(5)19歳-出逢い-

 

「ユノ」

 

揺すぶられて目覚めると、間近に迫ったチャンミンの顔。

 

「嫌な夢でも見たのですか?」

 

チャンミンの手で寝汗を拭われて、俺は唸り混じりの吐息をつく。

 

「...いや、ちょっと...思い出してしまって」

 

「そうですか...」

 

チャンミンは俺の頭をかき抱くと、子供にするみたいに髪をやさしく漉いてくれる。

 

「女なんて...嫌いだ」

 

「僕が男でよかったです」

 

「ああ。

全く、その通りだ」

 

説明なんてしなくても、俺のことはチャンミンには全てお見通しだ。

 

チャンミンの裸の胸に片頬をくっつけて、目を閉じる。

 

彼の規則正しい鼓動を確認して、俺は安堵する。

 

よかった、チャンミンは生きている。

 

 


 

 

「ユノ!

ふくれた顔をしていたら、ハンサムが台無しですよ」

 

俺の髪にリボンを結ぶチャンミンと、鏡の中で目が合った。

 

俺の髪の毛は母さんの趣味によって、顎下で切り揃えられたボブヘアだ。

 

「チャンミン...俺の髪を短くして」

 

「怒られますよ?」

 

「怒られるのは慣れてるよ」

 

ハサミを取り出した時、俺はハッとした。

 

チャンミンに俺の髪を切らせたら、チャンミンが怒られてしまう。

 

この屋敷では、チャンミンの立場はうんと低い。

 

俺の力じゃかばいきれない。

 

小さな子供の自分が情けなかった。

 

「怒られるようなことは、やめておきましょうね」

 

「...わかった」

 

頬におしろいをはたかれ、口紅を塗られた。

 

鏡に写る俺は、確かに女の子そのものだ。

 

「ユノ様、時間ですよ」

 

母さん付きの待女Tさんが、俺を呼びに来た。

 

この人は、大人たちの中でもマシな部類で、ドレスを着た俺を「可哀想に」と憐れむような眼差しで見る。

 

母さんのやることが、「普通じゃない」ってことを知っている眼差し。

 

彼女も使用人の立場だから、母さんのやることに何も口出しできないのだ。

 

「行ってらっしゃい」

 

部屋のドアの前で、チャンミンは胸の高さで小さく手を振った。

 

他の階には、チャンミンは足を踏み入れることができない。

 

エレベータを降り、階段ホールの前を通って母さんのサロンに向かう途中、階段の最後の一段に立つチャンミンを見つけた。

 

不機嫌さと不安感を隠せなかった俺を心配して、先回りして待っていてくれたんだ。

 

チャンミンは、俺が叱られてお尻を叩かれたりするのを心底案じている。

 

本当はそれだけじゃないんだけど、チャンミンには内緒にしていた。

 

そういう日は、もの凄く嫌だったけど女中頭Kや、待女Tさんに身体を洗ってもらう。

 

チャンミンに見られたくなかった。

 

心配性のチャンミンを悲しませたくなかったんだ。

 

チャンミンは俺を心配することしかできない。

 

俺に痛いことをする大人や従弟たちに腹を立てて、彼らに抗議することが出来ない身分だから。

 

俺の心情に共感してくれることまでしか出来ないんだ。

 

わずか7歳の子供の俺が、そこまで考えが及ぶようになるなんて...相手を思いやる心...チャンミンに教わった。

 

無条件に注がれるチャンミンの愛情に、甘えているばかりじゃないのだ。

 

 


 

 

俺が生まれた時、赤ん坊が女の子じゃないことに、母さんは相当がっかりしたらしい。

 

母さんは俺を女の子として育てようと、固く心に決めたとか。

 

母さんの優しさは胸やけしそうに甘ったるく、人工的に色付けされた砂糖菓子のようだった。

 

だが、その優しさも歪んだ愛情によるもの。

 

母さんの目に映る俺は女の子で、少しでも男であるしるしを見つけると途端に、俺を蔑む目で見る。

 

俺を溺愛しているかに見えて、子育てそのものは乳母任せで、言葉が話せるようになると子守りロボットにその役は移った。

 

鼻水べたべたな手や、うるさい泣き声と奇声、排せつ物で汚す生身の俺は見たくないのだ。

 

毎週土曜日に、繊細なレースで縁どったドレスで着飾った俺を眺め、撫ぜまわし、クリームたっぷりのケーキを食べさせることが、母さん流の愛し方なんだと思う。

 

「まあ、ユノ。

今日も可愛らしい...」

 

胸の上で両手を合わせて嘆息した母さんは、「どう?」と得意げにサロンに集う面々に俺を見せびらかす。

 

複雑に結い上げた髪、複雑に重ね着したドレス、キラキラ光る宝石、濃い化粧、細いヒール、いい香りをさせた女たち。

 

母さんの友達だという彼女たちは、入れ替わり立ち替わり、山深いここまで車や飛行機で訪ねてくる。

 

母さん自慢のサロンでぺちゃぺちゃお喋りをしたり、お菓子をつまんだりして遊んでいく。

 

「今日のユノは、お風呂に入るの、ね?」

 

俺にそっくりな黒い瞳で覗き込まれると、俺は頷くのがやっとになる。

 

チャンミンによって着せられたドレスを、1枚1枚、母さんの白くて華奢な手が脱がせていく。

 

「ユノ!」

 

耳元で囁かれたものなのに、俺にとってはどすのきいた怒鳴り声だった。

 

「母さん...ごめんなさい」

 

俺は慌てておちんちんを、両ももの間に挟んで隠した。

 

「みなさん、見てぇ。

ユノは女の子なのよ。

可愛いでしょう?」

 

俺は内ももに力を込めて、おちんちんがはみ出さないようにそろそろと、泡だらけのバスタブに身を沈める。

 

チャンミンに結んでもらったリボンは解かれ、俺の髪をシャンプーする姿を女たちに披露する。

 

「いたいっ!」

 

母さんの長い爪で、俺のお尻がつねられた。

 

「こんなに可愛いのに、お人形さんみたいなのに、痛いっていうの」

 

「あなたたちもどう?

ユノはとっても可愛い声で痛いっていうのよ?」

 

最初は遠慮がちだった女たちも、慣れてくればその行為もエスカレートしてくる。

 

女たちが帰った後、母さんは豊かな胸に俺の頭を埋めて、「ユノを愛しているから、痛いことをするのよ?次は気を付けるのよ?」と言うのだ。

 

こんなの愛じゃない。

 

チャンミンの愛情が注がれているうち、母さんのそれはニセモノだという確信を強めていった。

 

トラウマになってもおかしくないことなのに、そうならなかったのはチャンミンのおかげだ。

 

俺が8歳になった頃、いつまでも隠し切れなくてチャンミンにバレてしまって、その時の彼の表情が忘れられない。

 

チャンミンの丸いカーブを描いた...優しい心根そのものの...目から、涙の粒がぼろぼろとこぼれ落ちて、俺の頭をかき抱いておいおいと泣いた。

 

「知らなくてすみません」って。

 

俺の頬はチャンミンの涙でぐっしょりと濡れてしまい、いつまでも泣き止まないチャンミンの頭を撫ぜた。

 

「ユノを守れなくてすみません」って。

 

大人なのに子供の俺によしよしされるなんて、カッコ悪いとは思わなかった。

 

俺のために泣いてくれるチャンミンを慰めないと、って自然に出た行動だった。

 

俺の全部を目にしてくれて、俺を励まし、自信をくれる言葉を惜しげなく注いでくれた。

 

俺の味方はチャンミンだけ。

 

俺はチャンミンのことが、心から大好きだった。

 

 

 

 

9歳のある日。

 

書き物机からハサミを取り出した母さんが、俺のスカートをまくし上げてこう言った。

 

「ちょん切らないと駄目ねぇ」って。

 

そばで控えていた待女Tさんが止めに入ってくれたから、大惨事にならずに済んだ。

 

俺はそれ以来、女がもっと嫌いになった。

 

俺が男色の道を選んだのも、チャンミンが常にそばにいたせいばかりじゃないのだ。

 

 

(つづく)

 

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