家庭訪問があるからと、正午前には下校時間となった。
帽子を無くしてしまったせいで、頭のてっぺんは太陽にあぶられ、さらに空腹状態でもあったから、この帰路は小さな身体にはヘヴィだった。
家に到着した時、ユノの部屋の窓にはカーテンが閉まっていた。
「珍しい、学校にでも行っているのかな」と思って靴箱を見ると、ユノの靴はちゃんとあった。
もう一足、見慣れない靴...大きなスニーカーがあった。
(珍しい...お客さんかな)
蒸れた靴下を脱いで裸足になると、ぺたぺた歩く板床がひんやりと気持ちよかった。
「ただいま」
母は台所でトウモロコシを茹でていた。
「あら、チャンミン!?
学校は?」
「今日は昼で帰りなんだ。
家庭訪問だよ。
お母さん、忘れてたでしょ?」
「そうだったわね。
うちはいつだった?」
「明日だよ」
僕は冷蔵庫から冷たい麦茶をグラスに注いで、一気飲みをした。
「ねえ、ユノちゃんとこに誰か来てるの?
靴があった」
「お友達らしいわね。
同じ大学の子なんじゃないかしら」
「ふうん。
...トウモロコシ、どうしたの?
こんなにいっぱい」
茹でトウモロコシは鮮やかな黄色で、はち切れそうな粒がむっちりと詰まっている。
甘い香りと共に、もくもくと白い湯気が上げていた。
がぶりと噛みつきたい衝動に襲われるほど、美味しそうなトウモロコシだった。
「職場で貰ったのよ。
親戚が農家さんなんだって。
沢山あるからユノさんのとこに持っていって。
お友達も一緒にどうぞ、って言ってね」
僕は母からトウモロコシを盛ったざるを手渡された。
「うん」
「お友達が来ているのだから、邪魔したら駄目よ」
「はあ~い」
ユノと一緒に食べたかったなぁと思ったけれど、彼の友だちがいるのなら仕方がない。
きしむ階段を2階へと上がり、ユノの部屋の前で立ち止まった
いつもなら形ばかりのノックをして、ユノの返事を待たずにドアを開ける。
ユノは部屋に鍵をかけない。
でも、今日は知らない誰かがいると知っているから、とても緊張した。
僕は強度の人見知りなのだ。
ドアをちょっとだけ開けて、目が合ったら「どうも」って頭だけ下げて、一階に戻ればいい。
うちの下宿屋のドアは引き戸だ。
「お母さんがトウモロコシをどうぞって」と、言いながら戸に手をかけた。
20センチほど戸が開いた時、僕は一時停止してしまった。
僕は木戸に手をかけた状態で、室内で繰り広げられている光景が何なのか、12歳の少年には理解できなかった。
カーテンを閉めた薄暗い部屋だ。
こんなに暑いのに窓も閉め切ってあるようで、むっとした熱気が充満しているようだった。
「......」
床に延べた布団の上に肌色がもつれからみ合っていた。
二人いた。
上になった方が腰を動かしていて、下になった方の両脚が腰に巻きついていた。
ユノがどっちなのか、目をこらさないと分からない。
僕は頭がまっ白で、目に映る情報が頭に入ってこない。
息を止めていたせいで、頭が酸欠状態だったから?
生まれて初めて目にしたセックスシーンだったから?
異性同士のセックスも知らない、男同士のそれなんてもっと知らない。
こくり...と喉が鳴り、鼓動が早くなる。
僕は見てはいけないものを見てしまった。
今すぐここを立ち去るべきだ。
頭では分かっていたけれど、身体がうまく動かない。
木戸はあと1センチのところでつっかえて閉まらず、音をたてるわけにはいかないから 時間がかかった。
開けたドアはそのままに、そっと部屋の前から踵を返し、階段を駆け下りて台所まで戻った。
「ノックしたのに気づいてくれなかった」と、トウモロコシを持ち帰ってしまった嘘の言い訳をした。
「それなら部屋の前に置いておけばいいでしょう?
洗濯物もあるから、ついでに持っていくわ」
と、母は僕からトウモロコシのざるを取り上げた。
母に目撃させたらもっと都合が悪い。
「僕が持っていくよ。
お母さんは忙しいんだから」
僕は母からざるを奪い返すと、2階へ駆けあがり、敢えてどかどか足音を立てて廊下を歩いた。
「ユノー!
差し入れだよ。
ここに置いておくね!」
と、大きな声で言った。
そして、ドアの前にとうもろこしのざるを置くと、さっと身をひいた。
その動きはまるで、身代金の入ったバッグを置いていくみたいだった。
ユノは未だ忙しいようで、返答はなかった。
僕に見せられない姿なんだ。
友だちを見せたくないとか...?
胸の辺りが焼け付くように痛い。
裏切られたような、置いてけぼりにされたような、悲しい感情でいっぱいだった。
優しくて面白いお兄さん以外の顔を持っているユノに、ショックを受けていた。
・
僕が目撃してしまったもの...あれがいわゆるセックスというものだと知ったは、もう少し後だった。
あの時は、ただただショックだった。
真っ先に「取っ組み合いの喧嘩をしているのでは?」と思い、その後に、喧嘩にしてはなんだか変だと気付いた。
僕の頭の中では2つの疑問だけがぐるぐる回っていた。
「なぜ裸なんだろう?」
「2人は何をしているのだろう?」
僕は階段を駆け下り、外へ飛び出した。
胸がズクンズクンした。
こぶしを握るかのように、心臓がぎゅっと収縮しているのがよく分かるくらいだ。
きしむ音に構わず、門扉を乱暴に開けた。
ユノが気付いてくれるといい、と思った。
僕は、ユノの部屋を見上げた。
カーテンは未だ閉まったままだった。
飛び出してみたものの行くあてもなく、僕は行きつけのスーパーマーケットまで行き、もっと遠くまで行くべきだと思って、美術館の前まで行った。
母に怒られるだろうけど、もっと寄り道をするべきだと、公園のブランコに揺られ、水を飲んでから下宿屋に戻った。
昼食を食べていなかったから、空腹で倒れそうだった。
ユノの部屋を見上げた。
カーテンは未だ閉まったままだった。
今度も乱暴気味に門扉を開けた。
ユノの部屋を見上げると、カーテンの合わせが揺れていた。
すると、ユノがそこから顔を出した。
「お!
おかえり」
玄関前の僕を見下ろし、いつものように手を振った。
今日はじめて、僕を見るかのようだった。
僕は力なく手を振り返した。
ユノはハーフパンツを穿いていて、上半身は裸だった。
前髪は濡れている。
いつもだったら、暑さに堪えてTシャツを脱いでしまったのだと思っただろう。
でも、今日の裸は意味が違う、と思った。
「お母さんにトウモロコシのお礼を言ってくれないか?」
ユノはトウモロコシを齧っていた。
僕は愛想悪く頷いただけで、家の中に入っていった。
とぼけているのだろうか?
そのトウモロコシを部屋の前に置いたのは、誰だと思っているのだろう?
部屋の前にトウモロコシが置かれてたら、おかしなことをしていたことがバレたのでは?と思わなかったのだろうか。
部屋の中で何をしていようと自由だけど、『アレ』については秘密の匂いがぷんぷんしていた。
僕に知られたことに気づいているのだろうか?
(つづく)
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