(16)君と暮らした13カ月

 

 

~夏~

 

 

私はポーチに腰掛けてユノさんの帰宅を待っていた。

 

隣にはチャンミンはおらず、私ひとりだった。

 

夕立後の生暖かい空気は濃密で、リンリンシャンシャンと虫の鳴き声に包まれていた。

 

裏手の雑木林、前庭、前方に広がる草原...何万匹もの虫が潜んでいる。

 

空も草原も濃紺に塗りつぶされている。

 

今夜は新月で、宇宙に散らばる星々も一面を覆う雲によって隠されていた。

 

室内から漏れる灯りだけが頼りで、私の影がポーチの階段から前庭へと伸びていた。

 

空と草原の境界線に、黄色い灯りを2つ見つけた!

 

気が急いていた私は立ち上がり、ヘッドライトが近づいてくるのをじりじりと待った。

 

トラックは前庭に頭を突っ込む格好で停車した。

 

エンジン音が止まると、再び辺りは虫の声で包み込まれた。

 

ユノさんはただ事じゃない様子の私に、トラックから素早く飛び降りると、

 

「ミンミン、どうした?」と駆け寄った。

 

ヘッドライトで目が眩み、視界がチカチカしていた。

 

「あのね、チャンミンがね」

 

「チャンミンが?

また何かやらかしたのか?」

 

「うん、ちょっとした非常事態なの」

 

ユノさんが帰ってきたから、もう大丈夫。

 

 

 

この日の午後、チャンミンは生まれて初めて雷を経験した。

 

夕方、私と草原を走り回り疲れたチャンミンは、ラグの上で昼寝をしていた。

 

冬の間中さんざんお世話になったタミーの毛皮は暑いからと、彼から離れたところで仰向けになっている。

 

空が灰色の雲に覆われはじめ、慌ててポーチの軒下に干した洗濯物を取り込んだ。

 

薄暗くなってきたのが心細くなったのか、チャンミンは目をしょぼしょぼさせて私の足元まで移動してきた。

 

自習中の私は、チャンミンのために足をぶらぶら揺らし、彼はじゃれついて私の靴下を噛んでいた。

 

「いったいなぁ!」

 

チャンミンの小さな犬歯が私の皮膚に食い込んだのだ。

 

テーブルの下を覗き込んで、怖い顔をしてチャンミンを睨みつけた。

 

ちょうどその時、ピカッと窓の外が光、遅れて雷鳴が轟いた。

 

窓ガラスがびりびり震えるほどの大きな雷鳴だ。

 

よほど驚いたのだろう。チャンミンのずんぐりした身体が、宙を一回転した。

 

慌てるあまり短い脚はもつれ、床に爪を滑らせながらも台所の食器棚の下に滑り込んだ。

 

「チャンミン?」

 

私は四つん這いになって食器棚の下を覗き込んだ。

 

チャンミンはガタガタと震えていて、短い尻尾でお尻の穴を隠していた。

 

恐ろしい音を聞きたくないとばかりに、大きな耳を伏せて耳の穴を塞いでいる。

 

「チャンミン?」

 

外は土砂降り雨で、ざあざあうるさい。

 

水を吸い込んだ土埃の匂いがする。

 

草原は雨しぶきでけむり、白く霞んでいた。

 

三角屋根と頑丈な柱と壁が、雷の音と土砂降りから守ってくれる、ここは安心できる空間なのだ。

 

懐中電灯で照らしてみた。

 

私の呼びかけにチャンミンは身体の向きを変えた。

 

懐中電灯の灯りに、チャンミンの眼が赤く光っていた。

 

チャンミンは腹ばいの姿勢でにじり寄ってきた。

 

ところが、食器棚の縁に大きな頭がつっかえて、鼻先しか外に出せない状態だった。

 

「チャンミン、お尻から出ておいで」

 

チャンミンは頭とお尻を食器棚の底板にこすりつけながら方向転換すると、こちらにお尻を向けた。

 

顔を出せたのはチャンミンの尻尾だけだった。

 

「我慢してて!」

 

チャンミンの尻尾をつかんで引っ張った。

 

駄目だった。

 

敏感な尻尾をぎゅうぎゅう引っ張られる間、チャンミンは我慢強く悲鳴ひとつあげなかった。

 

食器棚の隙間の高さと、チャンミンのコビトカバ的お尻を見比べても、無理なのは明らかだった。

 

「嘘...出てこられないんだ」

 

「はい...すんません」と、面目ないといった風に顎をぺたり、と床につけた。

 

どうして出られなのに、もぐり込むことができたのか不思議でたまらない。

 

非常事態を察したチャンミンの身体は、その瞬間だけ縮んだのだろうか。

 

チャンミンを不安がらせないよう、私はそこから離れるわけにはいかなかった。

 

 

私はあらかじめ、食器棚のお皿は全て外に出し、引き出しも外しておいた。

 

ユノさんと私は掛け声を合わせ、食器棚を持ち上げた。

 

この食器棚はどっしりとしてとても重く、5㎝持ち上げるのがやっとだった。

 

「チャンミン!

出て!」

 

私の合図に、弾丸のようにチャンミンが飛び出してきた。

 

解放されて余程嬉しかったのか、部屋中を狂ったように走り回っていた。

 

ラグはくしゃくしゃになっている。

 

チャンミンはホコリの塊になっていた。

 

干からびた野菜の皮らしきものや虫の死骸もくっついている。

 

「あの食器棚は俺が引っ越してくる前からあるんだ。

この家が建った時から、一度も動かしたことがなかったりして...」

 

「チャンミンがモップになって掃除をしてくれたね」

 

私とユノさんは顔を見合わせ、クスクス笑った。

 

 

 

 

最寄りの街に住む子供も大人も、私を知っているからみんな怖い。

 

私のことを気持ち悪がり、暴力的な子供だと顔を背けるのだ。

 

「親の顔が見たいわ」「一体、どんな育てられ方をしたのかしら」

 

だから、街には行かない。

 

私には友だちがいない。

 

自分のペースで気ままにいられるひとりぼっちも好きだけど、どうしようもなく寂しさに襲われる時もあった。

 

私を知らない子なら...それも、私が心惹かれたあの子になら、近づいても大丈夫かな、と思った。

 

とても素直そうな、優しそうな子だったから。

 

それも2年前のことだ。

 

今の私は...私の顔を見せられるのは、ユノさんとタミーと、そしてチャンミンだけだ。

 

 

(つづく)

 

 

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