(7)19歳-初恋-

 

 

 

チャンミンと全く同じ姿形をしたものが出荷を待っている光景を想像して、俺はしばしの間放心していたみたいだ。

 

「ユノ?」と、ドンホに腕をひかれてハッとする。

 

次の指示を待つチャンミンが、ベッドの足元に立っていた。

 

「チャンミンはもう寝ておいで」

 

今夜の俺はドンホと一緒だから、チャンミンとは寝られない。

 

「でも...まだ9時ですよ。

夜食を用意しましょうか?」

 

「要らないよ」

 

「もう一枚、毛布を持って来ましょうか?

風邪をひきます」

 

ぐずぐずと部屋にとどまるチャンミンに、俺はイライラしてきた。

 

「もういいったら!」

 

俺の鋭い声にビクッとしたチャンミンは、怯えた目で俺を見る。

 

キツイ言い方をした自分に後悔して、俺は声のトーンを落として優しく言った。

 

「今日は疲れただろう。

送り迎えとか、クッキーとか...ありがとう」

 

「ユノのためなら」

 

満面の笑みを浮かべたチャンミンに、俺は胸苦しさを覚えた。

 

俺の言動のひとつひとつで、チャンミンを振り回すことができる。

 

チャンミンは俺の宝物で大好きなのに、たまに邪魔に思う自分がいるのも確かだ。

 

「おやすみなさい」

 

廊下の灯りで寝室の床にチャンミンの長い影が伸び、ドアが閉まるまでの彼の背中を見送った。

 

丸まった肩が気落ちしているように見えて、彼に悪いことをしてしまったと、内心で謝った。

 

チャンミンに対して罪悪感を持ってしまうのは、一瞬でも彼を邪魔だと思ってしまったことなのか、それとも別の何かなのか。

 

寝室の灯りは落とされ、並んで横たわった俺もドンホは、無言で天井を見つめていた。

 

好きな人が俺の隣に横たわっている今この時に、俺は意識を戻した。

 

「ねえ、ユノ」

 

頭を傾けて、正面を見上げたままのドンホの横顔を見た。

 

少女のような優しい横顔だった。

 

「僕からの手紙...うっとおしくない?」

 

週に2度、3度と屋敷に届くドンホからの手紙が、どれだけ俺を楽しませているか。

 

「ううん。

すごい嬉しいよ」

 

引っ越した先の土地や新しい学校の様子、暮らしぶりについて、ドンホは事細かに綴ってくれていた。

 

俺の方も夜、デスクに向かってカリカリと便せんに文字を埋めていくうちに、自分の思考が整理されていった。

 

日々の暮らしで見過ごしてしまいがちな、出来事の裏に隠れている小さな幸せ、疑問を追求した末見つけた答え。

 

俺と同級生たち、俺と教師たち、俺と同級生の親たち...俺を取り囲む世界は、まだまだ狭いものだろうけど...当時の俺にとっては、全てが新鮮だった。

 

変化に敏感になること...チャンミンが癖づけてくれたんだ。

 

ただ漫然と目を動かしているだけじゃ気付けない物事を、細やかにキャッチできるセンサーをチャンミンが育ててくれたんだ。

 

電話で話せば早いし、言葉のニュアンスも正確に伝わるのに、俺たちは手紙のやりとりという繋がりを大切にしていた。

 

「ユノ」

 

衣擦れの音と共に、ドンホが俺の方に寝返りを打った。

 

男と女、男と男が寝床で何をするものなのかの知識くらいある。

 

胸がドキドキした。

 

照れくさくて、鼻の上まで毛布を引っ張り上げた。

 

ドンホも同じことをした。

 

俺たちは向かい合わせになって、クスクス笑う。

 

ドンホと共に過ごした学校生活も、わずか2か月ばかりのことで、とても濃密な時間だった。

 

だからよかったのかもしれない。

 

接近し過ぎると、何もかもを見つけてしまうから。

 

家族以外のある特定の人間と、それが例え友人であったとしても、長期間、関係を保つ経験のない俺だった。

 

校内には友人は沢山いたけど、俺の場合は、広く浅く、だ。

 

だからドンホの登場は、俺にとっても未経験の関係性だった。

 

こうした俺の緊張感を、ドンホは感じとっていたんだろうな。

 

ドンホの方も、数か月おきの転校を繰り返す生活をずっと送ってきた。

 

誰かと長い時間、過ごすことに慣れていないのだ。

 

俺とドンホの繋がりとは、手紙のやりとりのように、淡く礼儀正しいものなんだ。

 

俺はドンホに恋心を抱いていたし、同時に彼の人格や存在感を尊敬していた。

 

この先ずっと長く、この憧れに近い情を途切れることなく抱き続けたい。

 

「おやすみ、ユノ」

 

「おやすみ、ドンホ」

 

家を離れて知ったのは、社交的な自分の存在だった。

 

屋敷に閉鎖されて育ってきたわりに、人の輪の中へ怖気付くことなく入ってゆけた。

 

その場の空気を読んで、相応しい言葉や表情を作ることができた。

 

今になって分かることだが、そういう術をいつの間にか身につけていられたのも、チャンミンのおかげだと思う。

 

ドンホとの交流を通して分かったことがもうひとつ。

 

どれだけ接近しても、どんな姿を見せても、幻滅することがあり得ない存在は、チャンミンしかいない、ということだ。

 

 

 


 

 

日曜日の夜、俺は寮に戻る。

 

ヘッドライトが針葉樹林を切り開いたくねくね道を照らす。

 

チャンミンは、俺が眠っていると気を遣って終始無言だった。

 

チャンミンの運転は丁寧だった。

 

サイドウィンドウに傾けていた頭を正面に戻し、俺は目をつむって楽しかった2日間を思い起こしていた。

 

この日は、敷地内の池でボート遊びをした。

 

数年前の真冬に、チャンミンが突き落とされたあの池だ。

 

チャンミンは俺たちのボートがひっくり返らないか心配して、桟橋に突っ立って俺たちの姿を目で追っていた。

 

「おーい」と手を振ると、チャンミンも振り返す。

 

「ねえ、ユノ。

もしかしたらチャンミンも、ボートに乗りたいのかもしれないよ?」

 

ドンホの指摘に、俺は「気が利かなくて駄目だなぁ」って笑った。

 

「お2人の邪魔をするわけにはいきません」と首を振るチャンミンだったけど、その目はキラキラと嬉しそうだった。

 

「チャンミン...怖いのなら、嫌だって言わないと駄目じゃないか?」

 

「す、すみません」

 

生まれたての仔鹿のようにぷるぷると震えているし、ボートのヘリを握るチャンミンの指先が真っ白だった。

 

あの出来事がトラウマとなって、チャンミンはこの池が怖いんだ。

 

「チャンミンは僕たちと一緒にいたかったんだよね?」

 

そう言って、ドンホはチャンミンの手を握った。

 

「はい」

 

素直に認めるチャンミンも可愛かったし、優しいドンホも素敵だった。

 

俺が漕ぐオールが、なめらかな水面を切り分け、波紋を次々と作り出す。

 

俺もドンホもチャンミンも、3人とも笑顔が光っていた。

 

池の向こう岸に着くなり、小枝をかき集め出し、俺とドンホに口うるさく指示をしながら焚火を熾したり、ブランケットを敷く位置までこだわりだしたチャンミン。

 

子供の俺たち以上に、チャンミンは楽しそうだった。

 

チャンミンのイキイキとした表情に、前日はチャンミンを留守番させて悪かったな、と思った。

 

お気に入りの赤いブランケットの上に、チャンミンが用意した弁当を広げた。

 

食いしん坊のチャンミンのために、マシュマロを焼く俺。

 

焚火にかざしたマシュマロの白、ぷくりと膨らんで焦げた匂い、とろける甘さ。

 

熱々のマシュマロで舌を火傷してしまったチャンミン。

 

痛がるチャンミンに、よく冷えたアイスティーを飲ませるドンホ。

 

幸せだった。

 

 

 

 

薄目を開けると、フロントガラス向こうに正門が見えた。

 

寮に帰ることが、こんなに気が重いのは初めてだった。

 

煌々と点いた正門の外灯が車内を照らしている。

 

その灯りが、ふっと遮られた。

 

あっと言う間のことだった。

 

俺の唇に重ねられた柔らかなもの。

 

「ユノ。

着きましたよ」

 

チャンミンに肩をゆさぶられて、俺はたった今、目覚めた風を装った。

 

目をこすって、あくびの真似までした。

 

「部屋まで運びます」

 

「一人で大丈夫だよ。

チャンミン、気をつけて帰るんだよ」

 

「はい」

 

「ケモノが飛び出してくるかもしれないから、気をつけるんだよ」

 

チャンミンは、「ユノったら、僕のお兄さんみたいですね」とクスクス笑った。

 

チャンミンの車のテールランプが見えなくなるまで、俺は正門前に立ち尽くしていた。

 

俺のファーストキスは、チャンミンに奪われたのだ。

 

 

 

(つづく)

 

 

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