(13)19歳-初夜-

 

 

ちりん、と受話器を置くと、チャンミンは脱力して椅子に腰を下ろした。

 

チャンミンは深いため息をつき、「緊張しました」と心臓のあたりを撫でさすり、「汗でびしょびしょです」と、パタパタとシャツの襟を扇いでいる。

 

レストランとホテルへ予約の電話をかけるだけのことでも、チャンミンにとっては重大なミッションなのだ。

 

なぜなら、俺を車で送迎する以外は、チャンミンは屋敷から出ることなく暮らしてきて、いわば温室育ちだ。

 

下界の者と接することは例え電話越しであっても、ほとんど無いと言ってもいい。

 

相手方が電話に出た時は、「えーっと、あのー」と用件を切り出せずにいたため、俺はチャンミンの手を握り、「大丈夫だ」の意を込めて何度も頷いてみせた。

 

チャンミンの視点は花瓶に固定され、受話器をきつく握りしめ、もう片方の指はくるくるコードを巻きつけていた。

 

チャンミンは人間に慣れていないだけで、接することができないわけではない。

 

「うまくできましたか?」

 

傍らに立つ俺を見上げるその顔...俺を心底信じ切っているその目...は、褒めて褒めてとねだっているように、俺の目に映った。

 

「さすがチャンミン。

すごいよ。

俺だったらしどろもどろになってしまってたよ」

 

ああ...今の俺は、まるで年下の者を褒めている年長者のようだ、と思った。

 

これまでの10年間は、俺はチャンミンから褒められる立場だったのに、俺がチャンミンを褒めることになるとは。

 

時が流れるとは、年を重ねるとはこういうことなのか。

 

俺の言葉に、チャンミンはそれは嬉しそうに目を細めて笑った。

 

 

昼過ぎには出発の用意が済んだ。

 

チャンミンはバッグが必要なところへ出かけた経験がないため、旅行バッグを持っていなかった。

 

そこで、彼の着替え等は、俺のものと一緒にひとつのバッグに詰めることにした。

 

よく畳みもせずバッグに放り込む俺を見かねて、チャンミンは「僕がやります」と俺の手からバッグを引き取った。

 

きっちり畳まれた衣服、洗面具を入れたポーチをベッドの上に整然と並べ、不足はないか指さし確認をしている。

 

チャンミンはふんふんと鼻歌を歌い、ニコニコと楽しそうだった。

 

その姿を見られただけで、いいアイデアを思いついた自分を褒めてやりたかった。

 

「このバッグじゃ小さいと思います。

スーツケースは持っていませんか?」

 

「持っていないよ。

スーツケース?

何を入れるの?」

 

俺だって泊りがけの旅行はしたことがないが、ホテルには枕やタオル、ブランケット、歯磨きコップ、ガウンの用意はあることは知っている。

 

「チャンミ~ン。

大袈裟過ぎるよ」

 

「...だって」

 

枕を抱きしめたチャンミンは、両眉も口角も下げている。

 

咎めの言葉だと受け取ったのか、それとも、無知な自分をからかわれたと思ったのか。

 

「...ユノは、いつもと違う枕で眠れますか?

タオルも使い慣れたものの方がいいでしょう?

このブランケットは、『これがあると安心する』って、ユノが小さい頃から使っているものでしょう?

パジャマも着慣れたものがいいでしょう。

シャンプーだって石鹸だって...」

 

理由を挙げてゆくその必死さに、「いいよ、全部持っていこうか」と頷きたくなったくらいだ。

 

「今回は、さっと一泊してさっと帰るような気軽なものなんだ。

いつか出かける大旅行に備えて、練習代わりだよ」

 

しょんぼりしているチャンミンの肩を抱いた。

 

「それから...『いつもと違うこと』を楽しむ夜なんだ。

チャンミンのことをいっぱい知る夜だから、枕は必要ないと思うよ」

 

俺の匂わせ発言に、チャンミンは赤くなった顔を背けた。

 

この手の話になると、チャンミンは俺の目を見られなくなり、熟れた果物並みに顔を染める。

 

俺だって恥ずかしい。

 

こんなんで、今夜うまくできるのか自信がなくなる程の、恥ずかしさだ。

 

恥ずかしがっていると悟られたくなくて、代わりにチャンミンを恥ずかしがらせる。

 

俺って意地悪な男だ。

 

「からかってごめん。

俺がガサツな男だって知ってるでしょ?

今夜泊まるところは、全部揃ってるって調べてあるんだ。

荷物は少なくて大丈夫だよ。

ね?」

 

俺はチャンミンの肩を抱き、彼の額に唇を押し当てた。

 

「俺は心配性なチャンミンが好きだよ」

 

チャンミンをなだめるには、唇ではなく額や頬、こめかみへの優しいキスが効果的だ。

 

ついでに頭を撫ぜてやると、くすぐったそうに身をくねらせる。

 

まるで小さな子供のようだ。

 

ここでいつも、思考が立ち止まる。

 

チャンミンが幼くなってきている。

 

いつも穏やかで本心を押し殺すところがあったのに、感情を表に出すようになった。

 

俺はある考えにとりつかれそうになっている。

 

...アンドロイドとしての性能が落ちて...劣化してきている?

 

そんなはずはない!

 

すぐさまその考えを否定した。

 

俺は何を考えているんだ?

 

チャンミンに“欲”があると知ったばかりじゃないか。

 

俺の成長に伴い、チャンミンの“欲”も膨らんでいったと、本人が話していたではないか。

 

そして昨夜、俺の手はチャンミンのそこを...彼が男である証に触れた。

 

とても、子供のものとは言えない。

 

チャンミンは幼くなどなっていない。

 

チャンミンは大人の男へと、成長しているんだ。

 

甘えん坊なところは、チャンミンに与えられた本来の性質であり、俺が幼い頃には気づけずにいただけの話だ。

 

俺の中でそう決着がついて、よかったと思った。

 

「ユノ?」

 

考え事にふけっていた俺を、チャンミンは不安げな表情で見守っていたらしい。

 

「ごめん、何でもない。

そろそろ出かけようか?」

 

 

玄関ホールのコンソールにメモ書き...チャンミンを伴って一泊する旨...を残して、俺たちは出掛けた。

 

すぐに執事か女中頭Kが見つけるはずだ。

 

当主の長男が泊りがけで出掛けるとは、今回が初めてのことで、使用人たちは驚いただろう。

 

父さんや母さんには、俺の居所を尋ねた時にはじめて知らされるだろうから、彼らの反応については気にかける必要はない。

 

17歳にもなって外泊を許可しない親は過保護としか言いようがなく、父さんが望む息子像から程遠い。

 

これまで大人しくしていた俺の方が、みっともないくらいだ。

 

俺が女だったら話は別だが。

 

喧嘩や酒、羽目を外して街で騒ぎを起こしたり、夜遊びが過ぎて妊娠させたり...父さんの顔に泥を塗るようなことをしでかさない限り、放っておいてくれるはずだ。

 

油断ならないのは、これは放任主義ではないことだ。

 

父さんは、俺に無関心なわけではなく、遠く離れた場所から俺を観察し、腹の底でジャッジを繰り返しているのだ。

 

 

チャンミンが運転する車は、街への道を下っていった。

 

森の木々で初夏の太陽は遮られ、開けた窓から涼しい風が吹きこんでくる。

 

その風でもみくちゃになったチャンミンの前髪を笑った。

 

「楽しみです。

ホント、楽しみです」

 

チャンミンの噛みしめるように繰り返す「楽しみです」の言葉に、俺は答える。

 

「楽しみはもう始まってるよ」と。

 

チャンミンの太ももにそっと、手をのせた。

 

 

(つづく)

 

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