(19)君と暮らした13カ月

 

 

~夏~

 

 

彼は泳ぎが得意だった。

 

私だけの遊び場では物足りなくなったころ、彼は上流を指さした。

 

他の子供たちは既に、別荘へと引き上げていった時間帯だったため私は頷いた。

 

上流の遊び場は、石を積んで川を堰き止めてあり、川底に転がる石に爪先をぶつける心配なく、下流よりもっとのびのびと泳ぐことができる。

 

まさしく天然のプールだった。

 

道路へ上がるための階段もあった。

 

一度体験してみたかった、巨岩から飛び込みをくたくたになるまで繰り返した。

 

冷たい飲み物を飲みながら、私たちは間にノートを挟んで会話した。

 

彼は、ひとりっ子であること、犬が好きで人参は嫌いなこと、家庭教師に勉強を教えてもらっていること、去年は海辺で夏を過ごしたこと、母親が神経質過ぎて困っていること。

 

私は、両親はいないこと、犬も人参も好きなこと、学校には通っていないこと、遠い親戚のお兄さんの家で暮らしていること、そのお兄さんが素晴らしい人であること。

 

日光であぶられた頭のてっぺんが焦げそうだったから、1枚のバスタオルを分け合った。

 

ヒグラシが鳴き始め、川面に伸びる巨岩の影が長くなる頃がさよならの時間だ。

 

この時だけは階段を使って一緒に道路へと上がり、「また明日」と手を振った。

 

帰宅が遅い息子を心配したのか、彼の母親らしい女性が通りへと出ていた。

 

こちらを食い入るように見ているので、きびすを返してその場を足早に立ち去った。

 

醜い私の顔にショックを受けたんだろうと思った。

 

 


 

 

何かを察したのだろう、チャンミンは私の膝に乗ってきた。

 

水に濡れていた時は閉じ込められていたチャンミンの体臭が、乾くにつれ香ってきた。

 

チャンミンの匂い...焼きたてのパンのような香ばしい匂いだ。

 

チャンミンのまだら模様の毛皮は、強い日差しであっという間に乾いていく。

 

私の太ももは、チャンミンの鼓動を感じとっていた。

 

とくとくと早い。

 

こんがりと焼けた火照った腕に、チャンミンの冷たく濡れた鼻が気持ちよかった。

 

チャンミンは全身の力を抜いて、私にすべてをゆだねていた。

 

ぐらぐら不安定な太ももの上で、ずり落ちないよう前足だけが私の片腕に爪を立てていた。

 

この角度だとチャンミンの顔は見えないけれど、白いまつ毛に縁どられた眼は考え深げにどこでもない一点を注視しているだろう。

 

大きな耳は私の方へと傾けられ、ぴくぴくと尖った耳の先を震わせていた。

 

チャンミンは私の話を最後まで聞き届けるつもりだ。

 

 


 

 

「今日は夕立があるかもしれない。

遅くならないうちに帰るんだよ?」

 

ユノさんにくしゃり、と頭を撫ぜられ、私は「もう!」と頬を膨らませて、乱れた髪を整えた。

 

休日だったユノさんは、ポーチでタミーにブラシをかけていた。

 

タミーは気持ちよさげにお腹を見せている。

 

ユノさんは毎日、別荘地へと出かける私の動機を知っている。

 

私をひやかしたり、彼について詳しく聞きだしたりせず、一歩下がった位置で見守っていた。

 

その日、午前中は雨降りで、今日の川遊びは中止かなとがっかりしていたら、正午には雲間から日が射してきた。

 

「行ってきます」

 

ユノさんに声をかけると、「彼と一緒に食べたらどうかな?」と、紙袋を手渡した。

 

中身はイチゴジャムを挟んだだけのパンで、不器用なユノさんらしくて笑ってしまった。

 

ユノさんなりに、私の恋を応援してくれていたのだ。

 

 

 

 

口の軽い管理人が触れまわったのもいけなかった。

 

私が彼を突き落としたことになっていた。

 

彼が川へと落下したその時、私は既に水中にいたというのに。

 

 

 

水面にぷかぷか浮かんで手を振る私に、彼も手を振った。

 

彼は巨岩の飛び込み台にいた。

 

午前中の降雨で少しだけ水かさが増していたけれど、大したことはなかった。

 

灰色の分厚い雲がみるみるうちに青空を、周囲から中央へと埋めていった。

 

突然、ビカビカっと雷光が空をキザギザに切り裂いた。

 

一瞬、彼の身体が逆光に浮かび上がった。

 

彼を呼びにきたのだろう、彼の母親が川岸に立っていた。

 

彼は不意に現れた母親に驚くと、帰るように手を振った。

 

彼女は水面に浮かぶ私に気付くと、川岸から巨岩へと飛び乗った。

 

巨岩の先にいる彼の方へと、危なっかしい足取りで近づいていく。

 

彼を連れ戻そうとしたのだろう。

 

もう一度、空が光った。

 

彼の元へたどり着いた母親は、彼の二の腕をつかんだ。

 

母親の手から腕を引き抜こうと、彼は身をよじった。

 

直後、雷鳴がとどろいた。

 

母親の指の力はあまりに強かったのだろう。

 

彼の身体がぐらりと傾いた。

 

あっという間のことだった。

 

背中から落下していった。

 

母親の叫び声は雷鳴にかき消された。

 

 


 

 

「チャンミン。

私はね、『犯人』なんだよ?」

 

チャンミンを抱き上げ、彼と目線を合わせた。

 

何かを言い聞かせたい時、チャンミンの反応を確かめたい時、いつも私は彼の瞳を覗き込むのだ。

 

チャンミンは後ろ脚で空を蹴り、私の腕の中から逃れた。

 

地面に下り立ったチャンミンは、怒っている風に見えた。

 

「犯人だ」だなんて自虐的な言葉を発したことに、チャンミンは怒ったのだ。

 

「ミンミンが『犯人』だなんて、僕は信じませんからね。自分を悪い風に言うのはおやめなさい」って思っていたらいいな、と思った。

 

「安心して。

彼は死んでいない...助かったよ」

 

チャンミンの眉根が持ち上がり、ボタンのような白い眉毛が下がった。

 

チャンミンは私の太ももの上に飛び乗ってきた。

 

私は続きを語り始めた。

 

 

(つづく)

 

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