(59)ぴっかぴか

 

~ユノ~

 

チャンミンとにらみ合いの最中、事を収めようか必死で頭を振り絞っていた。

 

浮気を疑うようなセリフを言ったそばから、後悔してしまった。

 

チャンミンが気にしていることを、ピンポイントで狙い打ちしたといっても過言ではない。

 

チャンミンの怪我を目にした俺は、胸に仕舞っていたモヤつきを爆発させてしまった。

 

「僕は誰にも殴られていないし、昔の男となんて会っていない!」

 

童顔と可愛らしい丸い目のおかげで、チャンミンの睨み目には凄みがイマイチ足りない。

 

「どうだか。
その怪我がいい証拠じゃないか。
一体何人いるやら。
この街はどこもかしこも地雷だらけじゃん」

 

「万が一にも昔の男と会ったとしてもさ、どうして浮気と結びつくんだよ?」

 

「そりゃあ、『久しぶり』ってなって、身体だけの浮気ならいいだろ、ってなったりさ。
あり得るだろ?」

 

俺の口は自動的にぺらぺら動く。

 

思考の飛躍が凄まじい。

 

「ユノ!
酷い!」

 

「どうせ俺は童貞だったさ。
悪かったな。
俺だけじゃ足りなくなってきたんだろ?」

 

もっと怒らせると分かっているのに、次々湧き上がる言葉は止められず、話はどんどん反れていった。

 

「酷いな!
僕はそんなことこれっぽっちも思っていない。
だって...だって、僕はユノの『大事なもの』を貰ったんだ。
適当に付き合ってるわけない」

 

あまりにも頭にきていたせいで、たった今チャンミンが放った言葉を聞き流してしまった。

「ユノだってさ...」

 

チャンミンは顎をつんと持ち上げ、小憎らしいせせら笑いを見せた。

 

「『運命の相手』って言ってたの、嘘なんだ?
信じられないんだ?
へえぇぇ...そんな程度だったんだ」

 

気持ちを疑われて、ますます頭に血がのぼった。

 

「どうせさ、ユノの自己満で僕と付き合ってたんでしょ?
運命運命ってさ。
男と付き合ってる俺って、偉いってさ。
浸っていたんでしょ?」

 

俺は両脇に垂らしたこぶしに、より力を込めた。

 

「ホントの恋を知らない軟派な男を、本気の愛で改心させてやろう、ってことでしょ?」

 

「...ひっでえこと言ってくれるんだな?」

 

「それともさ、僕の身体に溺れてしまって、Hさえできればいいんだろ?
結局は昔の男たちみたいになっちゃうんでしょ?」

 

「本気で言ってるのか...?」

 

「だって、そうなんでしょ?」

 

「『本気で言ってるのか?』と、訊ねているんだよ、俺は?」

 

「だって...ユノがひどいことを言うから」

 

「俺を責めるのは結構だが、あんたこそ俺に説明しなきゃならんことがあるんだが?」

 

俺の押し殺した声に、チャンミンはぎくり、と一瞬ひるんだように見えた。

 

(仕方がない)

 

自分の品性を貶めることだが、切り札を使うことにした。

 

「××って誰のこと?」

 

「...っ!」

 

「××って誰?」

 

「......」

 

チャンミンの頬がぶるっと震えた。

 

(大当たり)

 

「××って昔の男だろ?」

 

「......」

 

俺の視線から逃れたチャンミンの横顔が、「その通りです」と認めたようなものだった。

 

「なんで知ってるんだよ?」

 

「××さんから電話があったみたいだぞ?」

 

「僕のスマホを盗み見したんだな?
最低!」

 

「盗み見じゃない!
”見えて”しまっただけだ!」

 

「嘘つき!」

 

嘘じゃない。

 

靴を脱ぐのももどかしく、玄関で抱き合ってしまった俺たちは、荷物も服もその場に脱ぎ捨てた。

 

ぶちまけられたチャンミンの私物をバッグに戻す際、彼のスマホが震えていた。

 

この時チャンミンは入浴中だった為、無視しようと思ったが、ディスプレイに映し出された男の名前に、腹の底がずんと重くなった。

 

初めて見る名前だったが、『チャンミンの元カレ』だとすぐに察した。

 

関係を持った男との個人情報の交換は好まないという、チャンミンの話を信じるか否か。

 

別れた後も電話帳に残しておくとは考えにくい。

 

「恋を知らないんだろう」とからかったら、「知っている!」とムキになっていたことから判断すると、ひとつやふたつまともな恋愛を経験しているとみた。

 

未だに番号を消せずにいるということは、引きずっている恋愛だといえるのでは?

 

悪いと分かっていたが、俺は通話ボタンを押してしまったのだ。

 

「俺があんたのスマホを見たかどうかが問題じゃない。
昔の男から電話がかかってきていることが問題なんだよ」

 

「昔の男とは限らないじゃないか!」

 

「本当にそうだと、言い切れるか?」

 

「......」

 

言い返してこないことに、俺の気分はずぶずぶと沈んでいった。

 

「俺はな、真剣に付き合ってきたんだ。どうせ俺は重たい男だ。
あんたは重い男が嫌いだったよな?
あんたはノンケで童貞だった俺が物珍しくて、手を出してみただけなんだろ?
やっぱ、気軽な付き合いがよくなってきたんだろ?」

 

「違う!」

 

思ってもみないこと、少しだけ頭をよぎったことも全部ごたまぜにして、不満と不信の種を意図的に誇張させて、チャンミンを傷つけてゆく。

 

 


 

~チャンミン~

 

「ユノの馬鹿!」

 

ユノのアパートを飛び出してきた。

 

どうせユノは追いかけてこないだろうからと、すぐに走るスピードを落とした。

 

センスを疑うユノのTシャツを着てきたままだった。

 

身動ぎするごとに、ユノの香りが漂うTシャツだ。

 

当分ユノとは顔を合わせたくないから、洗って宅配便で送り返せばいいや。

 

(僕の馬鹿!)

 

先日の夜、例の男とバッティングしてしまったのは事故みたいなものだったから、「昔の男に会ってただろう?」の問いに、「会っていない」と答えてしまった。

 

でも、厳密に考えると、『会っていない』の答えは正確じゃなかった。

 

その夜のことを言おうか言わまいか逡巡した一瞬間の表情を、ユノは目ざとくキャッチしてしまった。

 

今回は僕が悪い。

 

自分を知ってほしいなぁ、なんて安易で狡い気持ちから、スマートフォンにロックをかけるのをやめていた。

 

どうぞ見てください、と言わんばかりに、スマートフォンをユノの目が届くところに置きっぱなしにすることが多かった。

 

ユノ自ら、僕のことを知りたい一心で探って欲しいなぁ、って。

 

ユノのキャラ的に、他人様のスマートフォンを盗み見するような人物ではないと知っていながら、だ。

 

ところがとうとう、疑心暗鬼の塊となったユノは禁忌を犯してしまった。

 

...今の言い方には悪意があった。

 

(ごめん、ユノ
そうじゃなかったよね)

 

僕のバッグから転がり出たスマートフォンを拾ってあげた時、たまたま目にしてしまっただけだ。

 

バッグからスマートフォンを取り出し、着信履歴を確かめてみた。

 

あいつとばったり出くわした夜以降、あいつから2、3度着信があり、そのいずれも無視していた。

 

男が変わるたびに番号まで変えていられなかったし、僕の人生において意味ある存在だと長年思い込んでいたせいで、削除できずにいた。

 

ユノと恋愛をするようになって、あの男のアドレスが保存されていることをすっかり忘れていたのだ。

 

「ん?」

 

通話時間が3分とある。

 

(がーん)

 

僕はその場に、頭を抱えてしゃがみこんだ。

 

「電話をかけてきたのは昔の男だ」と自信満々に指摘していたわけが、ようやく分かった。

 

「同僚や上司からの着信ではない」とユノの勘が働いた。

 

その着信を見過ごすどころか、よりによって、例の男...僕のお尻バージンを奪った男からの電話に出てしまったのだ。

 

きっとあの男は、ユノを煽るようなことを言ったのだろう。

 

「ああ...最悪だ」

 

僕は今日、ユノに伝えるつもりだった。

 

僕の初恋はユノだって。

 

僕はユノが好きだって。

 

思い返せば、はっきりと「好き」と伝えたことがなかったから。

 

引き返そうと思って数歩歩いたところで、足を止めた。

 

(今は会いたくない)

 

ユノの暴言は、ぐさぐさと僕のハートに突き刺さっていた。

 

僕のだらしなかった過去が全部悪い。

 

初めて手放したくないと願った恋なのに。

 

(つづく)

 

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