(45)NO? -第2章-

リアは焦っていた。

 

チャンミンと暮らした、身の丈以上のこの部屋は、今月中に引き払う予定だった。

モデル収入が先細りになってきた現状では、引き払わずにはいられない。

ラウンジの仕事も、ユンとの関係が深まった頃からシフトを減らし、先月には辞めてしまっていた。

 

(心配はいらない)

 

ユンからいよいよ捨てられそうになったら、チャンミンに身を寄せればいい。

その考えをぽろっと口にしてみたら、顔を真っ赤にさせて怒りだした民にあっけにとられていた。

チャンミンの恋人宣言をする民を見るリアの目は、若干呆れ気味なものだった。

 

(何なの、あの民とかいうオトコオンナ。

兄弟でも兄妹でもなく、チャンミンの恋人ですって!?)

 

そのため、ユンの車の鍵をリアに押しつけ、鼻息荒く部屋を出て行った民に、リアはひるんでいなかった。

 

(いくら自分が女に見られないからって、手近のチャンミンを彼氏だと思いつくなんて...。

可哀想な子...)

 

この時は未だリアは、ユンの新しいモデルが民だとは想像もついていなかった。

 

(チャンミンは優しい人だから)

 

ユンに頼れなくなっていよいよの時は、チャンミンにすがりつこうと思った。

リアと別れた際、チャンミンは電話番号を変えていなかったため、連絡しようと思えばいつでも可能だ。

 


 

「それでは週末に」とユンに見送られ、チャンミンはオフィスを出て行った。

あれよあれよという間にユンのペースにのせられていくチャンミンに、ユンは内心ほくそ笑んでいた。

 

(チョロいな)

 

ユンは背中に下ろしていた長髪をひとつに束ねると、中途だった彫刻の土台作りを再開した。

 

(チャンミンくんも民もチョロい)

 

カットした木材同士を組み合わせて釘と針金で固定し、その上から裂いた布を巻きつけて厚みをもたせた。

保定する者が欲しいと思った頃、民が帰ってきた。

リアを置き去りにしてきたという報告を受け、ユンは大笑いした。

 

(古い恋人を冷酷に捨て去れないのは、わずか10%存在する俺の優柔不断さによるものなんだろうな。

子供が出来たと迫られて、さすがに慎重にならざるを得なかったこともあるが...)

 

ユンの反応を窺う民の不安げな表情が堪らなくなり、近づいて頬を撫ぜようとした手は払いのけられた。

 

(なるほどね。

彼氏ができれば、拒絶されて当然か。

それにしても、面白くなってきたぞ)

 

さらにユンは、チャンミンが伴ってきた女性...M女史...から媚を嗅ぎ取っていた。

 

(なるほどね。

チャンミン君はそれとなく気づいているようだが、民くんのことでそれどころじゃない...といったところかな?)

 

定時で民を上がらせると、ユンはアトリエにひとりきりになった。

ユンの気を引くためなのか、リアは未だ帰宅していなかった。

長髪をひとつに束ねていたゴムを外すと、さらさらと艶のある黒髪が、ユンの肩と背中を覆った。

キャビネットに常備しているブランデーをグラスに注ぎ、床に直接腰を下ろした。

正面に完成した土台があり、視線を右にずらしたところに白い垂れ幕が吊るされ、民とチャンミンをその前で立たせる予定だった。

 

(俺が目下のところ片付けなければならない案件は、リアを追い出すことだ。

自由に使うよう預けていたカードを停止しなければ...)

 

ユンはグラスの中身を飲み干した。

 


 

時と場所を移動して、19:00の民のアパート。

ジャンパーと仕事着を脱いで、民なりの外出着...栗色のモヘアニットにグレンチェックのワイドパンツに着替えた。

ふわふわ素材なところが、唯一女性らしいと言えるし、ゆとりあるボトムスも民にしてみたら珍しい。

民の一張羅に、義母が買ってくれたワンピースが1着あるが、冬の季節には相応しくない素材だ。

 

(あれは脱がされるものではなくて、見せるためのもの。

...脱がされる!!)

と、思いかけては、「きゃあぁぁぁぁ」と顔を覆った。

 

しばらくかけ布団に伏せていたが、照れている間などないことに気づいた。

民はホテホテな頬を扇ぎながら、荷造りを開始した。

 

(...以下、民の妄想にお付き合いください)

 

「パジャマでしょ」

 

トートバッグにパジャマを詰める手が止まった。

 

(パジャマっているのかな?

いらないんじゃない...?

秘め事の後は、ヌードのまま朝まで眠るんだよね。

...風邪を引きそうだなぁ。

パジャマじゃ色気がないからトレーナーにしましょう)

 

パジャマは却下し、代わりにトレーナーをバッグに入れた。

 

(でも...。

Tシャツやトレーナーって、彼氏のを借りるものだよね。

丈が長くてワンピースみたいになるんだよね~。

その恰好でキッチンに立ったりして、後から起きてきた彼氏に後ろからハグをされるの。

チャンミンさんとサイズが同じだから、ジャストサイズになっちゃうなぁ。

ホントにデカい自分が嫌になる)

 

愛用の化粧水のボトルと歯磨きセットをバッグに入れた。

 

「次は~」

 

収納ケースのひとつに、畳まず収められた例の2枚がある。

どちらも腰骨にぎりぎり引っかかる程度の極端な腰穿きだ。

ひとつは、究極な箇所以外の肌色がほぼ透けている総レース製。

もうひとつは、サイドのリボン結びの紐をほどくと、はらりと脱げてしまうデザインだ(チャンミンがチョイスしたのは、紐タイプだった)

 

(途中でチャンミンさんの気が変わるかもしれないから...)

 

この2枚を巾着袋に入れた上で、バッグに詰めた。

 

(これはお風呂の後に穿く...と)

 

ここでハッとして、ボトムスの裾を捲し上げた。

 

「すね毛よし!」

 

次に袖を捲った。

 

「腕毛よし!」

 

(脇もよし!

いつなんどき、この手のチャンスがあるか分からないからと、処理をしておいてよかった~)

 

TVを付けていない静かな部屋に、ぶつぶつと民の独り言だけが響く。

待ち合わせ時間まであと5分と迫った頃には、荷造りが完了した。

最後に洗面所の鏡の前に立った。

 

(なに興奮してるのよ!

真っ赤じゃない!)

 

その表情は、ぽおっと緩むどころか、きりりと気合と意気込みで引き締まっている。

 

(闘いに行くんじゃないんだからさあ...)

 

冷たい水で紅潮した顔を洗った。

 

(おっと!

髪の毛ボサボサ!)

 

手ぐしを使って、長めの前髪を額の上で斜めに流した。

 

「う~ん...」

 

(逆の方がいいのかな?)

 

と思い立ち、髪の分け目を普段と逆にしただけで雰囲気が変わったことに満足した。

ついでに、頭頂部の一か所(ひったくりに遭い、転倒して負った傷痕)に触れてみる。

 

(あとでチャンミンさんに、剥げてるところを見せてあげよう)

 

頭を右に左にと傾けてみる。

 

(チャンミンさんは、自分と同じ顔した人間にその気を出せるのかなぁ。

これくらい顔が近づいてきて...)

 

鏡にくっ付きそうな距離まで、顔をずいっと近づけた。

 

(キスまではOKでも、いざ服を脱がした時...。

『僕が裸で寝っ転がってる!』とかって、我に返っちゃって、『ごめん、君を抱くことは出来ない』とか言われたらどうしよう...!)

 

民はニットの上から胸に触れてみた。

 

(くっそ~~)

 

さわさわと撫ぜてみた。

 

(チャンミンさんの言葉を思い出せ!

胸の大きさで彼女を選んでいない、とかなんとか言ってた気がする。

こればっかりはチャンミンさんを信じるしかない!)

 

きんこ~ん。

 

「わっ!」

 

チャイムの音に驚くあまり、悲鳴を上げてしまったのだ。

ハッとして時計を見ると、20:10だった。

 

「大変!!」

 

自分の世界に浸るあまり、かれこれ15分以上も鏡の前に立っていたことになる。

チャイムを鳴らしたのはもちろん、チャンミンだ。

 

(もちろん民は、誰が鳴らしたチャイムの音かすぐに分かった)

 

民はインターフォンのディスプレイを確認することなく、玄関ドアを開けた。

チャンミンは遅刻しそうになり民のアパートまで駆けてきたため、はあはあと呼吸は荒く、彼女以上に真っ赤な顔をしていた。

 

「遅くなってごめ...」

 

チャンミンの言葉は、尻すぼみになってしまった。

 

(昼間会ったばかりなのに...)

 

髪型と服装が違うこともあるが、チャンミンはおめかし仕様の民にときめいていた。

 

(...か、可愛い...)

 

「チャンミンさん。

もしかして、残業か何かだったんですか?」

「どうして?」

 

チャンミンは昼間と同じスーツ姿だったのだ。

 

「これはっ!

気持ちがいっぱいいっぱいで、着替えるのを忘れてしまって...はははは」

 

と、下手な言い訳せずに素直に認め、恥ずかしそうにぽりぽりとうなじをかくチャンミン。

 

(チャンミンさんはやっぱり、チャンミンさんです...)

「え~っと...じゃあ。

僕んちに行こうか?」

「はい」

 

これから二人の熱い夜が始まる...?

 

(つづく)