(9)君と暮らした13カ月

 

 

~春~

 

 

ユノさんの帰りを待つ間、何かすべきことはないか頭を巡らしていた。

 

食事の用意も未だ早い、ホコリをはたいたラグはポーチの手すりに干してある、雑草も生えていない、今日の勉強のノルマも済んでいる。

 

虫の鳴き声も農園のトラクタのエンジン音もなく、プラムの木にとまった小鳥がさえずる歌だけ。

 

何をすべきで、何がしたいことなのか、私には分かっていた。

 

チャンミンはプラムの木のたもとを、前脚でほじくりかえしている。

 

陽気のよさに冬眠から覚めたトカゲでも見つけたのか、尻尾を千切れんばかりに振っている。

 

チャンミンが掘り返したのは、泥だらけのどんぐりの実だった。

 

家の裏手の雑木林を振り仰いだ。

 

きっと、冬ごもりの食糧にと埋めた場所をリスが忘れてしまったものだ。

 

決心がついた私は、スニーカーから長靴に履き替えた。

 

ぬかるんだ地面でスニーカー(ユノさんが買ってくれたばかり)を汚したくない。

 

裏口の壁に引っかけてあるロープの束に、一瞬迷った。

 

これくらい長いロープなら、自由に歩き回れるし、もっと遠くへ行きたがっても引き戻すことができる。

 

雪どけ水で増水した小川に、チャンミンが落っこちてしまった時にも役に立つ。

 

でも、ユノさんの言葉を思い出して、ロープにかけた手を下ろした。

 

ふと思いついて、家の中にリュックサックを取りに戻った。

 

チャンミンが歩き疲れてしまって、その場でへたりこんでしまったら、抱っこするよりもこのリュックサックに入れて運ぶ方が楽ちんだからだ。

 

スイカ1個分ほど重いんだもの。

 

プラムの木の下に飽きたチャンミンは、ユノさんが薪割りに使う切株の下の採掘にとりかかっていた。

 

後ろ脚をがに股に踏ん張り、両前足を高速回転させている。

 

一心不乱過ぎて、おかしな顔になっている。

 

「チャンミン!」

 

穴掘りに夢中になって、私の存在を忘れていたチャンミンは我にかえった。

 

首をすくめて猫背になり、白い眉(チャンミンを表情豊かにしている)を下げ、バツが悪そうな、恥ずかしそうに、「すんません。世紀の発見をしたもので」と言い訳しているみたいな表情をしている。

 

泥だらけの鼻づらと前脚で飛びつくんだから、ズボンの膝が汚れてしまった。

 

前庭の方から、自動車が停車する音が聞えた。

 

不意打ちに背中をどんと、叩かれたかのように私の心臓は跳ねた。

 

「チャンミン!」

 

チャンミンを呼び止めたけれど、遅かった。

 

何事かと前庭へと駆けて行ってしまったのだ。

 

私一人ならじっと、来訪者が家を離れるまでじっと身を潜めていたのに。

 

お客に噛みついて怪我をさせたり、去る自働車を追いかけて行ってしまったらいけない。

 

恐怖感よりもチャンミンが心配な気持ちが勝り、彼を追った。

 

宅配便のワゴン車が玄関前に停車していた。

 

助かった、と思ったのもつかの間、玄関のドアを叩いていたのは、いつもの配達員のおじさんじゃないことに、逃げだしたい気持ちが膨らんでいく。

 

私に気付くと、その若い配達員は「お届け物です」と胸ポケットにさしたペンを差し出した。

 

「ここにサインを」

 

私はペンを受け取り、指定の欄にユノさんの名前を記した。

 

配達員は本来なら学校に行っている曜日と時間に、子供が家にいることに、疑問を持ったようだ。

 

「ずる休み?」

 

激しく首を振ったけど、配達員の言い方に咎めるつもりはなさそうだったため、私はこくり、と頷いた。

 

「あれは...犬?」

 

配達員はポーチの下を指さした。

 

今度も首を横に振ったけれど、説明をしなければならないことにハッとして、こくんと頷いた。

 

犬じゃなければ、何?

 

その答えを私は用意できていない。

 

チャンミンはポーチの下にもぐり込んで、薪の陰から片目と鼻先を出していた。

 

好奇心は隠し切れず、肌色の鼻はひくひくうごめき、眼は光っていた。

 

チャンミンは名もなき種類の生き物なのだ。

 

チャンミンが身を隠してくれて助かった。

 

犬にしては大きな鼻と、大きな眼、大きな耳を持っている。

 

「雑種かな?」

 

頷くか首を振るだけの私を、内気な子供だと思ったのだろう。

 

愛想よく話しかけても黙ったままの私に、配達員は「仕方がないな」といった風に苦笑した。

 

配達員は小包を私に渡すと、次なる配達場所へとワゴンに乗り込み去っていった。

 

私はワゴンが完全に見えなくなるまで見届けたのち、安堵のため息をついた。

 

「チャンミン、おいで」

 

もう安心だよ、と手招きした。

 

チャンミンは弾丸のように私の胸に飛び込んできた。

 

私のセーターは泥だらけになってしまった。

 

 

 

 

チャンミンには私の声が届く。

 

もちろん、ユノさんにも。

 

それから、耳が遠くなっているタミーにも。

 

小鳥のさえずりに耳をすませながら、私は喉に触れた。

 

私の喉の奥で堰き止められた無音の声を聴きとろうと、チャンミンは大きな耳をそばたてている。

 

どうしよう、私の心の声も聴こえていたら!

 

大丈夫だ。

 

チャンミンは私の一部のようなものだから。

 

目に入れても痛くない、とはこんな感じなんだろうな。

 

もし私が悪いこともしたとしたら、チャンミンはそのまま真似をするだろう。

 

チャンミンにとって、私がすることはなんでも「YES」なのだ。

 

「チャンミン」と呼ぶと、チャンミンの尖った耳先がぴくぴくと動いた。

 

 

(つづく)

 

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