(10)抱けなかった罪

 

「僕の不幸話を聞いてください」

 

「聞くよ」

 

「僕...ひどい顔してるでしょ?」

 

チャンミンが言う通り、目を背けたくなる顔をしていた。

 

「チャンミン...」

 

「僕がね、こんなにボロボロになっちゃったハプニング話です」

 

「ああ」

 

「すっごく悲しい話だから、あとで僕を慰めてください」

 

「もちろん」

 

 


 

 

「本当に怖かった。

痛かった。

男の力には敵わないから。

あ...僕も男ですけどね...ハハハ」

 

「チャンミン...」

 

震えるチャンミンの手を握りしめた。

 

「でも、

ユノが初めての相手でよかったです。

あんなケダモノが初めてだったら、死にたくなる」

 

「チャンミン...」

 

あの夜、「チャンミンを抱いていないこと」は口が裂けても、チャンミンには言えなかった。

 

絶対に。

 

一生、言うもんか。

 

「ユノ...この手」

 

「ん?」

 

「血が出てる...どうしたのですか?」

 

「あ...」

 

指の付け根に血がにじんでいた。

 

「ボコボコにしてきたんだ」

 

「誰を?」

 

「ヤツを」

 

たった1発殴っただけだったから、ボコボコは大げさな表現だったけど。

 

「...ユノ...ヤツから聞いたんですね」

 

「だから、ボコボコにしてきた」

 

「顔は?

殴られたんですか?」

 

前カノの兄に殴られた痣に、チャンミンの細い指が触れた。

 

「後始末してきたんだ」

 

「あらら、バイオレンス・ユノですねぇ」

 

微笑んだチャンミンが可愛らしくて、痛々しくて。

 

「お酒をいっぱい飲まされてたから、あまり覚えてなくてよかったです。

2人...3人...だったかな。

...覚えてないです」

 

俺は立ち上がって、ベッドに上がる。

 

チャンミンの小さなベッドが、ぎしっと軋んだ。

 

そして、横向きに寝るチャンミンを後ろから抱きしめた。

 

ビクリとチャンミンの身体が強ばった。

 

「大丈夫だから。

俺は何もしないよ、安心して」

 

4年間ずっと、好きで好きで。

 

触れたい欲求を抑えて、友情関係を守ってきた相手が今、俺の胸の中にいる。

 

チャンミンの身体から、力が抜けた。

 

「ユノ」

 

「ん?」

 

「よかった?」

 

「なにが?」

 

「気持ちよかった?

僕とヤって、気持ちよかった?」

 

「ああ」

 

「ホントに?」

 

「気持ちよかったよ」

 

「よかった」

 

チャンミンの髪が、俺のあごをくすぐる。

 

「研究室は決まったか?」

 

「今その話をするんですか?

決めました。

提出してきました」

 

「どこ?」

 

チャンミンが挙げた研究室は、一番人気で、かつ実験続きで泊まり込み覚悟のところだった。

 

「大丈夫か?

ハードなところだぞ?」

 

「頑張ります。

僕、心を入れかえました。

ユノに叱られましたよね。

やっているうちに、何かしら目標が見つかるって。

...でも、激戦だろうから、入れないと思います」

 

「第2希望は?」

 

チャンミンが挙げた研究室名を聞いて、俺はため息をつく。

 

「ユノと同じ所なら、ユノも安心でしょ?」

 

腕の中でチャンミンはくるりと寝返りをうって、俺の方を向いた。

 

「卒論も手伝ってあげないと」

 

「お前なぁ...俺を甘やかすつもりか?」

 

「僕は、こういう人間なのです」

 

「しょうがないなぁ。

せいぜいバックアップしてくれよ」

 

チャンミンの顔はみるみるゆがみ、目尻に涙が溜まってきた。

 

「ユノ。

頑張って一緒に卒業しましょう」

 

「ああ」

 

 

 

 

口に出すなら、今しかないと思った。

 

「俺の独り言を聞いてほしいんだけど...?」

 

「何?」

 

「こんな時に話す内容じゃないのは、分かってる」

 

涙のせいでつやつやと光ったチャンミンの瞳が、俺を射る。

 

「チャンミンは、俺にとって...大事な友達だ。

一緒にいて楽だし、面白いし...」

 

胸の鼓動が早い。

 

「...そんなことが言いたいんじゃなくて...」

 

ふぅっと一息つく。

 

 

「俺は、チャンミンが好きなんだ。

信じられないと思うだろうけど、

チャンミンのことが、ずっと好きだったんだよ。

気付かなかっただろ?」

 

全身が熱い。

 

俺の顔は、真っ赤になっているだろう。

 

「チャンミンのことが好きでいながら、他の子とヤリまくっていたなんて、おかしな話だ。

チャンミンはいつも誰か、好きな奴がいただろ?

そばで見ていて、俺は苦しかった。

だって、チャンミンのことが好きだったから、ずっと」

 

「ユノ...」

 

「しー」

 

口を開きかけたチャンミンの口を、片手で塞いだ。

 

「返事はいいから。

今は、いいから。

俺が誰かに...男に告白するのは初めてなんだ。

フラれることに慣れてないから。

返事はもうちょっと後で聞かせて」

 

チャンミンの目尻に溜まった涙を、俺は親指でぬぐってやった。

 

「もし、駄目でも、

俺は玉砕するつもりはないから。

何度でも言うから。

チャンミンが好きだって、何度でも言うから」

 

俺はチャンミンの頭を胸に引き寄せて、抱きしめた。

 

「こんな俺でごめんな。

俺はチャンミンの彼氏になりたい。

そんな資格が俺にないのは分かってる。

あっ、安心しろよ。

俺のユノは、これからはチャンミンにしか使わないから」

 

「ぷっ」

 

チャンミンが吹き出した。

 

肩を震わせて笑っている。

 

「チャンミン、俺の独り言を聴いてくれて、ありがとう」

 

チャンミンの長い腕がそろそろと、俺の背にまわった。

 

それだけでもう、十分だった。

 

 

 

 

ドイツ語事件の日。

 

白衣の彼を恍惚の眼差しで見送るチャンミンの横顔に、俺の心はさらわれた。

 

チャンミンは賢くて心根の優しい、そして強い精神を持った子だ。

 

俺なんかとはとても比べ物にならないくらい、いい男だ。

 

それでいて、ふわふわと危なっかしいんだ。

 

不安になったチャンミンが振り向く先に、俺は必ずそこにいてやりたい。

 

「ユノ...」と俺の胸のなかでもごもご言うチャンミンの背を、いたわりの心を込めて撫ぜた。

 

 

一生かけて償う。

 

 

一生をかけて、この子を守ろうと思った。

 

(おしまい)

(『抱かれたがった罪』につづく)

 

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”23″ ]