(1)1/2のハグ

 

 

どうりで様子がおかしいと思った。

 

待ち合わせした駅でも、特急列車の中でも。

 

いつも陽気な彼が、話しかけても力なく微笑むだけだった。

 

2泊3日の旅の荷物としては大きすぎる、一週間分は入るだろうスーツケースを引っ張るのも、やっとのようだった。

 

案内と接待を済ませた仲居さんが退室するやいなや、ユノは畳の上にうつぶせに寝転がってしまった。

 

「ごめん...。

ギブアップ」

 

畳に頬をくっつけたまま、ユノはチャンミンを見上げる。

 

「やっぱり!」

 

チャンミンはユノの額に触れる。

 

「どうしてもっと早く言ってくれないだ!?」

 

燃えるような熱さを確認したチャンミンは、ユノの頭を座布団の上に乗せた。

 

「途中で引き返したのに...」

 

チャンミンは押入れから布団を出し、寝そべるユノの横に延べた。

 

「...中止したくなかった...から」

 

「そんなに体調が悪いのに、我慢してたの?

ほら、移動できる?」

 

真っ赤な顔をしたユノは、重だるい身体をようやく起こすと、糊のきいたシーツの上に寝転がった。

 

「いつから、具合が悪かったの?」

 

背が高いユノだったから、敷布団から足がはみ出しそうだ。

 

「ずっと楽しみにしていたんだ。

這ってでも行きたかったんだよ」

 

お互いがスケジュールをすり合わせて、ようやく実現した旅行だった。

 

「俺はこの日のために生きてきたから」

 

「大げさだなぁ...遠足の小学生みたいだ」

 

「......」

 

仏頂面になってしまうユノ。

 

『子供みたい』と言われることを、ユノが嫌がることを知っていたが、今回ばかりは遠慮しなかった。

 

熱があるのに旅行を強行したユノの子供じみた意地に、チャンミンは苦笑していた。

 

「怒ってる?」

 

ユノは布団の隙間から伸ばした手を、枕もとに正座するチャンミンの膝にのせた。

 

「怒ってないよ。

どうすれば、ユノを楽にしてあげるかな、って考えてるんだ」

 

(近くに診療所があるか、あとで仲居さんに聞いてみよう。

氷や常備薬がもらえないか、聞いてみよう)

 

遠くには頂きが白い山脈、間近まで迫った山、見渡す限り白の世界。

 

あたりは薄暗くなっていて、窓の向こうにほんのわずかな人家の灯り。

 

白く濁った鉱泉が湧き出る、山深い温泉地に2人はやってきていたのだ。

 

実現したこの旅行の提案も、手配も支払いもすべてユノが済ませた。

 

ここ1か月の間、2人の話題は旅行のことに尽きた。

 

アウトドア専門店で、スノーブーツを選び、標高の高い土地に行くからと日焼け止めクリームも買った。

 

最初はユノの勢いに押され、苦笑しながら付き合っていたチャンミンだった。

 

ワクワクを隠し切れないユノの笑顔を見続けているうちに、気づけば指折り待ち望んでいた。

 

チャンミンは若さ弾けるユノに対して、自分が年上過ぎることに引け目を感じていた。

 

ユノは年上の恋人を前にすると、たちまち経験不足が露呈してしまうことが恥ずかしかった。

 

熱のせいで潤んだ目ですがるように、チャンミンを見上げるユノ。

 

「苦しいね」

 

額にかかった髪をかき上げてやると、ユノは目を細め、にーっと口角を上げる。

 

(無理して笑わなくていいのに...)

 

「夕食はそんなに入らないでしょ?

メニューを変えてもらうね」

 

「うん」

 

(確か、マスクがあったはず)

 

チャンミンはリュックサックの中をかきまわして、ポーチをいくつも取り出す。

 

「どこに入れたっけ?」

 

ポーチの中のポーチの中のポーチの中に...。

 

ソムリエナイフ、使い捨てカイロ、のど飴、除菌ティッシュ、湿布薬、ティーパック、入浴剤。

 

「チャンミンのバッグには何でも入ってるんだな。

整理整頓し過ぎて、欲しいものが見つからない人だなぁ」

 

「風邪っぴきは黙ってる!」

 

熱で朦朧としているくせに、チャンミンをからかう点は健在だ。

 

かきまわした弾みでぽろりとはみ出したものに気付いて、チャンミンは素早くバッグに戻す。

 

ユノには背を向けていたから、大丈夫、見られていない。

 

(危なかった)

 

充電ケーブルを入れたポーチの中に、目当てのものを見つけてユノの枕元に戻った。

 

「ほら、マスクをして」

 

短く刈ったもみあげからのぞく尖った耳に、ゴムを掛けてあげた。

 

1枚だけあった冷却シートも、額に貼る。

 

「肝心の解熱剤はなかったんだ。

胃薬はあったんだけどね」

 

「チャンミンらしいなあ」

 

「『らしい』って、どういう意味?

水分を摂った方がいいよ。

何が入ってるかな?」

 

広縁に置かれた冷蔵庫の前でしゃがむチャンミンに、うっとりとした視線を注ぐユノ。

 

 

 

 

チャンミンは、やっぱり綺麗だ。

 

俺には甘くて優しくて、世間を知っている大人で美人で。

 

間抜けな顔をして、寝ているだけの自分が悔しい。

 

この人の横顔が、ハンドルを握った途端、凛としたものに変わる。

 

在校中は、教官と教習生が個人的に連絡をとることが禁止されていた。

 

周囲の女どもが皆、チャンミンの担当教習生になりたがっていた。

 

卒業してすぐ、思いきってチャンミンに告白してよかった。

 

晴れてチャンミンの彼氏になれて、俺は幸せ者だ。

 

俺はまだまだだ。

 

努力するよ。

 

チャンミンにふさわしい、大人の男になるから。

 

大好きなチャンミンのために。

 

 

(つづく)

 

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