~冬~
チャンミンは私の後をどこまでも付いてくる。
まるでカルガモの雛のようだった。
それが本能からくる刷り込みなのか、私を慕っているのかはチャンミンに尋ねてみないと分からない。
さほど広くない家なのに、トイレにも寝室にもチャンミンは付いて回る。
私は短足のチャンミンの歩みに合わせる、ちゃんと付いてきているか、何度も振り返る。
4本の脚を動かすことに必死で、大きな耳が重たげにチャンミンは頭を落とし、足元しか見ていない。
時折頭を持ち上げ、私のかかととふくらはぎが視界にあるか確認している。
意地悪をしたい欲求を抑えるのがやっとだった。
ドアの陰に隠れた私...前方にあるはずの私の足が忽然と消えて、パニックになるチャンミンを見たくて仕方がなくなる...けれども、そんなことはできっこなかった。
チャンミンのママは私なのだ。
・
チャンミンの1日は、私の足を執念深く追いかけているか、ミルクを飲んでいるか、眠っているかのいずれだ。
タミーのお腹を枕に、チャンミンは仰向けに寝ている。
チャンミンという生き物は、お腹を上にして眠る習性があるのだろう。
鍋いっぱいのミルクを飲んで、チャンミンの下腹はこんもり膨れている。
後ろ脚は大股広げで、胸の上で曲げた前脚は行儀よく揃えている。
私はチャンミンの隣に横たわり、間近から彼を観察した。
常に濡れている鼻は乾いていた。
大きな耳は、頭の両脇に垂れている。
すーすーと寝息をたてて、後ろ脚が稀にぴくぴくっと痙攣しているのは、夢を見ているだろうな。
見れば見るほど不格好な姿だけど、私の目にはたまらなく可愛らしく映っている。
私とチャンミンは似た者同士。
私も醜い見た目をしているからだ。
ここに暮らすようになってすぐ、ユノさんは洗面所の鏡を取り外してしまった。
タイル張りの壁には、鏡を吊り下げていたフックだけが残されている。
だから、出勤前にひげを剃る習慣にしているユノさんは苦労していて、剃り残しがないかチェックをするのが私の役目になっている。
ラグに横たわっていた身体を起こした。
雪降りの日が一週間続いている。
グレーの雪雲に空は覆われて、昼間なのに家の中は薄暗かった。
私とチャンミン、タミーは雪に閉じ込められている。
早朝、ユノさんが雪をかいて作ってくれた小径が隠されてしまった。
そろそろチャンミンのトイレの時間だ、ポーチの雪をかいておいてやろう。
チャンミンの後ろ脚がパタパタっと宙を蹴った。
夢の世界のチャンミンの脚は小鹿のように長く、雪野原を跳ぶように駆けているのかもしれない。
オーバーを着た私はチャンミンを見下ろして、当分目を覚ましそうにない様子に安心して、外へ出た。
・
リビングと台所、寝室が二つ、浴室があるだけの、三角屋根の小さな家。
深緑に塗られたペンキはところどころ剥がれている。
東向きの玄関の前にはポーチがあって、そこの階段から前庭に下りられる。
一面草原...冬の間は雪に覆われている...が広がっていて、斜め前にプラムの木が植わっている。
ゆるやかな蛇行を描いた道が...私たちの家に用事がある者しか通らない...雪原の彼方まで続いている。
今朝、ユノさんのトラックが付けた轍は当然、消えてしまっている。
スコップでポーチの上を、次に階段を、最後に階段から道路までに小径を作った。
「ふぅ...」
作業を終えた頃には、息があがり、マフラーを巻いた首に汗をかいていた。
これで帰宅したユノさんは困らないだろう。
「あ...」
雪原と道路が視界から途切れる一点からこちらに向けて、自動車が近づいてくるのに気づいた。
私はスコップを放りだして、家の中に駆け込んだ。
靴を脱いだ途端、靴下が生温かいものを踏んだ。
チャンミンの粗相の後だった。
最近のチャンミンは、何をすると私の機嫌が悪くなるのか分かるようになっていた。
チャンミンは、というと...テーブルの脚の陰に、首をすくめて伏せの姿勢でいた。
上目遣いに私を見上げている。
すんません、ママがいなかったもので、我慢できなかったもので...といった風に。
私の叱責を覚悟した表情だった。
目覚めのおしっこがしたくなったチャンミンは、ドアをカリカリ引っかいたのに、外にいた私は気づかなかった。
それ以前に、私の姿が視界にいなくて、パニックになってお漏らしをしてしまったのかもしれない。
「怒ってないよ」
テーブルの前でひざまついて両手を広げると、チャンミンはよちよちと走り寄ってきた。
私はチャンミンを抱き上げて、頭を撫ぜた。
自働車が停車する音が聞えた。
郵便配達員がポーチの階段を上る音が聞えた。
ポストの蓋を開ける蝶番がきしむ音まで聞えた。
雪降る日は、どんな微かな音も大きく響き聞える。
私はチャンミンを抱き締めたまま、じっとしていた。
・
「明日、街へ行く予定なんだ。
ミンミンも一緒に行くか?」
「留守番してる」
「買ってきて欲しいものはある?」
「ううん。
図書館に寄って欲しいな」
ユノさんに本のリストを書いたメモ用紙を渡した。
「家の中に閉じこもっていないで、もっと外出しなさい」なんて、一言も言ったことはない。
それでも毎回、「一緒に行く?」と尋ねてくれる。
何千回も誘ったら、いつか「一緒に行く」と私が答える日を待っている。
「そうだ!
首輪!
首輪があったら買ってきて」
ユノさんは、咎めと優しさの交じり合った眼で私を見た。
「チャンミンに首輪をしたいと思ってる?」
虚をつかれた私は、数秒間考えてから、
「ううん」
首を振った。
(つづく)
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