そこまであと少しのところで、俺はチャンミンの手を握りゆく手を阻んだ。
「駄目だ」
唇を離し、囁いた。
「駄目だよ、チャンミン」
ショックを受けているだろうチャンミンを、見たくなかった。
顔を背けなくとも車内は暗く、チャンミンの顔が見えなかったのは幸いだった。
俺の表情もチャンミンに見られずに済んだ。
チャンミンはアンドロイドであるにも関わらず、夜目がきかない。
チャンミンの肉体は、俺が把握している限りでは、きわめて人間と近いのだ。
ここで、俺は考えるのだ。
チャンミンは人間より肉体的に優れている点はあるのか?
チャンミン以外のアンドロイドを身近で目にする機会がないせいで、比較ができない。
頭脳明晰であるのは大前提だと聞く。
その他、人間より優れている才能として思いつくものと言えば、暗闇でもものが見える...足が速い...怪我をしても高い治癒力...食事をしなくてもよい...などなど。
チャンミンには突出した才能を与えられておらず、五感においては人間と同じだ。
コンパニオン役として生み出されただけに、アンドロイド固有の個性と情緒...チャンミンらしさ...を与えられているのではないかと俺は思っている。
チャンミンの取り扱い説明書なんて、最初からなかった。
もしかしたら、女中頭Kが預かっているかもしれないが、彼女のことだから、とっくに廃棄しているだろう。
チャンミンが「恋人」となった今、俺は以前とは比べ物にならないほど、「アンドロイドとは何か?」について熟考するようになっていた。
俺と同じところ探しに夢中になっていた、7歳の自分を思い出す。
同じところを見つけては喜んでいた。
俺と何ら変わらない、人間そのものと言っていい存在であって欲しい。
...俺の目に映るチャンミンは人間そのものだ...現在のところ。
・
俺の太ももに這わせた手。
俺を喜ばせるためなのか、チャンミン自身の欲求に突き動かされたものなのか。
「駄目だよ、チャンミン...」
本音は、触って欲しい!
これが引き金となって、一歩踏み込んだ関係を持ちたかった。
チャンミンにも俺と同様の欲求を持って欲しい。
握ったままのチャンミンの手を、俺は口元へと運び、その指先に唇を押し当てた。
「...ダメ、ですか」
「質問しづらいんだけど...。
チャンミンは俺とこれから...どうしたい?」
「...それは、どういう意味ですか?」
ああ...。
本当に意味が分かっていないのだとしたら、関係を深めようかどうしようかと、悩む以前の問題になってしまう。
チャンミンにはその手の欲求は「存在しない」となってしまうのだから。
「その...つまり、俺たちは恋人同士だろ?
えっと...もう2年以上になるよね?
俺は学校があって、会える日は少なかったけど」
「はい。
そうでしたね」
「俺は人間だから、こう思ってしまうんだ。
好きな人には触りたいし、触ってもらいたい。
この触りたい、というのは...」
俺は空いている手で、チャンミンの脇腹を突いた。
「こういう意味じゃないからね」
「分かってます。
僕はユノが好きだから、もっと近づきたいから...触りたいです。
だから、キスをします。
手を繋ぐより、もっと深いところで繋がり合えるので、僕はキスが好きです」
チャンミンにも『そういう』欲求が備わっていると、捉えていいのかな。
車が続けざまに2台通り過ぎた。
俺たちはとっさに身をかがめた。
ヘッドライトが運転席を、次いで助手席のヘッドレストを舐めていった。
週末を実家で過ごした生徒を送る車たちだ。
肥料倉庫の脇の俺たちの車は無人。
まさか人目を忍んでキスを交わしているとは、容易には思いつかないだろう。
チャンミンは真っ赤な顔をしているだろう証拠に、彼の頬を挟んだ両手が熱かった。
どちらからともなく、互い違いに傾けた顔が近づいた。
ここだと狙いを定めた着地点は、見事チャンミンの唇の上。
二度目のキスは一度目よりも荒々しく。
校舎は広大な農場のど真ん中にある。
閉め切った車内にまで、五月蠅過ぎるカエルの鳴き声が侵入してくるけれど、唇に集中する俺たちには聞こえない。
俺たちは無音空間におり、乱れた吐息音だけが近い。
「...んっ」
上顎をくすぐられた時、俺の股間がずん、と痺れた。
チャンミンは?
チャンミンのそこも反応しているのか?
伸ばしかけた手は寸前で止め、固く握りしめた。
(つづく)
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