(18)君と暮らした13カ月

 

 

~夏~

 

 

一番端の別荘の手前で道を外れ、もう一度斜面を下る。

 

涼し気な川音に向かって慎重に、1歩1歩足元を確かめながら下りていく。

 

「滑るからゆっくりだよ」と、チャンミンに何度も声をかけた。

 

別荘地からだと管理人が作った階段があるが、それはしたくない。

 

後ろ向きになって下りるチャンミンが、人間みたいでおかしかった。

 

抱っこしてあげた方がいいかな、それともリュックサックに入れてあげた方がいいかな、と思った時、私の脇を茶色い塊が通り過ぎた。

 

「チャンミン!」

 

ごろんごろんと転がっていくチャンミンは、ボールそのものだった。

 

慌てた私は斜面に長靴を滑らせ、チャンミンを追った。

 

尖った葉先が頬や腕にかすり傷を作った。

 

河原の砂地にひっくり返ったチャンミンを抱き起し、彼の身体じゅうを点検した。

 

チャンミンがおデブさんで助かった。

 

舌を口からはみ出させ、びっくり眼のチャンミンは無傷だった。

 

 

 

 

チャンミンのことだから川に飛び込むかと予想していたのに、反してチャンミンは慎重派だった。

 

前足の先っちょを水に浸し、キンと冷たい水温にビクッとした後、そろりそろりと身体を浸していった。

 

数メートル浅瀬が続き、湾曲したところに私の身長以上より深い淵がある。

 

水底まで潜って綺麗な石を拾って浮上する遊びがお気に入りだった。

 

浮上する度、チャンミンの様子を窺った。

 

チャンミンは浅瀬で盛大に水しぶきを上げて走り回っていた。

 

遊びに夢中になっているのに安心し、私はとび上がって勢いつけて再び潜水した。

 

この谷川にはこういった箇所がいくつかある。

 

別荘地がある上流では、ここよりももっと深い淵がある。

 

川面に張り出す形の巨岩は、格好の飛び込み台となっていた。

 

天然のプールに大喜びの都会っ子が飛び込むところを、何度か見かけたことがある。

 

太陽が最も高くなる頃が彼らの水泳時間で、私はその時間帯を避けようと、午後3時まで待っていた。

 

水の中で目を開けると、日光が透明過ぎる水を貫いて光の筋を作り、川底に光の輪っかが揺らめいていた。

 

泳ぐ川魚たちはうろこにそれを反射させ、私の動きに合わせて散っていった。

 

ごうごういう水中の音に覆われていると、真空空間にいるみたい...聴いたことはないけれど...だった。

 

雑木林を抜ける時もそうだけど、川に沈んでいる時は特にそう。

 

口を開けば押し寄せる水で窒息してしまうから、口をつぐんでいればよい。

 

頭上にチャンミンのお腹が通り過ぎた。

 

水かきの要領で、四肢は忙しく駆け足している。

 

川原で遊んでいるのが物足りなくなって、私を追ってきたのだ。

 

すでにびしょ濡れになっているのに、これ以上は絶対に顔を濡らすまいとつんと顎を持ち上げている。

 

チャンミンは泳げることを発見した。

 

たっぷり川遊びをした私たちは、川岸にタオルを敷いて休憩をした。

 

「ねえチャンミン。

私の話を聞いてくれる?」

 

チャンミンは私の親友。

 

ぎらつく太陽で石は火傷しそうに熱く、チャンミンもタオルの上でお座りしていた。

 

「どうぞお話ください」と、私をじぃっと見上げ、首をわずかに傾げた。

 

「私たちがあっちで泳がないのは...」

 

上流の方角をさした指につられて、チャンミンの頭も振り向かれた。

 

「私はなにかと問題児なんだ。

おととし、私は事件を起こしたんだよ」

 

『事件』の言葉にチャンミンの眼がわずかに大きくなった。

 

チャンミンは私の言葉を理解できるのだ。

 

「それなのに不思議だね。

普通の神経の持ち主なら二度と近づきたくないでしょうね。

でも私はあべこべだから、ここは平気だったりする。

なんでだと思う?」

 

チャンミンはさっきより深く首を傾げた。

 

「はて、なんだろう?」と考えを巡らしているように見えた。

 

「夏が終わると皆、都会へ帰ってしまうからかなぁ。

それにここは貸別荘が多いんだ。

毎年違う都会っこが来るんだよ」

 

チャンミンの前足が私の足の甲にとん、と乗った。

 

「事件について知りたいんだね。

秘密でもなんでもないよ。

街の人たちも知っていることだから」

 

 

 

 

彼は綺麗な男の子だった。

 

年齢は私の1つ上だった。

 

2年前の夏。

 

彼は私のいる下流へと、川原づたいに下ってきたのだ。

 

川遊びの時間はとうに過ぎ、子供たちの多くは昼寝時間だった。

 

昼間からお酒を飲む大人たちのはしゃぐ声が、静かな別荘地に響いていた。

 

彼は騒がしいのが苦手な子だった。

 

そして無口な子だった。

 

ひとり静かに近づく彼に気付けず、脱いだ洋服をかき集めて藪の中に隠れる間がなかった。

 

とっさに麦わら帽子を取ろうとした時、風が吹き渡った。

 

帽子は風にさらわれ、くるくる回転して飛んで行き、川面に落ちた。

 

(流れされる!)

 

ユノさんのお下がりだった帽子が流されてしまう、焦ってそれを追おうとした。

 

すると彼は腕で私を押しのけ、ざぶざぶ水面をかき分け流れへと入っていった。

 

麦わら帽子は回転しながら、突き出た石にひっかかったり、流れにのったりと遠ざかっていく。

 

私は固唾をのんで彼の後ろ姿を見守った。

 

淵の辺りで浮かんでいた帽子をつかむと、それをかぶり、すいすいと泳いで引き返してきた。

 

水から上がった彼は、私の頭に帽子を乗せた。

 

恥ずかしくて 私は「ありがとう」も言えずにうつむいていた。

 

水着から突き出た彼の棒のような足、濡れたスニーカー。

 

避暑にやってきて間もないのか、首と腕が日焼けしたての真っ赤な肌をしていた。

 

水着の上にTシャツ姿は私と同じだった。

 

濡れて肌に張り付いたTシャツの下の身体は、痩せて薄かった。

 

麦わら帽子のつばの下から、彼をそうっと観察していた。

 

私たちはタオルの上に並んで腰かけ、川を眺めていた。

 

彼も私も黙っていた。

 

彼は口がきけない子なのかもしれない、と思った。

 

だから安心して私も黙っていられた。

 

はじめて視線を交わした時...私が自惚れていただけなのかもしれないけれど...彼は「私を認めた」と感じた。

 

蝉の鳴き声がやや弱まり、私たちの影が長くなってきた頃、彼は立ち上がった。

 

差し出された手の意味が分からなかった。

 

彼はこくりと頷き、その手が私のためのものだと分かると、私はそっと手を置いた。

 

力強く握った手は、太陽で温もった熱いものだった。

 

彼と対面して恥ずかしくなり、私は麦わら帽子をより深くかぶった。

 

片手をあげると、彼は上流へと戻っていった。

 

私も手を振った。

 

石と石との間を器用に飛び移り、少しも危なっかしくない確かな足取りだった。

 

翌日から毎日、雨の日を除いてこの川原で彼と会うのが日課になった。

 

ユノさんは「好きな子でもできた?」とニヤニヤ笑っていて、私は「そうだよ」と素直に認めた。

 

 

(つづく)

 

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