白々と夜が明けようとしていた。
まだ外は薄暗いけれど、空のすそはほのかに白い。
チャンミンとシヅクは、急患用出入口から外へ出ると、肩を並べて歩き出した。
きりっとした冷気が、まだ微熱のあるチャンミンの頬に気持ちよかった。
シヅクは、コートのポケットに両手を入れて歩きながら、チャンミンを見上げる。
「熱とだるさは、ただの風邪だってね」
「うん」
チャンミンのあご先は「ゾクっとしたらいけないから」と再び巻かれたシヅクのマフラーに埋もれている。
「よかったね」
「うん」
「頭痛によく効く薬をもらえてよかったね」
「うん」
さんざん検査を受けた結果、医師からの説明によると、あっさり異常なしとのことだった。
拍子抜けだったが、チャンミンのバッグの中には、3種類の錠剤が、プラスティックボトルの中で音を立てている。
昨夜の雨でまだ濡れているアスファルト。
シャッターの下ろされた店舗街。
煌々と明るいコンビニエンスストア。
まだ暗いオフィスビルのエントランスホール。
シヅクが黙ってしまったので、チャンミンは右、左と交互に蹴りだす自分のスニーカーに視線を落とす。
隣には、シヅクの頑丈そうな黒い靴。
細身の黒いパンツ。
(ずいぶん、男っぽい恰好しているんだな)
視界の左にちらちらする、鮮やかな赤。
赤いダッフルコートはシヅクによく似合っていた。
(彼女は赤が似合う)
マフラーのないむき出しの首は寒々しくて、ほくろがある。
(髪の長さは僕と同じくらいだ)
短い髪から覗く小さな耳は、寒さで赤くなっている。
(アクセサリーはしないんだ)
目じりにひかれたアイライナー。
(シヅクによく似合っている)
知らず知らず、チャンミンはシヅクをじっと観察していた。
(今まで、気づかなかった。
隣を歩く、この人が、
どんな服を着ているのか?
どんなバッグを持っていて、
どんなヘアスタイルをしていて、
どんな横顔をしているのかなんて・・・)
ひょいっと横を向いたシヅクと、バチっと目が合ってしまった。
あからさまにビクッとするチャンミンの様子に笑うシヅク。
「何よ~じろじろと。
シヅクさんがあまりに美しくて、見惚れちゃった?」
シヅクが冗談めかして言うと、
シヅクと視線を合わせたままチャンミンは答える。
「うん」
「は?」
片足を踏み出したままのポーズで、シヅクは一時停止してしまった。
チャンミンも立ち止まる。
黒づくめのファッションに、ふわふわした女もののマフラーを巻いているチャンミン。
乱れた前髪のひと房が、片目にかかっている。
彼の瞳は、しんと澄んでいて、まっすぐシヅクに視点を結んでいる。
笑いもせず、かといって無表情でもないチャンミンの今の顔。
(かぁぁぁぁ・・・!)
シズクには、自分の顔にみるみる血が上って、耳まで赤くなっていくのが分かった。
「?」
チャンミンは、口をぽかんと開けて固まっているシヅクを、不思議そうに見つめる。
「顔が真っ赤だよ。
シヅクも風邪?」
びっくりしたよ。
普通っぽくさらりと言うんだもの。
おそらく、あの時のチャンミンには、照れも恥ずかしさもなかったのだろう。
思ったままを素直に口に出しただけだからね。
でも、なんか...感動したかも。
他人に興味をもたなくて、感情がわかりにくいチャンミンが、あんなこと言うなんて、ね。
私のこと見てた、なんて。
やれやれ、
ドキッとしちゃったじゃん。
これっぽっちで動揺する私はお子様か?
「チャンミン、頭を熱でやられたの?」
シヅクは、どぎまぎする自分を悟られないよう、冗談めかして言う。
「ああー!」
両手を空に向かって伸ばして、
「私は腹が減ったぞ!
あと2時間で仕事だぞ?
大丈夫かな、私?」
と、お腹の辺りを手でぐるぐるなでた。
シヅクは照れくさくて、チャンミンの方を見られない。
この間無言だったチャンミンも、ハッとしたように再び歩き出した。
「ごめん、僕のせいで...、
あの・・・、
空腹にさせてしまって・・・・」
「謝らないでー。
そういうつもりじゃないのよ」
(謝りポイントがズレてるんだけど...
可愛いなぁ)
シヅクはチャンミンの正面に回り込んで、彼の顔を見上げる。
チャンミンは、本当に申し訳なさそうに眉をひそめている。
(可愛い顔しちゃって)
シヅクはパチンと手を叩いて、
「そうだ!
チャンミン!
肉まんをおごってくれ」
シヅクは、通りの向こうのコンビニエンスストアを指さした。
ちょっと驚いた表情をした後、再び眉をひそめてチャンミンは小さな声で言う。
「ごめん、僕お金がなくて...」
「あー!
そうだったね、ごめんごめん。
うーん、じゃあ今度、
今度、ごちそうしてな?」
「うん」
ほっとしたようなチャンミンのほほ笑みに、シヅクの胸がグッとつまる。
(なんか、感動するんですけど・・・)
二人は、チャンミンの住むマンションの前に立っていた。
「チャンミン、今日は仕事を休むんだよ?
職場には私が説明しとくから」
「ちゃんと薬を飲んで寝ているんだよ?」
「うん」
じゃあね、と立ち去ろうとするシヅク。
「シヅク!」
振り向くシヅク。
「ありがとう」
チャンミンには、これだけ言うのがやっとだった。
「どういたしまして」
にっこりとシヅクは笑った。
その笑顔に、目が離せなかった。
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