(13)19歳-初恋-

 

 

 

押しあてられていたチャンミンの唇が、ふっと離れた。

 

チャンミンの頭で遮られていた光が再び俺を照らした。

 

俺たちはしばらくの間、無言だった。

 

俺はチャンミンの方を振り向けなくて、停止した思考のまま、雨粒でリズミカルに揺れるフキの葉を眺めていた。

 

「...すみませんでした」

 

チャンミンの掠れた囁き声に、俺は「謝るな」と答えた。

 

俺はそう言ったけれど、チャンミンは謝って当然なのだ。

 

使用人の立場で主人に、手を出すようなことをしたのだ。

 

「手を出す」とは単に暴力をふるうことだけじゃなく、性的な行為...キス以上の肉体的な接触もこれに含まれる。

 

ルールにのっとれば、チャンミンの行為はアンドロイドにあるまじきことだ。

 

主人である人間の方から仕掛けたものなら「可」だけど、その逆は「不可」なのだ。

 

チャンミンがアンドロイドである事実を、俺は憎むようになっていた。

 

俺の目にはチャンミンは、1人の人間として、男として映っているし、でも現実は、彼は使用人でアンドロイドなのだ。

 

俺が非力なばっかりに、チャンミンは従兄弟たちにしょっちゅういじめられていた。

 

殴られるのを防御する腕も、場合によっては彼らを傷つけかねないから、殴られるまま耐えるしかなかった。

 

「手を出してはならない」ルールを厳格に守ってきたチャンミン...そんな彼が、なぜ?

 

俺の中では『なぜ?』しかなく、チャンミンの行動を咎める気持ちは全くない。

 

このキスの意味を知りたかっただけ。

 

チャンミンから受けたキスは、これで2度目だった。

 

13歳のある日、学校の正門前で、車のシートで俺は眠ったふりをしていた。

 

あの時のこと。

 

アンドロイドも、そういう気持ちになることはあるのだろうか。

 

...つまり、欲情のようなものを抱くことはあるのだろうか。

 

チャンミンの腕はまだ、俺の肩を抱いている。

 

2人分の体温で、濡れていたシャツが乾きかけている。

 

突然過ぎて頭が真っ白だったのが、今頃になって気持ちが追い付いてきたようだ。

 

「ねえ、チャンミン。

どうして...俺に?」

 

「......」

 

2年前のキスのことも含めて、俺はチャンミンに尋ねた。

 

そっと視線だけ持ち上げて、チャンミンの横顔を窺った。

 

あれ...?

 

チャンミンの顔が真っ赤だった。

 

「どうして、俺に...したの?」

 

「えっと...僕も熱が出たみたいですね。

バグです、暴走しちゃったみたいです」

 

「嘘つき」

 

チャンミンの肌がひんやりと感じるくらい、俺の方が熱があった。

 

「ユノ...。

ご主人に頼み事をするなんて、ルール違反ですけど...ですけど」

 

「ですけど?」

 

「さっきのこと、忘れてくれますか?」

 

「どういう意味だよ。

忘れられるわけないよ?」

 

チャンミンの言葉に心が寒くなって、噛みつくように言い返した。

 

「ご主人にあんなことするなんて...。

絶対にあってはならないことなんです」

 

先ほど俺が考えていたのと同じことを、彼の口から聞かされると、哀しい。

 

「...だから、許してください。

もう二度としませんから。

罰ならいくらでも受けます。

だから僕を...捨てないでください」

 

「!」

 

「僕はっ...。

僕の立場からこんなお願いをすること自体が、間違いなんです。

僕は...古くなってきてますし、ここを出たらどこにも貰い手はありません」

 

家庭教師、子守り、執事、ボディガード、あらゆる職種の補佐...知的で特定な役務を卒業したアンドロイドの行く末は、肉体労務。

 

それから、優れた容姿を愛でる者たちのためへの慰みものとして。

 

だから実際は、いくらでも貰い手はあるのだ。

 

チャンミンもそれは分かっていて、俺に訴えているのだ。

 

「僕は、僕は...ユノの側にいたいのです。

もうしばらくは、ユノの側に置いてください。

お願いです、あれはちょっとした不具合だったと思って、許してください」

 

「チャンミン!」

 

気付けば俺は、チャンミンの首にかじりついていた。

 

「馬鹿!

そんなこと言うなよ!」

 

必死に俺にすがるチャンミンが憐れだったこと、そうでもしないとこの場にいられない身分であること。

 

機嫌を損ねたご主人が、いとも簡単にアンドロイドをお払い箱にすることができる現実。

 

全部、悲しかった。

 

なぜって、チャンミンからのキスが嬉しかったんだ。

 

嬉しいことなのに、許してくれと謝られて、しまいには捨てないでと乞われるんだ。

 

嬉しかったのに。

 

驚いたし、チャンミンがどういう気持ちでいたのかは分からないけれど、俺は嬉しかった。

 

胸がきゅっとなる感じ...心がときめいた。

 

お腹の底がぞわっとなる感じ...全身の神経がチャンミンに触れられた箇所に集中した。

 

チャンミンの顔はもちろん、首も胸も腕も腰も全部、生っぽく眩しく映るようになったこの1、2年。

 

触れたいと思うようになっていた。

 

そして、触れられたいと思うようにもなっていた。

 

「チャンミン、大好き」と言って、無邪気に抱きついて、頭を撫ぜられて喜んでいられたような、7歳の少年ではないのだ。

 

だから、さっきのキスは...嬉しかったんだ。

 

これって、つまり...?

 

ああ、なるほど...やっとわかったよ。

 

「お願いするとか、捨てないでとか。

そういうこと言うな!

思っても駄目だ!

分かった?」

 

「...でも」

 

「捨てるわけないだろう?

俺は絶対に、チャンミンを捨てたりしない!」

 

俺はチャンミンの胸元に、ぐりぐりと額を押しつけて怒鳴った。

 

「ホントですか?」

 

「うん。

俺の方こそ、チャンミンがいないと嫌なんだ。

だって、チャンミンは俺の宝物なんだ。

召使だなんて一度も思ったことがないよ」

 

「...ユノ」

 

チャンミンを一個人として扱いたいけれど、家族に庇護されている今の俺の立場じゃ、それも叶わない。

 

「学校を卒業したら、俺、チャンミンを連れてここを出るから。

召使じゃなくしてやるから。

もうちょっと待っててって言うのは、そういう意味なんだよ」

 

チャンミンは確かに美しい。

 

俺がチャンミンに見惚れてしまうのは、単に容姿が素晴らしいだけじゃない。

 

俺の中に存在している、ある感情のせいなんだ。

 

俺は立ち上がり、チャンミンの両腿の上に向かい合わせに跨った。

 

泣きじゃくる俺をあやすとき、チャンミンがよくこうやってくれた。

 

小さかった頃、俺の頭はチャンミンの胸のあたりだったのに、今の俺はチャンミンの頭を超えている。

 

「ホントだよ。

チャンミンはずーっと、俺の側にいるんだ。

これはご主人からの命令だよ」

 

俺の胸に引き寄せて、その後頭部を撫ぜた。

 

俺が何度注意しても直らない猫背を、擦った。

 

「召使じゃないって、言ってたのに?」

 

「そこを突かれると困るなぁ。

でもさ、たまにはご主人っぽく命令しないと、チャンミンは遠慮ばっかりしてるし、ホントのことを言ってくれないし...」

 

「アンドロイドは出しゃばったらいけないのです」

 

チャンミンは俺の背に両腕を巻きつけて、俺の胸に頭を預けた。

 

「分かってるよ。

ご主人の命令、って言うからいけないんだな」

 

俺はふぅっと大きく息を吐いた。

 

発熱のせいだけじゃなくて、顔は熱いし心臓がドッキドキしている。

 

「俺の側にずーっといて欲しい。

これは、俺からのお願い。

ご主人だからっていう意味じゃなくて、ひとりの人間として...。

...男として、チャンミンにお願いしたい」

 

「ユノ...」

 

俺の胸に埋めていた顔を起こし、チャンミンは俺を見上げた。

 

いつの間に涙ぐんでいたのか、チャンミンの目尻と鼻先が赤く染まっていた。

 

涙の潤みの下で、チャンミンの琥珀色の瞳が揺れていた。

 

誕生日プレゼントの箱から出てきたチャンミンが、俺の前でひざまずき、

『僕の名前を付けて下さい』と覗き込んだその瞳を、子供ながらに綺麗だと感動した。

 

あの頃と全く変わらない、琥珀色のグラデーションが美しかった。

 

大雨が小雨に変わり、辺りを包んでいた雨音も弱まってきている。

 

俺たちの周りだけは、静寂の時が流れていた。

 

 

(つづく)

 

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