「ユノ!
そこにいたんだ」
人混みに酔った俺は、庭園の芝生に座り込んで夜風にあたっていた。
人当たりもノリもよい俺だったが、昼間羽目を外し過ぎたせいで、体調が悪かった。
蝶ネクタイにタキシードと、びしっとキメこんだチャンミンが俺を見下ろしている。
「チャンミン、怪我したのか?」
夜露に濡れる芝生を踏む、チャンミンの靴の脇のものに気付いた。
「あ!
しまった!」
「いてっ!」
俺の指摘にチャンミンは、慌てて手にしたステッキを振り回したりするから、俺の肩に当たってしまう。
「ごめん...ユノ」
チャンミンのとるとっさの動作に、俺は何度痛い目にあったと思ってんだ、全く。
「杖なんかついて...大丈夫なのか?」
「おじいさんのを持ってきちゃった!」
「お前がコンパニオンしてたあのじーさんのか?」
「コンパニオンって...そんなんじゃないよ」
「気に入られて、財産を譲られたりしてな。
てか、お前、じーさんの杖持ってきちゃってよかったのか?」
「んー、大丈夫だと思うよ。
若い女の人と腕組んでたから、よろけたフリをしてさ」
優しい目元と腰の低さから、チャンミンは老人たちに好かれる。
近くにいたじーさんに話しかけられ、ウェイターに代わって飲み物や軽食をとってやったりしているうちに、すっかり気に入られてしまったらしい。
そうだろうな。
チャンミンは優しい。
俺は置いてけぼりみたいな気分で、会場内をぶらつくしかなかった。
背中が大きく開いたドレスを着た、美しい女性たちがあちこちにいたけれど、俺は全然そそられない。
柔らかそうな胸の谷間や、赤く塗った唇、ハイヒールを履いた足なんかより、鍛えすぎてパツパツになったチャンミンのジャケットの二の腕の方に萌える。
(チャンミンの奴、俺にいい身体みせたいからって、相変わらず鍛えてるわけ。ムキムキ過ぎるのは好みじゃない、と言ったら、しょんぼりした顔しちゃってさ、可愛いんだから)
「好みの子はいたか?」
「いないよ」
「裸みたいな恰好の子もいっぱいいただろ?」
「いたけど......全然興味ないよ」
「どうだか」
「ユノの方こそ、女の子とダンスしてたじゃないか!」
見られていたか...。
じーさんの世話で忙しそうだったから、気付かれていないと思ってた。
「1曲だけね。
チャンミンが俺の世話をしてくれないせいだぞ。
若い俺より年増好きだからなぁ、チャンミンは」
「ひどいよ...ユノ」
ダンスのお相手をしたその女の子にまとわりつかれて、うとおしかった俺は失礼にならないようさりげなく誘いをかわして、逃げるように庭へ出て来たのだった。
「ここで何してたの?」
「んー、ちょっと涼もうと思って、さ」
俺たちのいる庭園は、フランス窓からもれる煌々とした灯りのおかげでほのかに明るい。
西洋造りのお屋敷でのパーティ。
盛り上がるパーティの最中、殺人事件が起きて、その時間、庭にいた人物が疑われるんだよな。
どうして、俺たちみたいなのが正装して、ハイソなパーティに参加していたのか、という理由は大学時代の出来事に遡るから、今ここでは省略する。
俺は地面に片膝をついて座り、その傍らにチャンミンは立って、見事に手入れされた庭園を眺めていた。
屋敷の老主人の趣味がイングリッシュガーデンつくりだとかで、広大な敷地中にいろとりどりの花畑が点在している。
チャンミンは俺の『彼氏』だ。
大学を卒業後の進路は違ったが、俺たちは相変わらず相思相愛なんだ。
「チャンミンはひ弱なのかタフなのか、どっちなんだよ?」
俺の肩にもたれかかるように立ったチャンミンを、見上げて言った。
「え?
何のこと?」
「牧場実習では子牛1頭捕まえられない奴がさ、どうして今夜はそんなすっきりした顔でいるわけ?っていうこと。
俺なんかもう...ヘロヘロだよ...」
チャンミンはきょとんとしていたが、俺の言いたいことが分かった途端、表情を崩した。
濃い影で顔色は分からなかったけど、多分、真っ赤な顔をしているハズ。
「えっと...それは...っ!」
「すげぇよなぁ...チャンミンの原動力は股間にあるからなぁ...」
「股間って!
まるで僕が、エロで生きてるみたいじゃないか!」
「だってその通りだろ?
限界がないんだから。
まさしく、枯れることのない湧き水だな、チャンミンのアソコは」
「......」
「どうせ今この瞬間も、せっせと製造しているんだよな。
さっき飲んだシャンパンも、原材料になってるか?」
「......」
「それと、チャンミンの頑丈なケツには脱帽ものだ」
「......」
やべ。
怒らせたか。
いや、まだいける。
「なぁ」
「......」
「あとで可愛がってやるから、今は我慢してろよ」
「へ?」
よし。
「チャンミンはいやらしいなぁ」
「?」
「俺の肩にぐりぐり押しつけてきちゃってさ」
「?」
「そんなに俺が恋しいか?」
冗談じゃなく、俺の肩はチャンミンの固くなったものを感じ取っていた。
「......」
「家に帰るまで、我慢してろよ...、っ!」
もの凄い力で俺の両頬はチャンミンの両手で挟み込まれ、斜めに傾けたチャンミンの頬に鼻が、チャンミンの唇で俺の唇は塞がれた。
「んっ」
ステッキが芝生に転がる。
力いっぱい押しつけられて、歯に当たった唇が傷つきそうなくらいの情熱をもって。
「く、くるしいぃ...」
俺はチャンミンの肩を叩く。
仮縫いをした一か月前より発達した筋肉のせいで、俺を引き寄せようと力をこめているせいで、チャンミンのジャケットははちきれそうになっている。
「ぷはっ!」
唇を離し、チャンミンの頬を両手で包み込んだ。
「今は『我慢』だ」
立ち上げた前髪の下の狭い額、高い鼻先、四角い顎に順にキスをする。
「やだ」
精悍な顔をしているのに、丸い形の目は幼くて、そのギャップがこの男の魅力のひとつだ。
俺が見張っていないと、どこぞの女豹に襲われるかしれない。
今夜はじーさんが相手をしてくれて助かった。
女の子とダンスしたことに、嫉妬してくれて嬉しかった。
「タキシードを汚すわけにはいかないだろ?
借り物だからな。
...ん?」
俺の目の前に差し出されたのは、チャンミンの片手。
「お嬢さん、僕の手につかまりなさい」
「おい!
俺はお嬢さんじゃないぞ」
「ふふふ。
たまには僕がナイト役なのも、新鮮でしょ」
「ははっ!
確かに。
チャンミンはいっつも『姫』だもんな」
「『姫』って言わないで」
チャンミンの手の平に片手を重ねると、ぎゅっと力強く握られた。
「あててて」
チャンミンに引き起こされて、きしむ腰をさすった。
「俺の腰はガッタガタなんだよ」
「そんななのに、どうして女の子とダンスができたのさ?」
チャンミンのじとっとした睨み目に、俺は肩を抱いてなだめた。
「使う筋肉が違うだけさ。
チャンミン相手だと、普段使わない筋肉を動かさなくちゃいけないだろ?」
チャンミンは、納得がいかないといった風な表情だったが、「ま、いいけどさ」と鋭い眼光を弱めた。
「杖を使ったら?」
「じーさんみたいで嫌だなぁ...」
俺の腰が悲鳴をあげている理由は、チャンミンの両脚でがっちりホールドされたせいだ。
芝生に転がるステッキを拾い上げるチャンミンの、小さく引き締まった尻を見つめながら、俺は昼間のことを思い出していた。
(つづく)