「いかがですか?」
大きな鏡に映る自分をみて、民の顔は笑顔ではじけた。
「はい、気に入りました」
頭を右へ、左へ向けて、揺れる髪に民は満足感でいっぱいだった。
民は黒髪を、アッシュ・ブルーにカラーリングしてもらったのだ。
(チャンミンさんと見分けがつかないと、リアさんが困るだろうから、ね)
「お客様は色が白いですから、アッシュカラーがお似合いです。
ですが、お客様の肌色ですと、レッド系の方がなじむかと。
ブルー系は顔色がくすんで見えがちなのです」
預けていたバッグを受け取った民は不安そうに眉をひそめた。
「似合い...ませんか?」
担当スタイリストは首を振った。
「お客様は、学生ですか?それとも会社員?」
なぜ職業を聞かれるのか疑問に思いながら、民は答える。
「えっと...求職中です」
「では、平日の昼間は空いていますか?」
「今のところは、はい」
「カットモデルをやっていただけないでしょうか?」
「カット...モデル?」
民の頭に、新人容師の実験台にされて、無残な頭になってしまう自分が思い浮かんだ。
「ヘアコンテストのモデルのことですよ」
うつむいて黙り込んでしまった民を安心させるように、彼は言った。
「大きなコンテストが再来週に行われるんです。
コンテストとは、美容師の腕と感性を競う大会で、大手化粧品メーカーが主催しているものが多いのですが。
毎年、テーマが出題されて、そのテーマの世界観をヘアスタイルとメイク、衣装で表現するのです」
彼は美容雑誌を広げて民に見せた。
「第一予選は写真審査。
ここで数千人から約3百人までに絞り込まれます」
小さな写真が数ページにわたって並んでいる。
「第二予選は、全国5か所で行われました。
制限時間45分で審査員と観衆の前でカットからスタイリングまで仕上げます。
ここで50人に絞り込まれます」
「はあ」
「私は写真審査も第二選もありがたいことに突破しました」
「うわぁ!
すごいですね!」
「ありがとうございます。
ところがひとつ問題が発生しました。
モデルに使っていた子が転職をして、平日に行われる大会に出られなくなってしまいました。
ファイナルでは、カラーリングと衣装が重点的に審査されます。
第二選と同じモデルをつかうのが通例です。
あなたの場合、前のモデルの子と同じくらい細いですし、髪質も色がきれいに入りそうです。
どうですか?
やっていただけないでしょうか?」
「でも...」
民は口ごもって、気になっていたことを質問した。
「モデルって...男性モデルとしてですか?
こう見えて...私は女なんです」
高身長過ぎて制服のスカートが合わず、特別にスラックスを履いて登校していた民だった。
女性らしいファッションをすることは諦めて、自分に似合うものを身につけるようにしたら、ますます男性に見られるようになって、外出先の手洗いにも苦労していたのだ。
「それはそうでしょう」
彼は、民に向かって微笑した。
「あなたは女の人そのものですよ。
男性だなんて、一度も思いませんでした」
民は嬉しさのあまり、目の前の彼に抱きつきたいくらいだった。
(こんなこと言われたのは、生まれて初めて!)
「では、早速で申し訳ありませんが、今週末に来ていただけませんか?
お店が終わってからなので時間は遅くなります。
何度か衣装合わせにご協力いただく必要があるのです」
「はい」
「衣装は、私たちの手造りなんですよ」
「すごいですね!」
民の眼がキラキラと輝いてきた。
「大会当日は、丸一日拘束されます。
もちろん、謝礼は差し上げます」
「いいんですか?」
「当然です。
ビジネスですから」
その男性スタイリストは、マロン色に染めた髪をふわふわにパーマをかけた、20代半ばから後半頃。
ドロップショルダーの白いトレーナーに、カラーリング剤がところどころシミをつけている。
「紹介が遅れました。
私はこういう者です」
差し出された名刺を両手で受け取った民は、
「Kさんですね。
了解です。
私は民といいます」
と、深々と頭を下げたのだった。
チャンミンは駅前のモニュメント前で民を待っていた。
ワイシャツ姿で、スーツのジャケットは脱いで腕にかけていた。
改札口を出る人並に目を凝らす。
(なぜか、わくわくどきどきする
民ちゃんとは昨日であったばかりなのに、強烈な親近感を抱くのは、瓜二つの容姿のせいなのかなぁ)
蒸し暑くじとりと汗ばんでいた。
首の後ろに手をまわして汗で濡れた後ろ髪に触れた時、昨夜目の当たりにした民のうなじを思い出した。
(毛の生え方も一緒なんだもんなぁ...)
毛の流れに沿って指を滑らせていたら、ポンと肩を叩かれた。
「わっ!」
顔を上げたら、目の前に民が立っていてチャンミンは飛び上がった。
「チャンミンさん...。
そこまでびっくりしなくても...」
ぼそりとつぶやいて、民は眉を下げて膨れる。
(分かってはいても、不意打ちは心臓に悪い)
黒い髪だった民の髪色が、明るく変わっていた。
「民ちゃん、髪を染めたんだ」
「はい」
(くるりと回って見せる仕草が、可愛いな。
民ちゃんはやっぱり、女の子なんだな)
「リアさんが区別がつくように、と思って」
「それだけのために?」
「イメージチェンジも兼ねてます」
鼻にしわを寄せて笑う民の目元に、長い前髪がはらりとかかった。
「!」
「!」
民の澄んだ瞳に、チャンミンが映っていた。
とっさにチャンミンは、民の前髪に指を伸ばしていたのだった。
「ごめん!」
チャンミンは腕をひっこめると、やり場を失ったその手で自分の前髪をかきあげた。
(またやってしまった。
つい自分自身のもののように触れてしまう。
危ない、危ない。
髪を明るくしたせいか、それも鈍色なせいか、民ちゃんに中性的な妖しさが加わった気がする)
「チャンミンさん。
ほら」
民がチャンミンの腕をつんつんと突いた。
「!」
肘までまくり上げていた腕に、民の指が直接触れてチャンミンの産毛が逆立った。
「屋上ビアガーデンですって」
「へぇ」
「いいですねぇ。
行きたいですねぇ」
デパートの屋上が、ラティス格子で囲われていて、提灯の赤い灯りが連なっている。
見上げる民の伸びやかな首筋に、チャンミンはドキリとした。
(細くて長い首は僕のとそっくりだ。
でも...。
喉ぼとけがない...)
その事実が、チャンミンの胸を甘く切なく締め付けた。
その時のチャンミンには、この切なさの正体が分からなかった。
~チャンミン~
デパートの屋上を見上げる民ちゃんの喉から目が離せなかった。
ビールをごくごく飲む民ちゃんを見てみたいと思った。
どうした、チャンミン?
「民ちゃん」
突如沸いた、素敵な思いつき。
「ビール飲もうか?」
「え?」
「ビアガーデン、行こう」
「今から?」
「もちろん」
「リアさんは?」
民ちゃんに指摘されて、僕は顔をしかめた。
「リアのことは、いいから」
「でも...」
民ちゃんと飲むビールは、美味しいに決まっている。
逡巡する民ちゃんの手をとった。
「え、え、え?」
民ちゃんの手をとるまでは、躊躇する隙のない自然な動きだった。
ところが、僕の手の中におさまった彼女の、自分のものより幾分小さく薄い手の平を意識したら、ぼっと身体が熱くなった。
はたから見たら、大人の男二人が(一人はサラリーマン、もう一人は大学生)手を繋いでいるという、ちょっとした注目を浴びる光景だったと思う。
(こんなこと、絶対に民ちゃんに言えない)
女性の手を握ることに、今さらドギマギするような年じゃない。
でも、民ちゃん相手だと違う。
民ちゃんは女性だけど、女性じゃなくて、やっぱり女性なんだけど。
手を触れたらいけない気にさせられる。
そんなことを思いながらも、ちょくちょくと民ちゃんに触れてしまっているのだけれどね。
(つづく)
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