~情けない僕~
~チャンミン~
迫るリアを引きはがしたら案の定、リアは鬼の形相になって僕を蹴り飛ばした。
「私に恥をかかせる気?」
リアは寝室に駆け込むと、派手な音を立ててドアを閉めてしまった。
直後、ガチャリと鍵を下ろす音がした。
リアの誘いを拒んだ僕が寝室から締め出されたのか。
それとも、僕に拒まれたリアがリビングから締め出されたのか。
どちらも正解だと思った。
萎えたものを下着におさめると、浴室まで直行した。
しばらくの間、勢いを最強にしたシャワーに打たれていた。
あの言葉が決定的だった。
「チャンミンのくせに、私の誘いを断るつもりなのね」
全くもって、僕とリアの関係性を的確に言い現わした言葉だよ。
「?」
バスタブの縁に、見慣れないシャンプーボトルがあって、おそらくそれは民ちゃんのものだ。
髪を染めた美容院で購入したものだろう。
僕の口元が思わず緩んだ。
民は敷いた布団の上に、ぱたりとうつ伏せに倒れた。
(びっくりした!びっくりした!びっくりした!
初めてラブシーンを生で見た。
ドキドキする。
お客さんがいても構わないくらい、二人は熱愛中なんだ。
音くらいだったら、イヤホンでなんとかなるとしても。
あんなところをまともに...見せつけられたら...。
アイマスクがいるってこと?
勘弁してよー!)
むくっと顔を上げた民は、閉めたドアを振り返った。
そして、バスタオルに顔を押し付けた。
(見てしまった...かもしれない。
「かもしれない」じゃなくて、見てしまった。
リアさんの手の中のもの...!
生で見るの初めてなんですけど!
へぇ...あんな風なんだ...。
けっこうグロいんだ。
やだもー、かなりショックなんですけど!)
赤くなったり青くなっていると、バタンと戸を閉める大きな音が響いた。
(そうですよ。
『そういうこと』は寝室でお願いします)
民は起き上がると、携帯電話を持って部屋の掃き出し窓からベランダに出た。
「わぁ...」
生温かい夜だが、不快なほどではない夜気を吸いながら、田舎では見られない眼下の夜景に感動した。
(綺麗。
私は、都会にいるんだ。
お父さんとお義母さんを説得してここまで来てよかった。
頑張ろう。
ここで、頑張ろう)
民の目にじわっと涙がにじんできた。
民は、連なるテールライトや、高層ビルの屋上で瞬く赤い光を飽くことなく眺めていた。
(明日からどうしよう。
チャンミンさんのお家には、いられない)
民は兄Tに電話をかけた。
数コール後に、兄の大き過ぎる声を聞くと、懐かしくて民の目尻からぽろりと涙がこぼれた。
『おー、民か?
どうだ?
チャンミンには可愛がってもらってるか?』
「うん。
あのね、お兄ちゃん、トラブル発生なの」
『トラブル?
お前、何かしでかしたのか?』
「問題はね、似すぎていることなのよ」
『それのどこが問題なんだ?』
「あのね...」
『こらぁ!とっとと寝るんだ!
...すまん、ガキどもを怒鳴っただけだ。
出産まであと2週間だから、その時は頼むよ』
「う、うん...」
民は通話を切ると、ため息をついた。
(お兄ちゃんのところは、やっぱりそれどころじゃないか...)
ベランダに漏れる部屋の灯りが、ふっと何かで遮られた。
コツコツとガラス窓を叩く音に、飛び上がるほど驚いた民は後ろを振り返った。
「民ちゃん」
窓の戸口に立ったチャンミンがベランダへ出てくると、民の隣に立った。
「......」
民はチャンミンの顔をまともに見られない。
「民ちゃん」
(チャンミンさん。
私はどんな顔すればいいんですか?)
「(あんなところを見せて)ごめん!」
「私の方こそ(見てしまって)ごめんなさい」
コホンと咳払いをすると、民はそむけていた顔を戻した。
チャンミンの髪は濡れていて、シャンプーの香りを漂わせていた。
視線を落とすと、黒いハーフパンツから細長いすねが伸びている。
涙をにじませた民の顔を見て、チャンミンは発しかけた言葉をつぐんでしまった。
(泣いて...いた?)
~チャンミン~
「え...っと。
...済みましたか?」
民ちゃんは手すりにもたれると、僕を軽くにらんだ。
「へ?」
「あのー、そのー。
あれの邪魔をしてしまったから、無事に済んだかどうかって...」
暗がりだから確認はできないが、おそらく民ちゃんは真っ赤な顔をしているだろう。
「邪魔はしていないよ。
民ちゃんは、全然邪魔なんかしていない」
むしろ、民ちゃんのおかげで、深みにハマってしまうのを助けられた。
「リアとは...していないから」
「へ?」
「あんな感じだったけど、ヤッていないから」
「私が...いたからですか?」
「さっきも言ったけど、民ちゃんは邪魔していないからね。
変なものを見せちゃって、ごめん」
しばらく考え込んでいた民ちゃんは、「ああ、あれね」と頷いた。
「びっくりしちゃって...その。
初めて見たものですから。
ショックで」
そうなんじゃないかと思ったけど。
こんなこと言ったら民ちゃんに怒られるかもしれないけど。
民ちゃんは「生娘」ってことか...。
生娘という言い方もどうかと思うけれどね。
そうか...民ちゃんは、経験がないのか...。
やばい。
民ちゃんがますます可愛く見えてきた。
僕は身を引いて、手すりにもたれかかる民ちゃんを観察した。
民ちゃんにつり合う男っているんだろうか。
民ちゃんより背が高くて、身体も大きくてゴツい奴なら、民ちゃんの隣を歩いてもつり合うか...。
こんなことを考えていること自体が、民ちゃんに対して失礼なことだってことは分かってる。
民ちゃんがムンクの叫びのようなポーズをとった。
「トラウマになっちゃうかもしれません...。
あんなものを見せられて...」
そう言って民ちゃんは、しゃがみこんでしまったから僕は慌てた。
「ごめん!
ごめんな!
無理だろうけど、忘れて!」
民ちゃんの肩を抱いて、顔を覗き込んで何度も謝った。
「嘘です」
すくっと民ちゃんは立ち上がり、あっけにとられた僕は民ちゃんを見上げた。
「男版の自分のものなんだって思うことにしたら、わりと平気になりました」
「民ちゃーん...。
からかわないでくれよ」
「ふふふ」
僕も民ちゃんも、コンクリートの床に裸足で立っていた。
手すりの上に組んだ両腕にあごを乗せて、僕らは夜空を見上げた。
雲で月は隠れていたけど、いくつかの夏星は見られた。
「そんなつもりじゃなかったんだ」
「?」
民ちゃんが問いかけるような表情で僕を見つめている。
民ちゃんの涙の理由は何だったんだろう。
「民ちゃんがいたから、止めたわけじゃないんだ」
何を弁解しようとしているのだろう。
「リアとはもう...しないから」
どうしてこんなことを、民ちゃんに話しているんだろう。
(つづく)
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