あの日以来、
チャンミンと一週間会っていなかった。
例の2年生の子との別れ話がこじれて、彼女の兄やら友人やらも登場しての修羅場だった。
責められても、悪いのは100%俺の方だ。
ひたすら謝るしかなかった。
一度、チャンミンから着信があったが、それどころじゃなかった俺は「また後で」とそそくさと切ってしまった。
長い春休みに突入していて、大学に行く必要もなかったから、バイトのシフトを増やした。
今朝も着信があって、バイトに遅刻しそうだった俺はそれを無視をした。
出勤してきた俺と、帰り支度をしていたSとロッカールームで鉢合わせした。
Sは、俺の顔を見ると、ニヤリと口の端をゆがめた。
「ユノ、その顔どうした?女か?」
「ああ」
別れ話ののち、逆上した彼女の兄に何発か拳で殴られたのだ。
ロッカールームにいた他のバイト学生たちも寄ってきて、俺の顔を覗き見て笑った。
「こりゃ、痛いぜ」
「お前、オンナ関係派手だからな、ハハッ」
その言葉には無視して制服に着替えていると、Sが話しかけてくる。
「チャンミン、すげーよかったよ」
俺の着替える手が止まった。
「最高に締まりがよくってさ。
俺、久しぶりだったし。
何度でもイケるわけ」
「は?」
「ヤベーヤベー、
昨日は丸一日、部屋から出なかったな」
「チャンミンに...何したんだよ?」
声がうまく出せない。
しぼりだした声がかすれていた。
「何した、じゃなくて、何回したかって話。
ユノ。
お前の最高記録は何回だ?」
息が詰まって、呼吸ができない。
血の気が引いて、冷汗が噴き出るのが分かった。
「チャンミンってさ。
目がマジで怖いったら。
萎えるじゃん。
あいつの目を塞いでヤったよ、なぁ?」
Sは周囲に同意を求める。
なぜSだけじゃなく、小太りのこいつも、ガリガリの不細工も頷いてるんだよ。
こいつらは一体、誰の話をしてるんだ?
「ヤりまくりのユノの紹介だからさ。
てっきりお前が先に手をつけてるって思うだろ?」
「まさかの、“初めてちゃん”だったとはなー」
「俺らが“開発”してやらないとなー」
「なー」
「暴れるのなんのって、3人がかりだったよ」
ゲラゲラと笑い声。
この野郎...。
上半身がカッと熱くなって、気づくとSの胸ぐらをつかんでいた。
Sの後ろのロッカーがガシャンと音を立てる。
全身がたぎるように熱かった。
視界が狭い。
「何てことしてくれるんだよ!」
「お、落ち着けよ」
Sは怯えた目をして、つかみ上げた俺のこぶしを叩く。
「放せったら」
小太りとガリガリが、俺をSから引きはがした。
「お前の男じゃないんだろ、チャンミンは?」
Sは首をさすりながら、へらへらと笑う。
「じゃなきゃ、なにキレてるんだよ」
吐き気がした。
これまでの自分を、心の奥底から恥じた。
何人もの女の子たちをモノにし、泣かせてきた罰が当たった。
その罰は俺じゃなくて、チャンミンに当たった。
片想いでいるのがやりきれなくて、心と身体がバラバラだった俺。
そのせいで、チャンミンの心も身体も両方、めちゃくちゃに傷つけてしまった。
俺は大馬鹿野郎だ。
もっと早く、チャンミンに想いを伝えていればよかった。
断られたとしても、何度もあきらめずに。
いつかは、俺の方をふり向いてくれていたかもしれない。
チャンミンを振り向かせていれば、こんなことにならなかったのに。
ぞっとするほど怖いくらいのチャンミンの眼差しを、受け止められるのは俺だけなのに。
あの夜、チャンミンを最後まで抱いていればよかった。
腕の中からすり抜けてしまわないよう、チャンミンの身体に俺を刻みつけてやればよかった。
いや、違う。
抱く以前の問題だ。
キスする前に、「好きだ」と口にしていればよかったんだ。
Sのことは諦めて、俺を見てくれ、と。
ほらやっぱり、ここに帰結するのだ。
今のチャンミンは...。
苦しんでいるだろう。
傷つけたのは...俺だ。
・
階段を3段飛ばしで駆け上がり、チャンミンの部屋のチャイムを鳴らす。
ポケットから携帯を取り出して、履歴を確認した。
チャンミンから着信があったのは、今朝が最後だった。
チャンミンからのSOSの着信を、俺は無視した。
かけ直すこともせず、放置していた自分を殴りつけてやりたかった。
インターフォンから反応がなく、焦った俺はドアを何度か叩く。
「チャンミン!
俺だ!
ユノだ!」
カチリとドアが開いた。
ドアの隙間からのぞくチャンミンの顔を一目見て、彼にしでかした事の重大さが重く俺にのしかかる。
あまりに痛々しくて目をそむけたくなったが、こらえてチャンミンを正面から見つめた。
「チャンミン...」
俺に身体を鍛えろとからかわれたばかりのチャンミンが、げっそりとやつれていた。
端正な顔だけに、余計に痛々しかった。
「ユノ...久しぶり」
声が嗄れていた。
押さえつけられて大声で泣き喚く姿が浮かんで、心臓がぎゅっと縮まった。
「あ、ああ」
チャンミンについて部屋に入る。
「僕...ちょっと調子が悪いから。
横になってて...いいですか?」
「あ、ああ、もちろん」
柔らかなくせ毛が、今はぺしゃんこにつぶれていた。
チャンミンは前かがみになって、小股でそろそろと歩いている。
チャンミンは、ここまで独りで帰って来たのか。
今朝の電話は、俺に迎えに来て欲しかったんだ。
俺はチャンミンの背に手を添え、ベッドに横になった彼に布団をかけてやる。
いつも表情豊かなチャンミンが、能面のようで目がうつろだった。
どれくらい泣いていたのだろうか、目が腫れぼったかった。
俺はチャンミンのベッドの端に腰かけて、かける言葉がみつからず逡巡していた。
「ごめん」
「どうしてユノが謝るんですか?」
チャンミンの瞳には確かに俺が映っているのに、まるで焦点が合っていない。
「Sを紹介したばっかりに...」と言いかけた言葉を飲み込んだ。
もしかしたら、チャンミンは俺に知られたくないと考えているかもしれない。
掛け布団のしわをのばしながら、チャンミンに話しかけた。
「...ちゃんと、ご飯食べてるか?」
「...ううん...」
「食べないと、元気がでないぞ」
「お腹を壊したのかな...ハハハ」
「牛乳を温めてきてやろうか?」
「いらない...」
「もっと太った方がいい。
なにか食べたいものはある?買ってくるよ」
「いらない。
でも、ありがとう」
チャンミンの「ありがとう」を聞いた途端、俺の目からボロボロと涙がこぼれ出た。
「チャンミン、アイス好きだろ?
買ってくるから、待ってろ」
泣いている顔を見られたくなくて、俺は立ち上がった。
「行くな!」
布団の中からチャンミンの腕が伸びて、俺のシャツを引っ張った。
「ユノ...ここにいて」
チャンミンの瞳に、わずかだけれど鋭い光が戻っていた。
「いるよ」
裾をつかんだチャンミンの手をとり、その手を両手で包んだ。
甲の薄い、俺より小さな手だった。
まともにチャンミンの手を握ったのは、これが初めてだったかもしれない。
ますます、泣けてきた。
俺の理想と逡巡が邪魔をして、チャンミンを守れなかった。
自分が情けなかった。
(つづく)
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