「行こう行こう」
僕はぐいぐい民ちゃんの手を引っぱって、エレベータに乗り込んだ。
照れ隠しで、必要以上に引っぱった。
操作ボタンを押す時になって、「ああ、ごめん」と、クールさを装って手を離した。
手を握ることくらいどうってことないさ、大人の男だから、ってな風に。
「いえ...」
真っ赤な顔をした民ちゃんが、僕に握られていた手を開いたり閉じたりしている。
伏せたまつ毛が、赤らめた頬に影を作っていた。
(ヤバイ...可愛い...)
民ちゃんのTシャツの胸元に目をやって、僕は安堵した。
(よかった...ブラを付けてる)
今朝見たノーブラ民ちゃんが、ぼわーんと頭に浮かんできてしまって慌てて打ち消した。
続けて、民ちゃんの脚の付け根あたりに視線を移した。
ぴたっと細身のデニムパンツのそこは、当たり前だけど真っ平だ。
第三者から見れば、民ちゃんは男の子だ。
内股気味の膝頭と足先。
メンズサイズのスニーカーなのに、でかい足なのに(民ちゃん、ごめん)、可愛らしく見えるのは、民ちゃんが確かに女だという証を、僕が無意識に探しているから。
じっくり観察しているから、ほんのささいな事柄に気付くんだ。
「チャンミンさん...大丈夫ですか?」
「え?」
「顔が赤いです。
汗がだらだらです。
具合が悪いのですか?」
じーっと民ちゃんに顔を覗き込まれて、僕の心拍数が急上昇した。
「!」
額に手を当てようとするから、「大丈夫だって」って制しようしたら、つかんだ手首が細くて、たまらない気持ちになった。
ポーンという音と共に扉が開いた時、蒸し暑い空気と軽快な音楽、がやがや楽し気な喧噪に僕らは包まれた。
さあ、ビールを飲もうか!
・
民ちゃんは、お酒があまり強くないみたいだ。
ビールジョッキ2杯目の時点で、顔は真っ赤で目付きがとろんとしている。
でも、食べっぷりが僕以上だった。
ぴり辛ソースを絡めたチキンバスケットの中身は、ほとんど民ちゃんが平らげた。
よほど美味しかったらしく、もう一皿オーダーしていた。
民ちゃんの口の中に、美味しい料理が次々と吸い込まれていく。
それなのに、食べ方がきれいだった。
ひと口サイズに(民ちゃんのひと口サイズは大きい)箸で切り分ける。
あーんと口に運んで、もぐもぐとしっかり咀嚼する。
飾り野菜も食べてしまうから、お皿の上には食べかすひとつ残っていない。
僕のジョッキが空になる前に、「ビールでいいですか?」とお代わりのオーダーを。
新しい料理が届くと最初に僕の取り皿に、たっぷりとよそってくれるのだ。
軟骨まできれいにこそげた骨が、空いた器に山となっている。
3杯目、4杯目とジョッキを追加しながら、僕は民ちゃんをぼーっと眺めていた。
リアとの外食は、僕ひとりだけ食べていて、リアはちんまりとしか食べない。
リアはモデルだから仕方がないのだけれど、一緒に食事をしているのに、独りで食事をしているかのようだったな。
「チャンミンさん、もうお腹いっぱいなんですか?
いらないのなら、私がもらっちゃっていいですか?」
僕の取り皿の上のチーズコロッケを、物欲しげな目で見る民ちゃんの唇にケチャップが付いていて、やっぱり可愛いと思ってしまった。
「駄目、あげない」
「あっ!」
コロッケをひと口で食べてしまったら、民ちゃんは心底残念そうな顔をした。
頬をふくらまして紙ナプキンで口元を拭う民ちゃんに、
「民ちゃんのその色、ホントに似合うよ」
と青みがかった深い鈍色の髪を褒めた。
僕はほろ酔いで、普段だったら照れくさくて難しいこと、つまり女性を褒めることができてしまう。
「嬉しい、です」
はにかむ民ちゃん。
「チャンミンさん、かっこいいですー。
リアさんが羨ましいです。
私も、チャンミンさんみたいな彼氏が欲しい、です」
民ちゃんの言葉に照れたところをバレないよう、微笑みだけで流した僕は、民ちゃんに尋ねる。
お約束の質問。
「民ちゃんは、彼氏はいないの?」
「いません」
民ちゃんは眉を下げて、泣き真似をした。
「嘘!ホントに?」
(と、驚いたふりをしたけど。
民ちゃんを傷つけてしまうから絶対に言えないけど。
民ちゃんが、男の人と並んで歩くシーンを想像できない。
ごめんな、民ちゃん)
「好きな人は?」
民ちゃんの顔がふにゃふにゃになる。
「いますー」
「えー、どんな人?」
「年上です」
「それだけの情報じゃ分かんないよ」
「チャンミンさんより年上です。
密かな片想いなので、これからちょっとずつアピールしていくつもりなんです」
「へえ。
ってことは、近くにいるんだ?」
「ふふふ。
そうなんですよ」
民ちゃんは両手で顔を覆って、身をよじっている(ヤバイ...可愛い)
「もしかして、民ちゃん!
彼を追いかけてきたの、ここまで?」
「!!!」
ぼっと民ちゃんの顔と耳が真っ赤っかになった。
「ま、まさか~」
目が泳いでいて、民ちゃんは分かりやすいと思った。
そっか。
民ちゃんが田舎を出て、ここに越してこようと決めた理由が、「男」だったとは...。
兄Tはこのことを絶対に知らないはずだ。
酔ったはずみに、分身ともいえる僕だったから、ポロっとこぼしてしまったんだろうな。
「Tには内緒にしててやるよ」
「はい、お願いします」
「民ちゃんの片想い、応援するよ」
「ありがとうございます、うふふふ」
左右非対称に細められた目を、昨日に続き見ることができた。
友人がSNS投稿した写真の中で、僕も同じ表情をして笑っていた。
民ちゃんが可愛らしく見えるのは、僕くらいかもしれない。
男としての自分の顔を知っているから、自分との違いが良く分かるんだ。
男っぽい容姿はハンデかもしれないけど、民ちゃんは僕の目には、十分女っぽく映っているから。
民ちゃんの片想いの彼が、民ちゃんの魅力にちゃんと気付いてくれることを願うよ。
この時の僕は、民ちゃんの恋を応援してやろうと思う余裕があった。
見た目は僕と瓜二つだけど、民ちゃんは僕とは別物だ。
僕にはこんな笑顔は作れない。
・
「もう一回、乾杯しましょう」
「かんぱーい」
ガチンとビールジョッキを合わせた。
ジョッキを持つ指が細かった。
「チャンミンさん」
「うん?」
目尻を赤く染めた民ちゃんが色っぽくて、目をそらす。
「安心してくださいね」
「安心って?」
「アレの時は、私イヤホンして音楽聴いてますから」
「アレ?」
意味が分からず首をかしげていたら、民ちゃんはふんと鼻をならした。
「セックスです」
(ミミミミミミミミンちゃん!!!)
「リアさんとチャンミンさんがセックスするときです。
イヤホンして、大音量で音楽聴いてますから。
私に遠慮せずに、いつも通りセックスしてくださいね」
「......」
民ちゃん...何を言い出すかと思えば...!
不意打ちの民ちゃん発言に驚かされて悔しくなった僕は、意地悪をしたくなった。
「民ちゃんこそ、つけようね」
「ツケル?」
「ブラ」
「!!!!」
民ちゃんがパッと胸を隠した。
「僕らは兄妹じゃないんだよ。
僕はいちお、男だから。
目のやり場に困るんだ」
民ちゃんは、消え入るような声で「はい」と答えた。
・
僕らはセックスレスなんだよ。
それどころか、この数か月間は、まともに会話すら交わしていないんだ。
僕が誘ったときにリアがその気じゃなくて、深夜遅く帰宅したリアがベッドに滑り込んだ時、背中から抱きしめたら、腕をはねのけられた。
そんな夜が続けば、「もういいや」って諦めてしまう。
リアと喧嘩をしたことがない。
「仕事が忙しすぎやしないか?」
「もっと早く帰ってこられないのか?」
「たまには一緒にでかけようよ」と、リアに言えればよかったんだけど。
リアと衝突したくなかったのが理由だとしたら、僕は臆病者なんだろうな。
同棲を始めた当初、僕はリアに夢中で、彼女と共にすること全てが幸せだった。
けれど、今は違う。
リア、僕らの家はホテルじゃない。
僕は君と、「生活」がしたかった。
もう「留守番役」は沢山なんだよ。
リアが僕のことをどう思っているのかは、分からない。
そろそろ、何かしら決着をつけなければならないなと思っていた時の民ちゃんの登場。
いかにリアとの生活がむなしいものだったのかが、はっきりしたよ。
(つづく)
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