「僕の不幸話を聞いてください」
「聞くよ」
「僕...ひどい顔してるでしょ?」
チャンミンが言う通り、目を背けたくなる顔をしていた。
「チャンミン...」
「僕がね、こんなにボロボロになっちゃったハプニング話です」
「ああ」
「すっごく悲しい話だから、あとで僕を慰めてください」
「もちろん」
「本当に怖かった。
痛かった。
男の力には敵わないから。
あ...僕も男ですけどね...ハハハ」
「チャンミン...」
震えるチャンミンの手を握りしめた。
「でも、
ユノが初めての相手でよかったです。
あんなケダモノが初めてだったら、死にたくなる」
「チャンミン...」
あの夜、「チャンミンを抱いていないこと」は口が裂けても、チャンミンには言えなかった。
絶対に。
一生、言うもんか。
「ユノ...この手」
「ん?」
「血が出てる...どうしたのですか?」
「あ...」
指の付け根に血がにじんでいた。
「ボコボコにしてきたんだ」
「誰を?」
「ヤツを」
たった1発殴っただけだったから、ボコボコは大げさな表現だったけど。
「...ユノ...ヤツから聞いたんですね」
「だから、ボコボコにしてきた」
「顔は?
殴られたんですか?」
前カノの兄に殴られた痣に、チャンミンの細い指が触れた。
「後始末してきたんだ」
「あらら、バイオレンス・ユノですねぇ」
微笑んだチャンミンが可愛らしくて、痛々しくて。
「お酒をいっぱい飲まされてたから、あまり覚えてなくてよかったです。
2人...3人...だったかな。
...覚えてないです」
俺は立ち上がって、ベッドに上がる。
チャンミンの小さなベッドが、ぎしっと軋んだ。
そして、横向きに寝るチャンミンを後ろから抱きしめた。
ビクリとチャンミンの身体が強ばった。
「大丈夫だから。
俺は何もしないよ、安心して」
4年間ずっと、好きで好きで。
触れたい欲求を抑えて、友情関係を守ってきた相手が今、俺の胸の中にいる。
チャンミンの身体から、力が抜けた。
「ユノ」
「ん?」
「よかった?」
「なにが?」
「気持ちよかった?
僕とヤって、気持ちよかった?」
「ああ」
「ホントに?」
「気持ちよかったよ」
「よかった」
チャンミンの髪が、俺のあごをくすぐる。
「研究室は決まったか?」
「今その話をするんですか?
決めました。
提出してきました」
「どこ?」
チャンミンが挙げた研究室は、一番人気で、かつ実験続きで泊まり込み覚悟のところだった。
「大丈夫か?
ハードなところだぞ?」
「頑張ります。
僕、心を入れかえました。
ユノに叱られましたよね。
やっているうちに、何かしら目標が見つかるって。
...でも、激戦だろうから、入れないと思います」
「第2希望は?」
チャンミンが挙げた研究室名を聞いて、俺はため息をつく。
「ユノと同じ所なら、ユノも安心でしょ?」
腕の中でチャンミンはくるりと寝返りをうって、俺の方を向いた。
「卒論も手伝ってあげないと」
「お前なぁ...俺を甘やかすつもりか?」
「僕は、こういう人間なのです」
「しょうがないなぁ。
せいぜいバックアップしてくれよ」
チャンミンの顔はみるみるゆがみ、目尻に涙が溜まってきた。
「ユノ。
頑張って一緒に卒業しましょう」
「ああ」
・
口に出すなら、今しかないと思った。
「俺の独り言を聞いてほしいんだけど...?」
「何?」
「こんな時に話す内容じゃないのは、分かってる」
涙のせいでつやつやと光ったチャンミンの瞳が、俺を射る。
「チャンミンは、俺にとって...大事な友達だ。
一緒にいて楽だし、面白いし...」
胸の鼓動が早い。
「...そんなことが言いたいんじゃなくて...」
ふぅっと一息つく。
「俺は、チャンミンが好きなんだ。
信じられないと思うだろうけど、
チャンミンのことが、ずっと好きだったんだよ。
気付かなかっただろ?」
全身が熱い。
俺の顔は、真っ赤になっているだろう。
「チャンミンのことが好きでいながら、他の子とヤリまくっていたなんて、おかしな話だ。
チャンミンはいつも誰か、好きな奴がいただろ?
そばで見ていて、俺は苦しかった。
だって、チャンミンのことが好きだったから、ずっと」
「ユノ...」
「しー」
口を開きかけたチャンミンの口を、片手で塞いだ。
「返事はいいから。
今は、いいから。
俺が誰かに...男に告白するのは初めてなんだ。
フラれることに慣れてないから。
返事はもうちょっと後で聞かせて」
チャンミンの目尻に溜まった涙を、俺は親指でぬぐってやった。
「もし、駄目でも、
俺は玉砕するつもりはないから。
何度でも言うから。
チャンミンが好きだって、何度でも言うから」
俺はチャンミンの頭を胸に引き寄せて、抱きしめた。
「こんな俺でごめんな。
俺はチャンミンの彼氏になりたい。
そんな資格が俺にないのは分かってる。
あっ、安心しろよ。
俺のユノは、これからはチャンミンにしか使わないから」
「ぷっ」
チャンミンが吹き出した。
肩を震わせて笑っている。
「チャンミン、俺の独り言を聴いてくれて、ありがとう」
チャンミンの長い腕がそろそろと、俺の背にまわった。
それだけでもう、十分だった。
ドイツ語事件の日。
白衣の彼を恍惚の眼差しで見送るチャンミンの横顔に、俺の心はさらわれた。
チャンミンは賢くて心根の優しい、そして強い精神を持った子だ。
俺なんかとはとても比べ物にならないくらい、いい男だ。
それでいて、ふわふわと危なっかしいんだ。
不安になったチャンミンが振り向く先に、俺は必ずそこにいてやりたい。
「ユノ...」と俺の胸のなかでもごもご言うチャンミンの背を、いたわりの心を込めて撫ぜた。
一生かけて償う。
一生をかけて、この子を守ろうと思った。
(おしまい)
(『抱かれたがった罪』につづく)
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