(31)君と暮らした13カ月

 

 

~冬~

 

あいつだった。

 

1年前、ユノさんにこの家から追い出された、あの男だった。

 

男はポーチの影から現れた私に気付き、驚いてみせた後、笑顔になった。

 

「あいつにいたずらされていないか?」

 

男はひとりじゃなく、連れがいた。

 

「声が出せないんじゃあ...可哀そうに。

お前じゃあ、あいつの好みじゃないから、それはないか?」

 

ぎゅっと唇を噛みしめた。

 

1年近くの間、この男に懐いていた自分が馬鹿みたいだった。

 

私の後ろでチャンミンが「くるるる」と喉を鳴らす音が聞える。

 

「噛みついてあげましょうか?」

 

「我慢して。

騒ぎになっちゃうから」

 

「なんだその不細工な犬は?」

 

私の中で何かがぷつん、と切れて、気付いたらスコップを振りかざしていた。

 

振り下ろそうとした間際で、私のジャンパーが後ろに引っ張られ、その勢いで私は尻もちをついた。

 

私の手から投げ出されたスコップは、傍らの雪の山に刺さった。

 

「あなたが手を出したら、騒ぎになりますよ」

 

私を止めたのはチャンミンだった。

 

今は不細工であっても、チャンミンは進化の途中なのだ。

 

今は例え不格好であっても、大人になれば...もしかしたら...美しい生き物に変化するのだ...きっと。

 

男は私に近づくと、私のあごを片手でつかんだ。

 

指が頬に食い込んで痛かった。

 

「相変わらず綺麗な顔をしている」

 

私は即座に顔を背けた。

 

顔を見られるのは...嫌いだ。

 

チャンミンの喉を鳴らす音がより大きくなったので、私は手を振って襲ったりしないよう彼を制止した。

 

男に負けるものか、と私は彼に向き直って、眼力を込めて睨みつけた。

 

男は私から手を離すと、私の狂暴な眼に怯んだ自身を隠すかのように、その場に唾を吐き捨てた。

 

もし私が大人の女の人だったら、ユノさんを「放っておかない」...大人の男の人だったとしても同様だと思った。

 

ユノさんを好きになる人は、いい人であって欲しいと思った。

 

車に乗り込んだ二人が雪原の彼方に消えたのを見届けた時。

 

チャンミンは見事なジャンプ力で貼り紙に飛びついた。

 

地面に着地すると、むしり取ったそれをむしゃむしゃ食べてしまった。

 

私は男が唾を吐いたあたりの雪をすくい、前庭の外へと投げ捨てた。

 

ユノさんを守った満足感でいっぱいだった。

 

チャンミンと顔を見合わせ、頷き合った。

 

ユノさんに守られているばかりでいられない。

 

私も強くならないと。

 

 

誕生日を翌々日に控え、私はその準備に勤しんでいた。

 

輪っかにした折り紙を繋いだもので、壁を飾り付けた。

 

ギンガムチェックのテーブルクロスにアイロンをかけた。

 

花はユノさんが仕事帰りに買ってきてくれる予定になっている。

 

去年まではここまでのことはしなかった。

 

ユノさんの為に編んだセーターも3日前には完成し、包装紙に包まれ私の部屋に隠してある。

 

チャンミンとタミーへのプレゼントも、ちゃんと用意してある。

 

今日やるべき用意は済んだので、私は読書の続きに戻ることにした。

 

主人公の娘が父親くらい年の離れた男性に恋をする物語に、私は胸をときめかしていた。

 

ページをめくるたび、チャンミンにポップコーンを放ってやる。

 

チャンミンは私の指先の動きに注視しており、ポップコーンを摘まむと同時に口を開ける。

 

5回に1回は意地悪をして、そのポップコーンは私の口に入ってしまう。

 

チャンミンはじつに恨めしそうな眼で、私をじぃっと見上げていた。

 

「あっ!」

 

チャンミンは私の靴下を引っ張り脱がすと、それを咥えて行ってしまう。

 

「こら!」

 

台所のシンクの下で、私の靴下をしゃぶるチャンミンを抱き上げた。

 

これまで何度、頬ずりしただろう。

 

チャンミンのお腹に頬を埋めた。

 

いつまでこうしていられるだろう。

 

裸足の足裏に、台所のタイル床は氷のように冷たかった。

 

 

チャンミンを抱っこしたまま窓辺に近づいた。

 

窓ガラスが白く凍りつき、外の景色を見渡せない。

 

ガラスを透かして雪灯が注ぎ込み、室内を薄明るく照らしていた。

 

人里離れたこの地の日中、動物たちはじっと身を潜めているか、もしくは冬眠してしまっている。

 

雪は音を吸い込んでしまうし、風が揺らすはずの草木の葉は秋のうちに落ちてしまった。

 

静かな午後。

 

静寂過ぎて、別荘地の川のせせらぎ音がここまで聞こえてきそうだった。

 

白々とした明るさに満ち、静まり返った室内にいると、思い出すことがある。

 

雪灯りにチャンミンの琥珀色の瞳は、ハチミツ色に透けていた。

 

「ん?」というように、チャンミンは私を見上げる。

 

白いまつ毛に縁どられた大きな大きな眼。

 

視力があるのか疑ってしまうくらい美しい瞳だ。

 

チャンミンに見つめられて、瞳の中に溶けてしまいそうだった。

 

鮮明に思い出しても、今の私なら平気だ。

 

2年前に起こったことを。

 

 

(つづく)

 

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