(8)19歳-初恋-

 

 

「じっとしていろよ」

 

俺はチャンミンの伸びた前髪を切ってあげていた。

 

2月に一度、チャンミンのために俺は床屋さんになる。

 

お抱えの床屋を使用人のチャンミンの為に呼び寄せることはできない。

 

特別扱いをすると、他の使用人たちのやっかみにあってしまうからだ。

 

町の床屋に連れていってもいいけれど、精巧に美し過ぎるチャンミンを奇異の眼で見られるのが嫌だったんだ。

 

ギュッと目を閉じて、息まで止めているチャンミンは、聞き分けのよい子供のようだ。

 

チャンミンは大人の身体と豊富な知識を持った頭脳をもち、礼儀正しい言動と落ち着いた物腰の、優秀なアンドロイドだ。

 

完璧なはずのアンドロイドなのに、おっちょこちょいなところや、情にもろいところがあって頻繁に涙を流す。

 

「ごめん。

切りすぎちゃったかも」

 

「えーーー!

ユノ...酷いです」

 

ぱっつんと短くなった前髪のせいで、どんぐりの笠みたいになったチャンミン。

 

額と眉が露わになって、より幼さが前面に出てしまっていて、これはこれで可愛い。

 

手鏡を手にしたチャンミンは、くしゃくしゃに顔を歪めて、泣き出しそうだ。

 

「チャンミンはどんな髪型も似合うから大丈夫だよ」

 

「...本心で言ってます?」

 

「...うん」

 

「今の間はなんですか?

嘘ですね。

へんてこりんなんですね、ホントは?」

 

ぷぅと頬を膨らませて、少しでもぱっつんを誤魔化そうと前髪を散らしているチャンミンを可愛いと思う。

 

チャンミンを可愛いと思う頻度が多くなってきたように思う。

 

俺が大きくなってきたからかなぁ。

 

「もっといい感じにしてやるからさ、もうちょっと短くしようか?」

 

俺の腕前を信用していない証拠に、チャンミンはすーっと目を細めていたが、手鏡を置いて姿勢を正して俺を待つ。

 

そんな姿を見せられると、俺はどうしたらいいか困ってしまう。

 

ブツブツ文句をこぼしながらも、結局は俺の言うことをきくチャンミン。

 

守ってやらないと。

 

大事にしてあげないと。

 

もうちょっと、もうちょっととやっているうちに、うんと短い髪型になってしまった。

 

「ごめん...」

 

「......」

 

「でも、似合ってるよ。

ホントだよ」

 

お世辞じゃなく、似合っていた。

 

チャンミンの色素の薄い瞳と、完璧な骨格が際立った。

 

チャンミンはしばらく仏頂面を見せていたが、ふっと肩の力を抜いて、微笑んだ。

 

「怒ってませんよ。

ユノがいいと言ってくれたら、それで大満足です。

僕はユノのために存在していますから」

 

感激する言葉のはずなのに、俺はやっぱり困ってしまうのだ。

 

 

 

 

「素晴らしい小説を見つけたのです」

 

チャンミンの楽しみの一つは、屋敷の図書室の本を片っ端から読むことだ。

 

だからチャンミンは小脇に本を抱え、隙間時間を見つけては読書にいそしんでいた。

 

これ以上知識を蓄えて、役立つ場面なんてほとんど用意されていないのに。

 

チャンミンの世界は屋敷の中が全てだ。

 

庭の柵のペンキ塗りや散歩道の木立の枝打ち、パーティの給仕、暖炉の灰かき...。

 

もっと大きくなって、力を備えて、チャンミンに楽させたい。

 

『旅行』とやらに連れていってやりたい。

 

俺は海を見たことがないから、チャンミンと一緒に行きたいな。

 

開け放った窓から庭を見下ろした。

 

真夏の太陽がギラギラと目を射る。

 

夏休みだった。

 

森林を切り開いた中に建つ屋敷は、濃い緑の香りとわんわんとうるさい蝉の鳴き声に包まれていた。

 

庭の先に、昨年ドンホとボート遊びをした池が日光を反射して鏡みたいだ。

 

チャンミンはシラカバの木陰で幹にもたれ、本を読んでいた。

 

俺が何度注意しても直らない猫背で(本人は、「背が高すぎるせいです。ユノに合わせて屈んでいるうちに、猫背になってしまったのです」と堂々としている)

 

俺はチャンミンを観察していた。

 

鬼気迫るシーンなんだろうか、口を覆っている。

 

と思ったら、目元を拭っている。

 

悲しいシーンなのか、感動シーンなのか。

 

喜怒哀楽が全部出てしまうアンドロイドのチャンミン。

 

短髪になったことで、頭の形が素晴らしかった。

 

綺麗だなぁとあらためて感心していた。

 

俺は唇を指でそっと撫でた。

 

あの夜のことを思い出していた。

 

チャンミンの唇が重ねられた、不意打ちの出来事を。

 

寮の自室に戻り、荷解きもせず俺はベッドに突っ伏して、キスの意味に思考を巡らせた。

 

チャンミンは「なぜ」「俺に」キスをしたんだろう。

 

男や女がキスをする意味くらい、俺だって知っている。

 

ドンホ相手に、キスをしたいなぁと思ったことも何度もある。

 

親愛のしるしなんて、軽いものじゃないんだ。

 

好きな奴がいて...この好きは『LIKE』じゃない、『LOVE』の方だ...身体に触れたいと望む。

 

抱きしめたり、手を繋ぐだけじゃ足らない、もっと敏感な場所で触れ合いたいと望む。

 

チャンミンは、こういう気持ちを持つことはあるのだろうか。

 

アンドロイドでもそういう欲求を持つのだろうか。

 

うんと子供の頃、トイレに向かうチャンミンの後をついていって、こっそりその場を観察したことがある。

 

浮かんだ想像図を、振り払った。

 

チャンミンを穢してしまう気がしたんだ。

 

チャンミンからの不意打ちのキスから1年...俺たちはそのことに何も触れず、これまで通りだった。

 

次の週末、俺を迎えに来たチャンミンがあのキスについて、何が言うのでは?と俺はドキドキして待っていた。

 

そっか...あの時は俺は眠っていたことになっていたんだった。

 

でも1度だけ、遠回しに尋ねたことがあった。

 

 

 

 

 

「ねえ、チャンミン」

 

「はい?」

 

俺とチャンミンはトランプ遊びをしていたっけ?

 

ずば抜けた記憶力のせいで、神経衰弱なんて勝負にならなかった。

 

(俺が勝てるのは「ババ抜き」だけ。チャンミンはすぐに顔に出るので、余裕なのだ)

 

「チャンミンのファーストキスっていつだった?」

 

『キス』の言葉一つに照れてしまって、顔が熱かった。

 

カードを切るチャンミンの手が止まった。

 

首から頬へとみるみるうちに、チャンミンの顔が真っ赤になった。

 

「さ、さあ...。

僕はアンドロイドですし...忘れました」

 

「チャンミンは頭がいいのに、忘れちゃうんだ?」

 

「たまにバグを起こすんです。

それに、僕が仕えたのはユノだけですから...キ、キスなんて...したことないです...」

 

語尾がかき消え、俯いてしまったチャンミンの両耳が真っ赤になっていた。

 

俺へのキスを意識しているな、と確信して、これ以上突っ込んだことを訊くのは可哀想だと思って、止めたんだった。

 

 

 

 

「ふぅ」

 

窓の桟に組んだ腕に顎を乗せて、眼下のチャンミンに意識を戻した。

 

読書に集中し過ぎて肩が凝ったのかな...大きく伸びをしている。

 

長い腕だ。

 

ふと、窓から眺める俺に気付いて、ぱあっと輝く笑顔を見せた。

 

胸がきゅっとした。

 

チャンミンに向かって手を振った。

 

チャンミンも俺に手を振り返す。

 

腰を上げかけたチャンミンに、「俺がそっちに行くから!」と叫んだ。

 

雑用から解放されたチャンミンの貴重な休日だ。

 

たっぷりゆっくりと本を読ませてあげたかった。

 

俺は首にタオルを巻いて、部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。

 

廊下の角を曲がった瞬間、

 

「!?」

 

ぐいっと二の腕をつかまれ引っ張られたせいで、勢い余って後ろへ転びそうになった。

 

ところが、俺を捕まえた手の持ち主に抱きとめられて、転倒は免れた。

 

免れたのだけれど...。

 

俺を見下ろす切れ長の眼と、細面の端正な顔。

 

「急いでどこへ行くのかな?」

 

「叔父さん...」

 

面倒な奴に捕まってしまった。

 

「俺の用事に付き合ってくれないかな?」

 

叔父さんは唇の片端だけをゆがめた、いつもの不適な笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

(つづく)

 

 

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