(2)19歳-初恋-

 

 

俺の初恋は、いつだったんだろう。

 

恋心とはどういうものを指すのだろう。

 

知らぬ間に目で追っていて、ひとこと言葉を交わすだけで心が躍り...もっともっと近づきたいと望む...なのだろうか。

 

屋敷を出た俺は、家族と使用人だけの閉じた世界からも飛び出した。

 

新鮮だった。

 

多くを期待されない気楽さ。

 

人間とはいろんなタイプが存在するんだな、と興味津々で、彼らとの交流に夢中になった。

 

チャンミンといるだけでは得られなかったことだらけだった。

 

 


 

 

この屋敷でのチャンミンの存在理由は、俺が彼を必要としているからだ。

 

用なしだと俺が判断すればきっと、チャンミンはここを追い出され、別の用途として使われるアンドロイドになるしかない。

 

チャンミンも俺を必要としていた。

 

週末、学校まで迎えにくるチャンミンは、保護者ぶったことを言うけれど、俺に会えて嬉しくてたまらない緩んだ表情は隠せていない。

 

屋敷での出来事を(主に失敗談だが、ふと目にした心打たれた光景についてうっとりと話してくれる)俺に伝えようと必死だった。

 

思春期を迎えていた俺は、「へぇ」とか「ふぅん」とかそっけない相づちを打つだけ。

 

俺に話さないだけで、実際は辛い思いもしていたに違いない。

 

今にして思えば、チャンミンの声音とすがるような眼差しに、もっと注意深くあればよかった。

 

俺が後悔していることのひとつだ。

 

 

 

 

「おやつを食べますか?」

 

「子供扱いするなよ」

 

おやつって年ごろじゃないだろ、と俺は、ケーキの載ったトレーを持つチャンミンを無視して、洗面所に向かった。

 

「そうですか...」

 

しょげたチャンミンが可哀想になって、チャンミンの元に引き返し、鷲掴みにしたケーキを口に放り込んだ。

 

「お行儀が悪いですよ?」

 

5日ぶりにチャンミンと会えて嬉しいが、以前と変わらず子供扱いする彼に、苛立つことが多くなってきた。

 

ついキツイ言葉を投げかけてしまい、今のように俯いて立ち尽くすチャンミンに後悔するのだ。

 

チャンミンのことは大好きだけど、うっとおしく感じるようになってきた俺。

 

彼が傷つくであろう言葉も、平気で吐けるようになった。

 

このことが悲しい。

 

悲しいけど、止められないんだ。

 

「カリカリしてるとシワができちゃうぞ」

 

ほら、今もチャンミンがどうしようもできないことを指摘して、からかってしまう。

 

「...僕は、シワはできませんよ...」

 

「ハハっ!

そうだったな。

母さんが羨ましがってるだろうよ」

 

両眉をおかしな角度で下げたチャンミンの泣き笑いな顔。

 

駄目だな、俺...。

 

チャンミンは俺と出逢った時から大人で、永遠に年をとらない。

 

チャンミンの設定年齢が何歳なのか知らないけれど、彼はずっとこのままだ。

 

永遠...。

 

俺が年寄になっても、チャンミンは今のまま美しい青年の姿をとどめ続けるのだろう。

 

その時まで、チャンミンは俺のそばに居続けるだろうか...。

 

チャンミンは永遠に、生き続けるのだろうか。

 

俺が死んでしまったら、ひとりぼっちになってしまう。

 

そんな未来への不安なんて、未だ14歳の俺にとって遠い話。

 

今を謳歌するのみなのだ。

 

「夕飯までの時間、散歩にいこうぜ」

 

「はい!」

 

チャンミンは大人なのに、喜びを隠し切れない子供っぽさに、俺の胸は痛くなる。

 

俺はどんどん大きくなるのに、チャンミンは逆に幼くなっていくみたいで。

 

 

 

 

俺とチャンミンは森の中を散歩する。

 

不思議で未知に溢れていてわくわく心を持てていたのも、昔の話。

 

今は、チャンミンと2人だけでとっておきの時間を過ごせる、貴重なひととき。

 

俺はチャンミンのために、肩を並べて木立の小路を歩く。

 

梢から漏れる光は紅く、間もなく日が沈む日暮れ時。

 

「チャンミン。

手を繋ごうか?」

 

チャンミンの年齢のことをからかった罪滅ぼしの提案。

 

チャンミンはふふっと笑って、照れくさくて脇に落としたままの俺の手を握った。

 

「ユノの手...大きくなりましたね」

 

「うん」

 

13歳を過ぎた頃から俺の背はぐんと伸び、チャンミンの肩に届くようになった。

 

チャンミンに近づくことが誇らしくて、あんなに大きく頼もしかった彼の手も今じゃ、それ程でもなくなった。

 

チャンミンを守れる大人に近づいた。

 

苛つくことも多いけれど、やっぱりチャンミンのことが大好きなんだ。

 

「綺麗な夕焼けですね」

 

チャンミンの端正な顔が赤く染まっている。

 

「ユノの眼...綺麗ですね」

 

「そう?」

 

チャンミンが褒めてくれる眼を細めて、俺は微笑んだ。

 

俺の微笑みに応えて、チャンミンもにっこりと笑った。

 

こうやってチャンミンと手を繋いで目的もなく歩くことが、いつまでできるんだろう。

 

「帰ろうか?」

 

「はい」

 

俺たちのお気に入りの草原の広場を一周したのち、屋敷へ引き返す。

 

「昨日から、叔父様がいらっしゃっています」

 

繋いだ手を放してしまった。

 

チャンミンのひと言で、穏やかで平和なひと時が台無しになってしまった。

 

 

 

 

就寝時間間際、「おやすみなさい」と俺の額にそっと触れると、チャンミンはベッドを離れた。

 

この部屋にはもう、チャンミンのベッドはない。

 

地下にある使用人部屋の、粗末なベッドで眠るため。

 

チャンミンは、ここでは雑役夫であり、使用人のひとりに過ぎないのだ。

 

俺はチャンミンを特別扱いし過ぎるわけにはいかない。

 

留守の間、他の使用人たちからやっかみによる冷たい仕打ちを受けてしまうから。

 

可哀想だ。

 

でも。

 

お前の背中が引き留めて欲しがってるよ。

 

「チャンミン」

 

呼び止めるとすぐに振り返り、その顔が輝いているのは、薄暗い部屋でもよく分かるよ。

 

「今夜...一緒に寝よう」

 

「はい」と嬉しそうに返事をしたチャンミンは、いそいそとクローゼットから毛布を取り出す。

 

俺のベッドで眠ることはできない、もちろん、その逆も。

 

床に広げた毛布やらベッドカバーやらの上で、俺たちは眠る。

 

俺はその時、14歳。

 

チャンミンと『そういう関係』になるずっと以前のことだ。

 

チャンミンの胸に顔を埋めるなんて、子供くさいことはもう出来ないけれど、彼と手を繋いで俺たちは眠りにつく。

 

俺はやっぱり、チャンミンのことが好きだ。

 

この好きの正体は、未だ分からなかった。

 

 

(つづく)

 

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