~ユノ~
仕事を終え裏口を出ると、フェンスにもたれ立つチャンミンがそこにいた。最寄り駅で集合するようにしていたが、俺をからかう目的でアポなしでやってくる日もある。
(例えば、俺の終業間際にやってきては、店頭と厨房の境の窓越しに手を振ってきたり、商品補充中の俺の背後にいつのまにか立っていたり)
職場の者たちは、まさかチャンミンこそ俺の恋人だとは想像できないだろうから、仲の良い友人同士に見ているだろうと思う。
当初、守衛さんたちは、明らかにここの従業員ではない者が裏口脇にいることを不審がっていただろう。
後になって俺の連れだと知り、チャンミンが玄人的に綺麗過ぎるせいで声をかけづらかったと打ち明けてくれた。
身体のラインをひろわないラフな装いでも、スタイルの良さを隠しきれていないチャンミンは、今日もいい男っぷりを発揮してくれていた。
「待たせたな」
「お疲れ」
チャンミンはもたれていたフェンスから身体を起こし、「ごめん、ここまで来ちゃった」と照れくさそうに笑った。
俺たちは肩を並べて歩き出した。
「どうした?」
この日のチャンミンは浮かない表情をしていた。
「様子が変だぞ?」
「いや...別に」
ピン、ときた。
きっと、昔の男のひとりとトラブったのだ。
手ひどい別れ方をしたせいで、チャンミンは数多の男たちから恨みを買っている。
男関係がだらしなかった男であることは織り込み済みで付き合っているのだから、俺はそこの部分を責めにくい立場にある。
その代わり、チャンミンの恋人として出来る限りのフォローはしてやりたいと考えている。
そんなチャンミンが心配で、「俺のアパートで一緒に暮らさないか?」と提案したことがあったけれど、彼は首を縦に振ってくれない。
チャンミンの恋愛ポリシーは、『相手の生活圏に深く立ち入らないようにする』だ。
確かに、俺の部屋にはチャンミンの私物は一切ない。
俺のものを借りたり、俺んちの洗濯機に放り込んでいくが、次に会う日に回収していってしまう。
こういう奴なんだと分かってはいても、やっぱり寂しい。
昔の男たちがどんななヤツだったのか、チャンミンが彼らとどう接してきたのかは想像するしかない。
俺はそんなんじゃないのになぁ。
チャンミンは俺の『運命の男』なのになぁ。
いい加減、気を許して欲しいと思う。
俺の背中にしなだれかかり、「ユノとのH、大好き」なんて甘えている時、特にそう思う。
「夕飯はどうする?
買って帰るか?」
晩夏の夕暮れは、オレンジ色の空気とツツクボウシの鳴き声に包まれている。
サラリーマンたちのシャツの背中は、1日分の汗を沁み込んでシワが寄り、薄着の女性たちも湿気と汗のせいでか浮き毛が出ている。
今日が金曜日だということもあるのか、表情に開放感が垣間見られる。
「ゆの」
つんつん、とTシャツの裾を引っ張られた。
「ん?」
「ご飯はいいから...ユノんちに行きたい。
早く」
チャンミンの眼が熱く潤っている。
今すぐヤリたい、の合図だ。
「うちに何にもないぞ?」
「後にすればいい」
チャンミンの性欲は底なしで、俺は一晩で1滴残らず搾り取られる。
性欲が強いというより、快楽に弱いのだと思う。
猫の目をして俺を誘っていたのが、後半の頃にはクタクタに身をゆだね、もっともっと尻を摺り寄せてくるのだ。
他の男たちにも、同様な姿を晒していたのかと思うと正直...とても嫌な気持ちになる。
嫉妬を丸出しにしたら、チャンミンは嫌がるだろうから、俺はぐっと堪えているのだけど。
~チャンミン~
玄関のドアが閉まるなり、ユノのジッパーを下ろし、隙間から引っ張り出したものを根元までくわえ込んだ。
「おい!」
ちゅっぱちゅっぱと音を立てて吸い上げていると、あっという間に僕の口の中がいっぱいになる。
僕の頭をつっぱねていた手の力が次第に抜けてゆく。
僕はサンダルとボトムスを乱暴に脱ぎ捨て、肩にかけていたバッグはたたきに落とすがままにした。
バッグの中身がその場に散らばった。
背後に押し倒されて、ユノの腰に両脚を巻きつけた。
玄関先の廊下で、下を出しただけで、上は着たままで、獣のように交わった。
多分緊張と不安を打ち消したくて、1発抜いておこうとしたのだと思う。
緊張の源は、ユノに話しておきたいことがあったからだ。
エアコンのスイッチを入れる前だったから、果てた時には2人とも全身汗だくだった。
汗が目に沁みて痛い。
「風呂に入ろう」
床で伸びていた僕に、ユノは手を差し伸ばした。
「う...うん」
ユノは力なく持ち上げた僕の手をつかむと、ぐいっと片腕で僕を引っ張り起こした。
「先に入りな。
着替えを用意しておくよ」
「ありがと」
ユノの精力は僕の1.5倍強いと思う。
・
「お先」
用意されていた下着とTシャツを身につけ、濡れた頭を拭きふき室内へ戻ると、エアコンの風量MAXで涼しく快適になっていた。
(本日のTシャツは『万里の長城』とプリントされている)
冷たい飲み物の用意もあった。
ユノもラフで涼しい恰好に着替えを済ませていた。
玄関先に脱ぎ散らかしていた洋服は洗濯機へ、たたきに散らばった物はバッグの中に戻されてベッド脇に置いてあった。
「入ってくる。
腹減っただろ?
適当なものデリバリで頼んでて」
ユノは浴室へと、僕の脇をすい、っと通り過ぎた。
あれ?
不機嫌そうだな、と思った。
なんでだろう?
理由が分からなかった。
・
デリバリされたものをつまみながら、映画を1本観た。
さっきのユノの態度は僕の気のせいだったようだ。
僕はベッドにもたれたユノに後ろから抱きかかえられ、たまにキスをしたり、ビールを飲んだりしていた。
「おい。
血が出てる」
「え?」
ユノに指摘されたところを見ると、Tシャツの肩辺りに血液の染みがちょっぴり付いていた。
Tシャツの袖を肩までまくりあげたそこに、傷が点々と数個あった。
「ホントだ」
「痣もあるじゃん」
二の腕をひっくり返すと、直径3センチくらいの青緑の痣があった。
「ホントだ」
「どうしたんだ?」
さっきは洋服を着たままだったから、ユノは気づかずにいたのだろう。
僕だって、シャワーのお湯が沁みた時に「そういえば...」と思い出したくらいなのだ。
「あ~、これね。
噛まれたんだ」
「噛まれた?」
介護士は生傷が絶えない職業ともいえる。
僕の背後から正面へと移動したユノの顔がマジなものに変わっていた。
「そうだよ。
お風呂に入れる時に暴れる人がいるんだ。
引っ掻かれたり、つねられたり...すごいんだ」
「それになんだよ、この痣は。
誰にやられたんだよ!?」
「誰って、ホームのおじいさんだよ。
つねられたんだ。
乱暴な人なんだ」
「嘘つけ!」
ユノの白い顔が怒りで紅潮していた。
僕が過去の男の誰かに乱暴されたのでは?と、誤解をしているようだ。
でも、僕の話は事実だ。
「さっきも言ったじゃん。
つねられたんだ!
ねえ、絆創膏ある?」
「...男か?」
「は?」
「男にやられたのか?」
「どうしてそうなっちゃうの?
僕の仕事は生傷が絶えないんだよ!」
「あんたならあり得る話だろう?
いつまでたっても、元カレ前カレの縁が切れていないじゃないのか?」
「切れてるよ!」
「どうだか。
前みたいにばったり会ったりして、因縁付けられたんじゃないのか?
殴られたんだろ?」
「殴られてない!
会ってない!
僕を信じていないのか?
僕をどれだけ軟派な男だと思ってるんだ?」
「...あんたの別れ方が悪いんだよ。
さんざん捨ててきたんだろ?」
「...っ!」
「どうせ俺のことも、いつか『捨てる』くせに!」
「どうしてそうなっちゃうんだよ?」
ユノの中で、常々抱えてきた不安が爆発したのだろう。
僕は立ち上がった。
続けて立ち上がったユノと対面し、僕らは睨み合った。
(つづく)
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