~春~
発見者はタミーだった。
尻尾をゆっさゆっさ振っているタミーの見上げた先。
チャンミンがプラムの木にしがみついて震えていた。
黄緑色の若実が気になって、齧ってみたくなったのだろう。
チャンミンは食いしん坊なのだ。
後先考えず木によじ登ったのだ。
地面には、齧りかけの実が1個転がっている。
実を齧ってみたところが強烈な酸っぱさに、期待を裏切られたチャンミンは驚いただろう。
「お前は馬鹿だねぇ。
まだ青いんだから、食べられないんだよ?」
「すんません、一口だけ、ほんのひと口だけ味見をしてみたかったんです」
幹にしがみついたチャンミンは、情けない顔で私とタミーを見下ろしている。
食べられないと諦めたチャンミンはここで初めて、木から下りられないことに気が付いたのだろう。
一体いつからそこにしがみついていたのやら。
家事や自習の合間に、チャンミンの様子を気にかけていた。
ポーチで昼寝をしたり、「遊びましょう」と足元にじゃれついたり、最後に見た時はタミーを追いかけ回していた(タミーは迷惑そうだった)
滅多に吠えないタミーの声に、様子が変だと外へ出てみたらこの有様だった。
ユノさんの帰宅を待つ間、私はチャンミンに声をかけ続けた。
「じっとしているんだよ」と。
ユノさんは長ハシゴをプラムの木に立てかけ、私はそれを押さえていた。
ユノさんの頼もしく逞しい腕に抱かれて、地上へと降り立ったチャンミン。
両耳を伏せ鼻水を垂らしたチャンミンは、半べそ顔をしていた。
・
プラムの実で、チャンミンはもう一度騒動を起こした。
プラムのシロップ漬けを作ろうと、籠いっぱいに摘んだものをチャンミンがつまみ食いをしたのだ。
つまみ食いどころか、15個も食べたのだ。
床に散らばっていた種...しゃぶってつるつるになっている...の数を数えたのだ。
チャンミンのお腹が、こんもりと膨れていた。
「チャンミン。
お前の胃袋はこれくらいなの」
仰向け寝だと圧迫して苦しいらしく、床に四つ足を伸ばして腹ばいになっていた。
「これくらい小さいの!」と、ジャムの瓶を突きつけて説明をする私を見上げている。
「何を仰っているのか、僕には理解できません」といった顔をしている。
チャンミンは現行犯で止めないと、何がいけなかったのか分からないんだった。
「怒ってごめんね。
苦しいね」
まだら模様の毛皮の背中を撫ぜた。
チャンミンは自分の身体のサイズを把握できていない。
私と同じくらいに大きい身体をしていると勘違いしているのだ。
ユノさんはチャンミンの太い脚を見て、「大きくなる証拠だ」と言っていたけれど、小型犬サイズのチビ助のままだった。
私のベッドへは、ひと跳びで上がれる。
でも、ユノさんのトラックに飛び乗ろうとジャンプしたものの、座席のへりに頭をぶつけて地面にひっくり返ることもしばしばだった。
・
からりと乾いていた空気も湿り気を帯びるようになってきた。
夕飯時間になっても、外は明るい。
リビングの壁に吊るしたカレンダーを、一枚やぶり取った。
残りの枚数を数え、「あと7枚か...」とつぶやいた。
チャンミンがやってきてから1分1秒が濃密過ぎて、時間への視野が狭くなっている。
その速度感を「今月も終わりなんだ」と、カレンダーをめくるタイミングではじめて実感する。
チャンミンには時間の概念はないだろうけど、彼は1秒1秒が一生懸命なんだろう。
チャンミンには「その時の今」しか存在しなかった。
私は過去を思い出して涙を流し、未来を想像して不安になる。
特に、過去の記憶に捉えられたままで、そこから逃れる方法が分からず、今この時を見失っていることの方が多い。
ユノさんみたいに大人なら、その術を知っているだろうから、教えてもらおうと思った。
チャンミンがやってきたこの年は、特別な1年だ。
ラグに腹ばいになって麺棒を齧るチャンミンを見つめた。
私も1秒1秒を懸命に生きようと思った。
・
ポーチの手すりに悪質なビラが貼りつけられていた。
卑猥で汚らしい言葉が書きなぐられていた。
読み上げるだけで口が腐ってしまいそうな言葉が並んでいた。
今回が初めてじゃなかった。
季節の変わり目になると、ある日突然出現する恐ろしいものだ。
同性愛者であるユノさんを批判し、貶めるものだった。
ユノさんが帰ってくる前に処分しなければ!
剥がしとってポケットに入れようとした時、それをチャンミンにさらわれた。
「チャンミン!」
奪い取ったそれを、チャンミンの爪が引き裂いた。
穴掘りの要領で前脚でガリガリと引っかいた。
それだけじゃ足りないと、前脚で押さえ鋭い犬歯でもってびりびりに破ってしまった。
執念ぶかく、徹底的に。
それは紙吹雪となって、風にのって草原へと散っていった。
(つづく)
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