結婚前夜(1)

 

~チャンミン~

 

 

ユノは僕の恋人だった。

 

5年前、別れた。

 

今だからこそ、ユノのことを『恋人』だったと言えることで、当時は面と向かってはっきりと、『僕らって、付き合っているんだよね』と口にしたことはない。

 

僕らの関係が、いわゆる『セフレ』のようなものだったから。

 

ユノにも僕にも、恋人がいた。

 

結婚を約束した女性がいたのに、僕はユノと会っていた。

 

3年以上同棲中の彼女がいたのに、ユノは僕と会っていた。

 

平穏だとか、退屈だとか、あくびがでそうな日々に、刺激を与えてくれるスパイスのようなもの。

 

可愛い彼女との生活は、平和と幸福に満ちているはずなのに、底流に物足りなさと不安感があって。

 

『彼女のことは好きだけど、一緒にいて楽しいけど...何かが違う気がする』

 

そんな気持ちをずっと抱えていた。

 

欲求不満が溜まっていた。

 

当時の僕は、この欲求不満の正体とはつまり、セックスのことなんだと勘違いしていた。

 

ユノを失った僕。

 

僕は、ユノという『セフレ』を失い、ユノという『親友』を失い、ユノという『愛する人』を失った。

 

『好き』と言ったことはない。

 

『愛している』と言われたこともない。

 

互いの肉体を何度も繋げた。

 

繋げていたのは身体だけじゃなかった。

 

言葉はなくても、僕とユノは身体以上のもの...心も繋がっていたんだ。

 

そのことに気付いた時には、僕は既婚者となって妻がいた。

 

別れを告げたのは、ユノだ。

 

言い出せない僕を気遣ってくれたんだ。

 

僕が言い出せなかったことって...何だったんだろう。

 

「僕はもうすぐ結婚をする。

彼女を裏切り続けるのは辛い。

だから、この関係は終わらせよう」だったのか。

 

「僕はユノが好きだ。

彼女と別れて、僕を選んでよ?」だったのか。

 

「今のままの関係でいいよね?

お互いの生活はそのままに、内緒の逢引きを続けよう」だったのか。

 

今なら、はっきり言えるのに。

 

今さら、遅いよね。

 


 

 

~ユノ~

 

チャンミンから連絡があったとき、俺の隣には婚約者が眠っていて、ディスプレイに表示された文字を認識するや否や、俺は跳ね起きた。

 

チャンミン...!

 

今になってなぜ、連絡してきた?

 

俺がどれだけ打ちひしがれたか。

 

何もなかったように平静を装うことが、どれだけ難しかったか。

 

全身ありとあらゆる汁にまみれて、獣のように交わりあった同じ日に、彼女が洗濯してくれた下着を身につけていた俺。

 

同様に、チャンミンも婚約者を裏切り続けていた。

 

5年前もそうだったが、今も相変わらず酷い男だ。

 

どうせ寂しくなって、奪い合うようなセックスがしたくなったんだろう。

 

番号を変えればいいものを、そのままにしておいたのは恐らく、いつかチャンミンが俺を呼び出したくなる時が訪れることを期待していたからだ。

 

「お前は俺を捨てたんだ。未練がましく、電話をかけて寄越すんじゃないよ」と、冷たくあしらってやりたい願望もあった。

 

5年前、別れを告げた時、涙を浮かべて心底傷ついた風のチャンミンだった。

 

違うよ、チャンミン。

 

俺の方が数倍、傷ついていたんだって。

 

 

チャンミンはいつも、何かしら不満を抱えているように見えた。

 

ところが、何が不満なのかチャンミン自身気付いていなかったせいで、不安定で苛立っていた。

 

俺を冷たく突き放したかと思えば、やたらと甘えてきたりして。

 

出逢ったばかりの頃は、それを真に受けた俺は振りまわされてばかりいたが、過ごす時間を重ねるうちに、扱い方のコツみたいなものを会得していった。

 

今夜の不意打ちの電話も、妻がいる身のくせに、物足りなくて俺に抱かれたくなったのだろうと思った。

 

チャンミンは何でも知っているくせに、知らない顔を装うのがうまい男だ。

 

そして、本当に欲しいものが何なのか分からず、フラストレーションを抱えていた男でもあった。

 

俺は知っている。

 

俺が欲しくて仕方がないことを。

 

俺がいないと駄目なんだろう?

 

それなのに、「ユノが欲しい」と言えずにいるチャンミン...「ユノが欲しい」本心に気付いていない可能性の方が大だ...に、俺は傷ついていたんだ。

 

俺もチャンミンがいないと駄目だったし、チャンミン以上に負けず嫌いだった。

 

だから、当時の俺は「チャンミンが欲しい」の言葉が、負けを認めるみたいで嫌だった。

 

恋愛に勝ち負けなど存在しないのに。

 

その言葉を発していればよかったと後悔したが、もう遅い。

 

 


 

~チャンミン~

 

 

カフェの一番奥まった席で、僕はユノを待っていた。

 

呼び出したのだ。

 

みっともない行動だった。

 

ユノが結婚すると聞いて、いてもたってもいられなかった。

 

通話履歴を一番後ろまでスクロールした番号に、深夜であるのも構わずタップした。

 

呼び出し音が鳴って、「よかった、番号はそのままだった」と安堵した。

 

「やあ、久しぶり」「どうしてる?」のありきたりな挨拶もなしだった。

 

「今すぐ会いたい」とだけ。

 

電話の向こうで、ユノの息をのむ音が聞こえた。

 

「...無理だ」

 

寝起きのユノの声...低くて、かすれていた。

 

僕をぞくぞくとさせてきた、懐かしい声。

 

「だよね...」

 

電話に出てもらえただけでも、ありがたいと思わないと。

 

この期に及んで、僕の一方的で身勝手なお願いなんて、断られるって百も承知。

 

でも、ほんのわずか、数パーセントくらいは期待していた。

 

僕と会う、って頷いて欲しい!

 

無言が数秒間続いた。

 

「ごめん」と謝って、僕は通話を切ろうとした。

 

「今は無理だ...。

明日の昼間だったら、いいよ」

 

「...ホントに?」

 

「ああ」

 

泣き出したいくらい、僕は嬉しかった。

 

スマホを持つ僕の手は、緊張の汗でべたべただった。

 

「...ったく、相変わらずわがままな男だなぁ...」

 

ぼやくユノの言い方が5年前とあまりに同じで、鼻の奥がつんとした。

 

別れを告げたのはユノの方だったけど、ふったのは僕の方だ。

 

結婚式が2週間後に控えていたあの日、僕はどちらも選べずに、選択をユノにゆだねていたんだ。

 

ずるかった5年前の僕。

 

未練がましくユノを求める、みっともない今の僕。

 

 

 

 

凡人がやったらキザったらしく見えるのに、ユノの場合は別だ。

 

シンプルなロゴニットにワイドパンツを合わせて、濃いグリーンのトレンチコートを羽織って現れた。

 

颯爽とした迷いない足運びで、僕の元に向かってくる。

 

僕は見惚れてしまって、ぽかんと口を開けていたみたいだ。

 

「行こうか?」

 

ちょっと怒ったような言い方だった。

 

「は、はい」

 

怒らせるようなことをしたのは僕なのだから、仕方がないか。

 

「ホテルは?」

 

「えっと...まだ...」

 

「適当なところでいいよな?」

 

僕は慌てて立ち上がる。

 

ユノは席に座りもせず、僕にそう言うと踵を返してカフェの出口へと行ってしまった。

 

テーブルで差し向かいに座って...隣り合わせならもっといい。

 

一緒にコーヒーでも飲みながら会話が出来れば...なんて、夢見た僕は間抜けだった。

 

僕らの関係は、セックス抜きには語れないものだから。

 

あの時、僕はユノを選ばなかった。

 

だから、ユノにああして欲しい、こうして欲しいとねだる資格は、今の僕にはないんだ。

 

大股で歩くユノの背中を追いながら、僕の心は悲しみでいっぱいだった。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

助手席にチャンミンを乗せ、近場のホテルを探す。

 

無言だった。

 

チャンミンは揃えた膝にこぶしを乗せ、窓の外の景色を眺めていた。

 

俺の横顔を、ちらちらと窺うチャンミンに気付いていた。

 

安っぽくて薄汚いところだったが、探し回るのも面倒で、チャンミンの同意も得ず車を滑り込ませた。

 

そっけない態度のフリをしていたが、俺の中で悦びと哀しみ、そして怒りとがいっしょくたになった感情が渦巻いていた。

 

俺の背中を追いかける男...端正過ぎる容姿をもった男...を無茶苦茶にしたい、暴力的な欲望に支配されていた。

 

チャンミンを...無茶苦茶にしてやりたい。

 

俺を捨てた男だ。

 

泣いて謝っても、止めてくれと請われても、攻めたくて仕方がなかった。

 

部屋の前で、チャンミンが追い付くのを待った。

 

笑顔のない俺を見るチャンミンの目に、怯えの色と、俺にどうにかされたい欲の色が滲んでいた。

 

 

 

 

ドアを閉めるなり、チャンミンは俺の両頬をはさむと、むしゃぶりつくように唇を重ねてきた。

 

唇をこじあけられて、俺の口の中で生ぬるい舌が差し込まれた。

 

性急すぎて歯が当り、滲んだ血の味がするキスだ。

 

「っふ...んっ...!」

 

俺は腕を突っ張って、俺の頭を抱え込まんばかりのチャンミンを引きはがした。

 

よろめいたチャンミンは、シミだらけのカーペット敷に尻もちをついた。

 

チャンミンのペースにのせられてたまるか。

 

俺を見上げる目は充血していて、まだ何も始まっていないのに泣き出しそうな顔をしている。

 

眉をひそめた、凹凸のはっきりした美しい顔。

 

「服...脱げよ」

 

「えっ...!」

 

「脱げ」

 

俺は命ずる。

 

「そのつもりできたんだろ?」

 

「違っ...」

 

「何が違うんだよ?」

 

俺は膝まずいて、チャンミンの股間をつかむ。

 

「こんなに膨らませておいて、何が違うんだよ?

早く脱げったら。

時間がないんだ」

 

明日、結婚挙式を控えている身。

 

このタイミングで俺を呼んだチャンミンも悪いが、そのの呼びかけに応じた俺も悪い。

 

裏びれたホテルで、昔の男と獣のように交わった後、この男を後に残して去るのだ。

 

捨てるのは、俺の方だ。

 

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