俺の隣を歩くのは、美しい人。
俺の熱い視線に気づいて、その美しい人は頬をほころばせた。
左右非対称に細められた目。
俺だけに見せる笑顔。
10年以上、そばで見続けた笑顔。
「先に行っちゃいますよ」
「チャンミン!」
大きなストライドで歩く背中を呼び止める。
「チャンミン!
待てったら!」
チャンミンは振り返って、俺に言う。
「寝坊したユノが悪いんですよ」
チャンミンの名づけ親は俺だ。
7歳の誕生日プレゼントに、俺はチャンミンを贈られた。
朝、目を覚ますと、部屋の中央に巨大な箱が置かれていた。
あまりに大きな箱だったから、何が入っているのか予測がつかなかった。
両親にリクエストしたのは、最新モデルのゲーム機だったから、尚更分からなかった。
十字にかけられた青いサテンのリボンをほどいて、そうっと蓋を持ち上げた。
「うわぁぁぁ...」
中に大きな人形が寝ていて...ホンモノの人間みたいで、目を閉じていた。
俺はドキドキしながら、指をのばして人形のほっぺを押してみた。
思わず俺は、自分のほっぺを反対側の手で突いてみた。
なぜなら、その人形のほっぺが温かくて、俺の指を押し返す弾力が人間みたいだったから。
もっとじっくり見てやろうと、箱の中に乗り出した。
鼻がくっつくくらい近づいて見ると、毛穴もあるし、産毛も生えていて...その精巧さに俺の胸はドキドキしていた。
「わっ!」
叫び声を上げて、俺は後ろに飛びのいた。
人形の目がぱっちりと開いたからだ。
俺は口をぽかんと開けたまま、人形が上半身を起こす様子を眺めていた。
その動きは滑らかで、ホンモノの人間みたいだった。
箱をまたいで床を踏んだ足は裸足で、「大きな足だな」と思った。
ゆったりとした白い服を着ていた。
男の人かな、と思ったのは、父さんみたいに大きな手をしていたから。
当時の俺は、口もきけない程ビックリ仰天だったのにもかかわらず、そういったデティールだけははっきりと見ていたんだ。
人形はひざまずいて、俺の目の高さになると「初めまして」と言った。
その声は大人の男の人みたいに低くて、「喋れる人形なんてよく出来ている」と感動していた。
俺をまっすぐ見つめる目が薄茶色をしていて...父さんが飲むお酒みたいな色...とても綺麗だなぁ、と子供ながらに思った。
「僕の名前を教えてください」
「『僕の名前』?」
俺はムカッとした。
家を訪ねてきた大人たちが、「ボクはいくつ?」って俺に質問してくるのが嫌なんだ。
「『俺』は、『ユノ』だよ!
ユ~ノ!」
怒った風に言ったら、人形は眉を下げて困った顔をした。
「あなたの名前が『ユノ』であることは、知ってますよ」
「え?」
どうして俺の名前を知ってるんだろう?
「この僕の名前を教えてください。
...こんな言い方は駄目ですね」
そう言うと、片手でとんとんと自身の胸を叩いた。
「ユノ、あなたが僕の名前を付けてください」
「名前?
俺が付けていいの?」
「はい。
あなたは僕の『ご主人様』ですから。
僕に名前を下さい」
これは責任重大だぞ、と緊張した。
この人形は人間みたいだし、大人の姿をしているから、ペットにつけるのとはわけが違うぞ、と子供ながらに思ったからだ。
「えっと...」
俺の頭の中に、いくつもの単語が飛び交った。
読み聞かせられた物語の登場人物の名前や、小鳥のさえずり声まで、ぐるぐると頭の中で回った。
その間、人形は俺をじぃっと見つめて待っていた。
俺と同じペースでまぶたがパチパチと閉じたり開いたりするから、「へぇ、ちゃんと瞬きもするんだ」って感心した。
ホンモノの人間みたいだ、って。
いくつもの音を繋ぎ合わせて、ようやく俺の口にのぼってきたもの。
「チャン...」
「ええぇ!?
チャン、だけですか?」
不服そうに人形は頬を膨らませた。
大人みたいなのに、子供みたいだ、と思った。
「だって、俺が決めていいって言っただろう?」
「そう言いましたけど、『チャン』はねぇ...」
「それなら...うーん...」
(チャンタ...チャンリン...ポンチャン...チャンセラ...チャンルー...)
「チャン」からどうしても離れられなくて、「チャン」に続くいい響きの音を必死で探す。
「...チャン、ミン...」
つぶやきながら考えていたら、その名前が発音された瞬間、人形の目がキラリと輝いた。
「いいですねぇ」
「え?」
「それが、いいです」
「チャン、ミン...が?」
人形は大きく何度も頷いた。
「そうです」
「へぇぇ...」
「はっきりと呼んでください」
真顔になった人形の眼差しが、直球で俺に注がれる。
「チャンミン」
「はい。
僕の名前は、『チャンミン』です」
小首をかしげてにっこりと、『チャンミン』は笑った。
「ユノ。
チャンミンをよろしくお願いします」
こうしてチャンミンは、俺の永遠の味方となった。
(つづく)
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