(20)君と暮らした13カ月

 

~夏~

 

川から引き上げたのは、彼の父親だった。

 

彼が落下した直後、彼の父親...食事の用意の途中に消えた妻を追ってきた...が現れたのだ。

 

彼は診療所に運ばれ、現場には私だけが残された。

 

駆けつけてきたユノさんに抱きついて、何が起こったのかをつっかえつっかえ全て伝えた。

 

ユノさんは私の言葉を代弁し、訴えた。

 

町長も警察も駆けつけた。

 

そして、誰しも分かりやすい、あり得そうな結論に至ってしまった。

 

この状況下で、最も私を責めるべき彼の母親は、私とは距離をおき、存在を無視しつづけた。

 

大ごとにならずに済んだのは、彼ら家族は都会へと帰ってしまったからだ。

 

そしてユノさんが、現場にいた3人の位置関係と時系列を整理してみると、私が巨岩の上にいられるはずはないと主張したおかげでもあった。

 

彼が意識をとり戻すや否や、彼をさらうように連れ去ってしまった。

 

さよならも言えなかった。

 

彼は水泳がうまかった。

 

大量に水を飲みこんだせいで、いっときは意識はなかったが、診療所へと運ばれる途中に息を吹き返した。

 

彼が溺れそうになった原因を作ったのは、私だ。

 

私が下から手を振らなければ、彼は川へと飛び降りようとしなかった。

 

私と一緒にいなければ、母親に腕をつかまれたりしなかったのだ。

 

 

たまたま居合わせた者たちの、真相を捻じ曲げた憶測が人へ人へと伝播していく。

 

「こんな真相だったら、さぞかし人々は興味を持って聞いてくれるだろう」と脚色したストーリーだ。

 

噂話にのぼるたびに、その噂は間違っていると訂正して回るわけにもいかない。

 

彼は遠くへ行ってしまったし、私も声高に主張する術がなかった。

 

そして、何も言えずに去ってしまった彼に、裏切られた気がしていた。

 

 


 

 

「どう思う?

チャンミンは、どう思った」

 

チャンミンの眉間にしわが寄っていた、これは熟考中である時の徴だった。

 

ふんと鼻を鳴らすと、私の太ももからぴょんと飛び降りて、私の洋服をくわえて引きずってきた。

 

「わかった、帰ろうか」

 

帰り道はチャンミンが先導する。

 

「道を覚えるくらい、朝めし前ですよ」

 

数メートルの距離を保ち、数歩進むごとに私を振り向いた。

 

私がどこかに行ってしまわないよう、心配しているかのようだった。

 

重く深刻なストーリーを打ち明けたばかりの私を気遣っている。

 

チャンミンの白く大きなお尻と、落ち葉が降り積もった地面、黄色い長靴だけを見て歩いた。

 

うるさすぎる蝉の鳴き声で聴覚がおかしくなり、全身に大量の汗がまとわりつく。

 

視界が狭くなり、景色が揺らいできた。

 

「...っ...っ」

 

私は立ち止まり泣いていた。

 

嗚咽が喉でつっかえて、呼吸がしづらくとても苦しい。

 

「っく...ひっく...っく...」

 

しゃっくりみたいな声しか出なくて、喉で堰き止められた重たいものを吐き出せずにいた。

 

チャンミンは私がついてこないことに、私の様子がおかしいことに気付くと、引き返してきた。

 

後ろ立ちして私の膝小僧をぺろぺろ舐めた。

 

長靴を噛んで引っ張るチャンミンに従って、私はしゃがみ込んだ。

 

「うーっ...うっ、うー」

 

私の喉から言葉にならない呻き声が漏れる。

 

「...うー、うーっ、うー」

 

例え動物の鳴き声のようであっても、声をあげて泣くのはいつぶりだろう。

 

こめかみから流れる汗とぽろぽろと溢れ出る涙が交じり合う。

 

チャンミンは顔を覆った私の手の平の間に、自分の鼻づらを強引にねじこむと、あとからあとへとこぼれ落ちる涙を舐めとっていく。

 

「よく話してくれましたね。

たくさんお泣きなさい」

 

頭の中に響いてくるチャンミンの言葉に、私は彼を抱き締めた。

 

ふかふかの毛皮、温かく柔らかい身体、冷たく濡れた鼻。

 

チャンミンはだらりと力を抜いて、私に抱かれるままでいてくれた。

 

チャンミンは凄い。

 

とても思慮深く賢いチャンミンは、単なる「生き物」じゃない。

 

さすが図鑑に載っていないだけある。

 

気が済むまで、涙が枯れるまで私は唸り続けた。

 

喉が嗄れてひりひりするまで声を出したのは、いつぶりだろう。

 

 

 

 

「自分じゃ気付かないんだ。

どれだけ心が傷ついているのか。

平気なふりをしているから、平気だと勘違いしてしまうんだ。

ミンミンの場合は、言葉にできずグッと気持ちを飲み込んでしまっているよね」

 

その夜、私はユノさんとポーチのベンチに並んで腰かけていた。

 

足元に蚊取り線香を焚き、ユノさんはプラム酒を、私は牛乳を飲んでいた。

 

屋外の作業が多いため、ユノさんの腕は真っ黒に日焼けしていた。

 

草原からは虫の、雑木林からはカエルの鳴き声、灯りに誘われた蛾やカゲロウが外灯の電球にパタパタとぶつかる音。

 

チャンミンは、というと、私とユノさんの膝の上に長々と寝そべっている。

 

昼間の水遊びと、私への心配とでお疲れなのだ。

 

それでも耳先を小刻みに震わせ、私たちの会話に耳をそばだてている。

 

「ユノさんには全部話しているよ」

 

「そうだね。

俺にはなんでも話してくれるよね。

でもね。

俺はミンミンじゃないし、どうしても大人の観点からものごとを見てしまって、ついつい厳しいことを言ってしまうことがある。

アドバイスにしても、人生経験をつんでいる立場からのものだから、ミンミンにとってピンとこないものも多いと思う。

単に話を聞くだけで済んでしまっていることもね」

 

「そんなことないよ。

ユノさんは力になってくれてるよ。

ユノさんにいっぱい助けてもらってるよ」

 

「そう言ってもらえると嬉しいね。

でもね、ミンミンと同じ目線で、それが悪いことであっても全部受け止めて、認めてくれる存在がいると最高だね」

 

「...チャンミンみたいな?」

 

「そうだよ。

よかったな、ミンミン?

なかなかそんな存在とは巡り合えないんだぞ?」

 

「私が犯人なの」と口にした時、チャンミンが怒ったことを思い出していた。

 

あれは、私の考えを単に否定するものではなく、私自身を肯定するための否定だったのだ。

 

 

(つづく)

 

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