と褒められるよりも、今のユノの言葉の方が、男として認められたかのようで、胸の奥がくすぐったい。
「えーっと、ソファに座ってて。
飲みたいものはありますか?
取ってきます。
ビール?
チューハイもありますよ。
あ!
ユノさんは成人してますよね?」
チャンミンはテンパるあまり、ユノの基本情報がチャンミンの頭から抜け落ちてしまっていた。
「せんせ~。
年齢の話は教習中に何度もしたことあるでしょう?
俺、成人してます、20歳です。
しっかりしてください」
「そうでしたね、ごめん」
「それから、お茶なら俺、買ってきました。
酒飲んだりしたら、自転車に乗れないんで...」
「さすが、僕の教え子。
じゃあ、”半分こ”して飲みましょうか。
グラスを持ってきますね。
お皿もあるといいですよね?」
ユノはチャンミンと分け合って食べるつもりで、おにぎりやホットスナックなど、多めに買いこんでいた。
2人の間には今、張りつめた糸があり、投げかける言葉ひとつひとつが互いを探り合うものになっていた。
なぜなら、ユノは「好き好き光線のお次は、実力行使だ」と決意した頃。
チャンミンは「何もないまま、ユノを卒業させていいのか?」と焦り出した頃。
その矢先に、チャンミンの部屋にユノがいる。
じりじりとしか進んでいなかったこれまでの歩みを振り返ると、今の状況は、とんでもないステップアップだ。
「俺...臭くないかな?」と、ユノは急に心配になってきた。
バイト帰りだったら、油の匂いが髪に染みついてしまっていたが、今夜は自宅から直行だ(入浴も済ませた)
チャンミンは、二の腕や肩をくんくんさせているユノの様子に慌てた。
「嘘!?
臭い?
窓開けようか?」
「せんせんちはいい香りです。
俺が匂うのかな、って思っただけです」
「そんなことありません...けど?」
チャンミンはユノに近づくと、すんすん鼻をうごめかした。
(きゃーーー!)
突然のチャンミンの接近に、ユノの全身は石のように硬直した。
「全然。
石鹸の匂いですよ」
カチカチになったユノの様子に、チャンミンは不用意に接近し過ぎた自分にはっとする。
「し、失礼...」
「いえいえ...」
(あれ?)
ユノはある点に気づいた。
「あのー、せんせ」
ユノは胸の位置で小さく挙手をした。
「はい、ユノさん。
なんでしょう?」
「ワンコ...どこかに預けてるんすか?」
チャンミンはユノの言葉の意味が分からず、「ワンコ?」と訊き返した。
「せんせ、ワンコを飼っているんじゃなかったすかね?
コンビニでおやつ、買っていたじゃないすか?」
「あれは!」
(チャンミンは犬を飼ってみたいと思っているが、飼ってはいない。
先日、ドギマギを隠そうと適当にとった商品がペット用のおやつだったのだ。
「間違えちゃった」と棚に戻せばいいものを、間違いを認めたくなくて、そのまま買い物カゴに入れたのだった)
「友人が旅行に行くっていうから、預かっていたんだ」と、チャンミンは犬好きの友人の存在をでっちあげた。
「そうですか...」
「......」
しん、と静まり返った室内。
「せんせ」
ユノは胸の高さで小さく挙手をした。
「はい、ユノさん」
「ずっと気になっていたんすけど...」
「何をです?」
チャンミンは密かに身構えた。
(まさかだと思うけど、『ゲイですか?』と尋ねられたりして...。
ユノが僕のことを本気で好きだとした場合、彼が次に気になることと言えば、これしかない。
ユノの気持ちに僕が応えられるかどうかだ。
その辺りを確認されるだろうな...)
そう予想していたところ...。
「せんせって、何歳です?」
「何を今さら?」
「いや~、エイジハラスメントになるかなぁ、って、ずっと遠慮してたんです。
でも、無理に聞き出しませんですから」
「いくつに見えます?」
「そういう切り返しが一番困るんすけど?
え~っと...。
40歳」
こういう時は若めに言ってヨイショするのが常識なのに、真逆を言ってしまったユノ。
(以前、「その先生の年齢は?」とまるちゃんに尋ねられた時、ユノは条件悪めの方がよいと判断して、敢えて35歳と答えたことがあった)
「え゛っ...」
チャンミンは「40歳」の回答に、固まってしまった。
「...そ、そんなに老けて見える?」
「わ~、冗談っすよ、冗談!
なわけないですよね。
ないですってば!
せんせをからかっただけっす!」
ユノは両手を振って全否定した。
(せんせって、年齢不詳なところがあるんだよなぁ...。
見た目年齢は若いんだけど...)
ユノは片手を顎に添え、「う~ん」とチャンミンを子細に眺めた。
チャンミンはユノからの視線を真正面から浴び、顔面がチクチクむずがゆかった。
「...32歳(どうだ!)」
「大正解!」
若すぎず年寄り過ぎず、男の場合若ければいいってものじゃないから見た目年齢よりも若干多めに、絶妙な年齢をついて出たら、ビンゴだった。
場がなごんだところで...。
「夜食を食べましょうか」
「はい!
そうしましょう!」
このように、箸を取るまでの間、2人の心は上ずりっぱなしで大忙しだったのだ。
(つづく)
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