~シヅクとセツ~
「どうしよう!
『マックス』を知ってる人が登場しちゃったよ」
「落ち着いて、シヅク。
ここなら彼を知る者なんていないって、判断したのはセンターでしょ。
シヅクの責任じゃないんだよ?」
セツはテーブルに伏せたシヅクの肩を叩いた。
「センターに報告しましょ。
そして、対策を練りましょ?」
「チャンミンをどこか遠くへやろう。
混乱してるみたいだし」
「慌てないで。
今の段階なら、人格がバラバラになってしまうようなことにはならないから」
「でもさ、段階的に早いじゃん。
雰囲気的に『マックス』と恋愛関係にあった風だったんだよ」
「シヅクが心配してるのは、そのユーキとか言う人とチャンミンがどうかなるかもしれないことじゃないの」
「......」
図星だったシヅクは黙り込む。
「シヅク。
チャンミンがユーキを思い出すことなんて、100%あり得ないんだから」
「でもさ、記憶ってのは染みついてるものでしょ?
何かの拍子にさ、ユーキさんの側にいるうちに、
ユーキさんの匂いとか感触とかに触れているうちに、
ぽろっと思い出すかもしれないじゃない?」
「うーん...あり得なくはないけど。
万が一、思い出したとしても、今のチャンミンは今のチャンミンなんだから。
『今が』確かなのよ。
かつてのチャンミンの『時』は、チャンミンには存在しないのよ」
「セツの旦那さんはどんな感じ?」
「そうねぇ...。
夫のMは、私と積み上げてきた『時』だけが、確かなもののようよ。
とは言っても、Mは事情を全部知ってるっていうのもあるけど」
「でしょ?
...チャンミンに打ち明けた方がいいのかなぁ」
「駄目!
シヅクの判断で動いちゃ駄目。
指示を待ちましょう、ね?」
「う...」
「『マックス』だとか、元彼女にオロオロしてる前に、チャンミンとの確固たる関係を結びなさいよ。
...だって、好きなんでしょ?」
「うん...」
「元彼女の登場とか、真相を知った瞬間とか、そういうものに直面しても揺らがない関係を作りなさいよ」
「私の任務が終わったら、私、どっかに飛ばされるのかなぁ?」
「遠距離になるわね。
そうならないかもしれないし」
「でもさ、また新しい人の側に張り付くことになるんだよ。
チャンミン...絶対に嫌がるよ」
「尚更、今のうちに関係を深めなさいよ。
あなたを見るチャンミンの顔ときたら...。
気付いてなかったでしょ?
熱々の目をしてたのよ」
「ホントに?」と、シヅクはここでようやく顔を上げた。
「本当よ。
今のチャンミンは、あなたが頼りなんだから、ね?」
~チャンミンとシヅク~
「出ない...」
チャンミン宅のチャイムを鳴らしても、応答がない。
電話をかけても出ない。
(ったく、いつもいつもチャンミンは!
どうせ風呂にでも入ってるんだろう。
タイミングの悪い男だなぁ。
...今夜も裸を拝ませてもらうかな)
ニヤリとしたシヅクは、
「仕方がないなぁ...。
こいつの出番だ」
トートバッグから小型のPCを取り出す。
得意の小細工プログラミングで、生体認識キーを軽く突破した。
「おーい、チャンミン!
来たぞ!」
部屋の中は暗く、洗面所から漏れる灯りだけだった。
(やっぱり、風呂か)
チャンミンを驚かそうと、洗面所まで抜き足差し足で近づき、
「わっ!!」
ひょいっと頭だけを突っ込んで、大きな声を出した。
「あり?」
真っ白で清潔な洗面所は、無人だった。
ただ、シャワーを使ったばかりで湯気が立ち込めている。
(...ってことは。
チャンミンのやつ...)
くっくっくと笑いが込みあげてきた。
(私を驚かそうと、どっかに隠れているんだな。
可愛らしいことをしおって。
そうは問屋がおろさないんだな)
自分の姿が見られないよう洗面所の照明を落とす。
チャンミンの部屋の家具の配置は、だいたい頭に入っている。
(ダイニングテーブルはこの辺り...ソファをこう避けて...)
チャンミンが隠れているのは寝室だな、と当たりをつけて足音をたてずに...。
「どあっ!!!」
シヅクは大きくつんのめる。
正面からどすんと、床にたたきつけられる、と覚悟したら、柔らかいものの上に着地した。
踏み出したつま先に何かを引っかけてしまったのだ。
「!!」
身体の下のぐにゃりとしたもの...まさぐると...。
「チャンミン!?」
シヅクは、床に横たわっていたチャンミンにつまづいたのだった。
(どうしよどうしよ!)
即行飛び起きて、壁の照明スイッチを点ける。
チリひとつない白い床に、チャンミンがくの字になって横たわっていた。
「チャンミン!」
チャンミンを膝の上に抱き起こす。
固くまぶたを落としたチャンミンの頬を、叩く。
「こら!
起きろ!」
肩をぐらぐらと揺する。
「起きろ!!」
シャワーを浴びたばかりなのか、濡れた髪から雫がしたたり落ちている。
「チャンミン!」
(やっぱりユーキさんの登場はショックが強かったか!?)
ちょっと痛いかな、と心配するくらい強めに頬を張る。
「う...ん...」
まぶたが震える。
(やった...!)
「チャンミン!」
「ん...」
「おネンネする時間はまだ早いぞ!
起きろって!」
ぱちり、とまぶたが開く。
チャンミンは、まばたきを繰り返す。
しばらく視線を彷徨わせていたが、シヅクの腕の中の頭を持ち上げると...。
「あ...れ?
シヅク?」
と、うつろな眼でシヅクを見上げた。
「ど...したの?」
「......」
天井の照明がまぶしいのか、目を細めた。
「まぶし...」
「ど...ど...ど...
『どうした?』じゃねーよ!!」
きょとんとしたチャンミンの様子に、パニック状態だったシヅクの緊張は解け、代わりに怒りが湧いてきた。
「馬鹿たれ!!!
どんだけ心配したと思ってんだ!?」
「あ...れ?
僕...」
チャンミンは半身を起こして、周囲を見渡し、倒れた拍子に打った頭をさする。
状況把握に時間がかかっているようだ。
「チャンミンの馬鹿やろう!!」
「...シヅク?」
シヅクの顔がくしゃくしゃにゆがみ始めた。
「心配したんだよ?
てっきりかくれんぼしてるかと思ってて...。
っく...。
そしたら、床に転がってるじゃん。
つまづいじゃったよ。
...っく。
死んじゃったんかと思ったんだぞ?」
「...シヅク」
「うわーん」
シヅクが天井を仰いで泣き出した。
「シヅク...」
チャンミンは、大泣きするシヅクをどうすればいいか分からず、数秒ほど見つめていたが、
「泣かないで。
シヅク...」
チャンミンは腕を伸ばすと、シヅクの頭を引き寄せた。
「シヅク?」
「うわーん」
チャンミンの胸を、シヅクの涙が濡らす。
(こんなシチュエーション、前にもあったな。
僕が風邪をひいて仕事を休んだ日の夜だ。
僕を心配して「不法侵入」してきたシヅクが、今みたいに泣いていた)
チャンミンはシヅクの髪を撫ぜる。
背中にまわされたシヅクの腕に力がこもる。
(あの時の僕はどうしたらいいか分からなくて、戸惑ってた)
手の平の下のシヅクの頭が小さくて、ショートヘアの黒髪が柔らかくて、チャンミンの心に温かいものが灯る。
(シヅクが僕を頼ってくれている)
チャンミンはシヅクの髪を撫ぜる。
泣いているせいで、手の平に伝わるシヅクの体温が高かった。
「心配かけて...ごめんな?」
「ふう...」
ひとしきり泣いたシヅクは、むくりと顔を起こした。
(よかった...泣き止んだ)
チャンミンはほっと息を吐く。
「...チャンミン」
「ん?」
「あんたさ...服を着なって」
「わあ!!!」
「裸になるのは、もうちょっと後にしな」
「......」
「まずは酒でも飲もうか」
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