「チャンミン、温泉入ってきていいよ」
座椅子にもたれて、TV番組表のコピー用紙を見るともなく眺めながら、茶菓子の最中をかじっていたチャンミンの背中に、ユノは声をかけた。
「いいの?」
「うん。
俺の分まで、温まってきて」
チャンミンは、布団から頭だけ出したユノを愛おしげに見つめる。
企画・立案したイベントの主催者が伏せってしまっては、さぞかしユノは悔しいだろうに。
無理に見せる笑顔がふにゃふにゃだし、からかう言葉に少々キレがない。
無言になった隙にそうっと様子をみると、鼻先まで布団をかぶって、眉をよせてギュッと目をつむっていた。
(可哀そうに)
チャンミンは浴衣と一緒に下着を布バッグにつめた。
「お利口さんにしててね」
ユノの熱い額に軽くキスをした。
ユノは一瞬目を丸くした後、半月型にさせてにっこりと笑った。
「口にして欲しいけど、チャンミンに伝染しちゃうから、我慢する」
「12時間も一緒にいたんだからとっくに伝染っているよ」
交際を始めてまだ3か月の2人は、軽いキスを数回交わしただけ。
交際に至るまで1年を要した。
亀の歩みのようなペースで距離を縮めていく2人だったから、額のキスだけでもユノの心は弾んだ。
マスクのせいで、目の印象が強まった。
濃いまつ毛に縁どられた、すっきりと切れ長の上まぶた。
熱のせいで潤んだ瞳と、赤く色づいた下まぶた。
一心にチャンミンを慕い見上げる青年。
全部が愛おしくチャンミンの眼に映る。
・
(彼の瞳は、高性能のレーダーだ。
ごったがえす雑踏の中から、秒速で僕の姿をキャッチする。
透明でまっすぐな眼差しが、こんな自分に注がれているなんて。
いいのだろうか。
「大好きです」と繰り返すユノの言葉を、真に受けていいのだろうか。
ユノの視線を注がれた僕は、ピカピカの新品に生まれ変われる。
ユノは甘えん坊で可愛い可愛い、僕の恋人だ)
川魚と山菜が中心の 質素ながらも品数多く並ぶテーブル。
無理を言って用意してもらった、とろとろに炊いたお粥はユノ用だ。
ユノの額にのった温泉タオルが白くまぶしい。
アイスペールには、たっぷりと氷を入れてもらった。
「あーんして」
布団に寝そべったまま、ユノは大きく口を開ける。
「はいはい、あーん」
「熱い!
ちゃんと『ふうふう』してよ」
「子供みたい」
ユノが機嫌を損ねる言葉だけど、時と場合によっては、子供扱いを素直に楽しむこともあって、なかなか扱いが難しい。
「イチゴのシャーベット、食べる?」
「シャーベットはデザートだから、最後!
湯葉の刺身がいいなぁ」
「はいはい」
「俺もお酒が飲みたい」
手酌で日本酒を飲むチャンミンの浴衣の袖を、ユノは引っ張った。
「駄目って分かってて言ってるでしょう?
カモミールティーを淹れてあげるから」
「チャンミンのバッグには、何でも入っているんだなあ」
「世話が焼けるユノのために、荷物が多いんだよ」
(ここまで見事に、浴衣が似合わないとは)
浴衣から骨ばった長いすねが突き出していて、可笑しかった。
同時に、浴衣の袖からのぞく胸の谷間に、ドキリとしてしまうチャンミンだった。
「チャンミンの場合、必要なものを絞り込めないだけだろう?」
「こら!」
山盛りのシャーベットを、ユノの口に押し込んだ。
冷たさでこめかみを抑えるユノを見て笑うチャンミンだった。
枕元灯のオレンジ色の灯りに照らされるチャンミンの顔を、ユノはうっとりと見上げていた。
チャンミンが動くたび、長く黒い影が畳や壁をなめる。
隣の布団で、うつぶせになってページをめくるチャンミンを溶かすかのように、ユノは文字通り熱い視線を送る。
つやつや光る高い頬や、洗いっぱなしのあちこちはねた髪、男の人にしては細い手首。
ユノは枕の下からスマホを取り出すと、アプリを立ち上げた。
シャッター音に気付いたチャンミンは、目をむいた。
「盗み撮りしたな!」
「ふふん」
恥ずかしくなったチャンミンは、枕に顔を伏せてしまった。
(僕は写真が苦手なのに...!)
「チャンミン、ごめんね」
「?」
枕から顔を上げて横を向くと、隣の布団のユノが両手で顔を覆っていた。
「ごめんなさい」
「ブサイクに写っていたら、データを消してね」
写真を撮ったことを謝っているのだと思った。
「あの...チャンミン」
「なに?」
「今夜の俺は...無理」
「無理、って何が?
身体がつらいの?」
額の熱をはかろうと、チャンミンは身を起こしかけた。
「チャンミンを抱けない。
力が出なくて...」
「ユノ!」
「チャンミン、楽しみにしていただろ?
俺はちゃ~んと、知っているんだ。
アレも用意してくれてたのにな...」
ユノはにやりと笑う。
チャンミンの頬がカッと熱くなった。
バッグからはみ出してしまったアレを、高性能レーダーの目で漏らさずキャッチしていたに違いない。
「今夜は俺とチャンミンの初めての夜になるはずだったのに...俺は悔しい!」
覆った指の間から、三日月形になったチャンミンの眼が覗いていた。
「ふふふ」
「そんな照れることを、よく言えるよね!?」
「鈍感なチャンミンがいけないんだよ?
俺が分かりやすく言わないと、チャンミンは理解できないんだよね」
そう言うと、ユノは布団から這い出すと、チャンミンの布団の中に滑り込んできた。
「ユノ!」
「ぎゅー」
にゅうっと腕が伸びてきて、チャンミンの頭を力任せに胸に抱え込んだ。
「ぎゅー」
「痛い痛い!」
「俺は若くて健康な男だから、やっぱり我慢できない」
ふざけた風を装っているが、実はユノの心臓はバクバクだった。
緊張しているのをごまかすように、ユノは鼻面をすりつける子犬のようにふるまった。
ぴったりと押しつけたチャンミンの頬を通して、ドクドクいうユノの胸の高まりが伝わってくる。
「今は健康じゃないでしょ?」
「ふむ...確かにそうだ」
力が抜けた隙に、チャンミンはユノの腕から抜け出す。
「チャンミン!」
チャンミンは敷布団の端を持つと、ずりずりと部屋の端まで引きずった。
「風邪が伝染るし、病人のユノが落ち着いて眠れないでしょう?」
「そんなぁ...」
「ほら!
さっさと寝る!」
「あうぅ...遠い」
恨めしい目でじーっとチャンミンを睨んでいたユノだったが、諦めたのかチャンミンに背を向けて横になる。
なんだかんだ言っても、やはり身体が辛いのだ。
小さな後頭部が可愛らしい。
先ほどまでユノが寝ていた布団は、ホカホカと温かかった。
(ときめいちゃったじゃないか!
ユノの行動は、予想がつかないんだから!)
この日のために、わざわざアレを用意した自分の気合の入れようが恥ずかしかった。
同時に無邪気な自分を、微笑ましく思ったチャンミンだった。
(つづく)
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