(17)君と暮らした13カ月

 

 

~夏~

 

 

風のない日だった。

 

私とチャンミンは、ポーチのベンチにぐったりとだらしなく座っていた。

 

暑さが堪えているチャンミンの呼吸は早く、舌は出しっぱなしだ。

 

プラムを漬けたシロップを、水で薄めたものを飲んでいた。

 

からからと氷がたてる音が涼やかだった。

 

グラス表面の水滴が指先を冷たく濡らし、チャンミンの鼻に押し当ててやった。

 

チャンミンの身体で唯一体温調整できるのは鼻だと、ユノさんに教えてもらったからだ。

 

プラムジュースをガラスボウルに注いで、チャンミン用に用意した。

 

チャンミンの頑丈な顎はゴリゴリ氷をかみ砕き、長い舌であっという間にボウルの中身を飲み干してしまった。

 

「暑いね~」

 

手にした団扇を自分とチャンミンと交互に扇いだ。

 

団扇で扇いでやるとチャンミンは気持ちよさげに目を閉じ、彼の次は私の順番。

 

汗がにじむ首元を扇いでいると、私の腕にとん、と前足を置いて「そろそろ僕の番ですよ」と催促する。

 

牧草は厳しい暑さで茶色く枯れている箇所がところどころあった。

 

自前のセーターを着た羊たちは、数本の樹木があるだけのささやかな林で涼んでいた。

 

空と草原の境界線は、そこだけ空気が歪められてゼリーの層が出来ていた。

 

「チャンミン、あれが陽炎だよ。

見える?」

 

チャンミンはお付き合い程度にちらと視線を向けただけで、ベンチの下にもぐり込んでしまった。

 

チャンミンは陽炎には興味がないようだ。

 

花壇に植えたヒマワリは、ぐったりと頭を垂れている。

 

ひまわりの種をチャンミンにあげたら食べるかな?

 

きっと大好きだろうな。

 

暑い暑いといいながらポーチにいたのは、これからしようとすることに迷っていたせいだ。

 

裏手の雑木林へ散歩に出かけるには、少しばかり勇気が必要だったのだ。

 

用意はできていた。

 

洋服の下に水着を着こみ、リュックサックには必要なものを詰め込んであった。

 

タオル、お菓子、万が一のためにチャンミン救出用のロープ。

 

カーキ色のこの大きなリュックサックは、ユノさんからのお下がりだ。

 

引きこもりのせいで出番のなかったこれが、チャンミンとの散歩で大活躍している。

 

笹やイラクサでひっかき傷をつけないよう、長靴を履いてもいた。

 

私の足元がいつものサンダル履きじゃなく長靴だということに、チャンミンは気づいているのに気づいていないフリをしていた。

 

チャンミンの眼が期待できらきら輝いていたから、それがフリだと私にはバレていた。

 

「暑いですねぇ」とベンチの下で腹ばいになって、昼寝するふりをしている。

 

「よし!」

 

すっくと立ちあがりリュックサックを背負うと、ベンチの下からチャンミンは転がり出てきた。

 

いつものチャンミンは、先へと駆けてゆき私が追い付くのを待って、再び私を先導していくのだが、彼にとってはじめての雑木林。

 

この日のチャンミンは不安なのか、私の後を追ってくる。

 

林の中へと足を踏み入れると、鬱蒼と茂る葉でぎらつく日光は遮られ、気温が3度ほど下がったように感じられた。

 

やかましい蝉の声との距離が縮まった。

 

太い脚のわりにチャンミンの足先は小さい。

 

木の葉が降り積もった湿った地面は柔らかく、私たちの足裏を受け止めた。

 

蝉の音を除けば、ガサガサと笹の葉をかき分ける音だけだった。

 

「チャンミン!

食べちゃダメ!」

 

私は悲鳴をあげた。

 

チャンミンは木の根元に生えたクリーム色のキノコに興味津々だった。

 

鼻の穴でキノコを吸い込みかねないほど、鼻をうごめかしている。

 

「毒だよ、毒!

死んじゃうよ!」

 

私はチャンミンを突き飛ばし、辺りに生えていたキノコをひとつ残らず踏み潰した。

 

「なんでもかんでも口に入れていいってものじゃないよ!

お前は食い意地が張ってるんだからっ!」

 

その間チャンミンは、今まで見せたことのない私の剣幕にポカンとしていた。

 

突き飛ばされ腰を抜かしたようにお尻を落としたチャンミンに、私は我に返った。

 

「ごめん。

ごめんね」

 

恐怖と怒りの形相を解くと、チャンミンはそろり立ち上がって私に歩み寄り、鼻づらをこすりつけた。

 

チャンミンと目線が合う高さまで抱き上げ、

 

「びっくりさせてごめんね。

そうだよね、チャンミンは知らなかったもんね」と謝った。

 

チャンミンの眼に、木漏れ日と梢が作る影が映り込んでいた。

 

「あともう少しだよ。

出発進行!」

 

私はチャンミンを地面に下ろし、彼を先導して傾斜の緩やかな林の中を突き進んでいった。

 

私たちの家の裏手の雑木林を2、3百メートル上ると舗装された道路に出る。

 

それは別荘地へと続く道であり、メインストリートでもある。

 

管理人の手入れにより、道際の雑草は短く刈られている。

 

十数棟の建物が樹木や塀を境界線に、十分な間隔をもって建っている。

 

去年は見かけなかった自働車が2,3台駐車していた。

 

別荘地を突っ切った方が近道になるが、今の私はチャンミンを連れている。

 

みすぼらしい田舎者の自分をさらすのも恥ずかしかったし、他にもいくつかの理由があった。

 

私には出来ない理由が沢山あり過ぎる。

 

そして、沢山の矛盾も抱えている。

 

思い煩うことなく、怖いもの知らずで何でもできたらいいのに、と思う一方、どうにでもなれ、と無茶なことも出来てしまう。

 

2年前、とても怖い思いをしたというのに、水遊びの用意を整えてチャンミンとここに来ている。

 

私の神経は、あるところでは極端に過敏で、別のところでは鈍感なのだ。

 

多分、心のセンサーが壊れているのだと思う。

 

ユノさんは、「人間誰しも矛盾だらけだよ。ミンミンにはおかしいところは全くない」と言い聞かせてくれるんだけど...。

 

 

(つづく)

 

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