(8)会社員-情熱の残業-

 

 

今の会社に転職する前は、競合他社の商品企画部にいた。

 

商品企画と聞くと大抵の者は「面白そう!」と羨ましがるが、「こんなものがあったらいいな」のイメージを形にしていくのは、そう楽しいものじゃない。

 

俺は雇われ人であるから、会社イメージと自社技術、予算とターゲットを常に念頭に置く必要がある。

 

企画部の面々の頭は固定概念で凝り固まっていて、「自分たちの会社に作れるもの」を前提に企画するから、どれもこれも無難で面白くないものしか生まれてこない。

 

採用を勝ち取るために、得意先の前でプレゼンをすることがある。

 

本来なら営業担当の仕事なのに、「お前は弁が立つから」と、営業でもなんでもない企画部の俺が出向く羽目になった時があった。

 

控室で自社のプレゼンの順番待ちをしていた時に、今の会社の営業部長と出会って、「うちは常に優秀な営業部員を欲しがってるんだ」と誘われた。

 

「この分野の営業は経験ありませんから」と謙遜すると、

「企画部こそ、かなりの交渉術が必要なところだよ。

開発部のプライドと情熱を汲んでやり、上層部を説き伏せられるだけの理論武装、最後には情に訴えかけたりしてさ。

金の計算もしないといけない。

突き返されたら、がっかりする開発部をなだめすかして改良品を作ってもらい、それをまた頭でっかちの上層部にお披露目する。

なかなか、大変だよ...うんうん」

 

「よく分かってますね」と、全くその通りのことを日々繰り広げていたから驚いた。

 

「私も企画出身だ。

だからユンホ君、君は営業に向いていると思うんだ」

 

誘われるまま前の会社に辞表を提出し、引継ぎ期間の2か月を経たのちに、この会社にやってきたのだ。

 

実際の営業職とは、気を遣うことも残業も理不尽だと感じることも多い。

 

少しでも好条件な注文を沢山とってくればいい、というシンプルさが合っているみたいだ。

 

俺が入社して直ぐ辞めた前任者のエリアを任され、新規顧客も獲得し、俺はまあまあな成績をおさめていった。

 

そして、チャンミンと出逢っちゃんだよなぁ...。

 

転職してよかったなぁ。

 

 

...なんてことを、つらつらと思いながら高速道路を走らせていた。

 

出発時にはちらつくだけのだったのが、ヘッドライトに照らし出される雪の塊が大きくなってきた。

 

スリップ事故など絶対に起こすまいと、ハンドル操作も慎重になり、首や肩が凝る。

 

社の出荷場を出てすぐ、チャンミンはこう宣言した。

 

「僕がナビになります!」

 

「...カーナビがある」

 

「車のラリーって知ってますか?」

 

「一般道とドロドロのコースを交互に走るやつだろ?」

 

「うーん...大体合ってますから、いいとしましょう。

ラリーでは助手席に『ナビゲーター』が座ります」

 

「へえ。

ドライバーだけじゃないんだ」

 

「はい。

『ナビゲーター』がコースの全てをインプットしているのです。

次のカーブまでの距離や深さ、そこに至るまでのスピードも全部、ブレーキを踏むタイミングまで、『ナビゲーター』がドライバーに指示を出しているのです」

 

「へえ、知らなかった。

お!

コンビニに寄るか?」

 

「結構です。

レースでの勝利の鍵は『ナビゲーター』にかかっていると言っても過言ではないのであります」

 

「あのな、チャンミン。

これはラリーでもレースでもない」

 

チャンミンを連れてきてしまったが、彼の出番は荷物の積み下ろしの時くらい。

 

あとは隣で大人しく、居眠りでもしてもらおうと思っていたのが、やたらと張り切るチャンミン。

 

「いいえ、ラリーです!

夜道、雪道、知らない道...3拍子揃っています。

『ナビゲーター』の指示があると、ドライバーの疲労も軽減できるのです」

 

チャンミンはかなり面倒くさい奴だが、本人には全く悪気はないんだ。

 

思っていることをストレートに出しているだけ。

 

「わかったよ。

チャンミン・ナビゲーター、よろしく頼むよ」

 

「合点承知の助!」

 

「......」

 

なんて、張り切っていたくせに、やけに静かだなと思ってちらっと助手席を確認すると、首を真下に折って眠っていた。

 

(『ナビゲーター』が寝てどうする?)

 

肩を突いて起こしたくなったが、ここは我慢だ。

 

俺はカーナビの案内に従って、目的地に向かって北上して行ったのだ。

 

 

「...ユンホしゃん...」

 

(しゃん?)

 

「ああ?」

 

「漏れる...」

 

「なんだって!?」

 

「...駄目...」

 

「我慢してろよ。

あと...5キロだ」

 

雪のつぶてで視界が悪く、正面から目を離せない俺は、ぞんざいな返答がやっと。

 

俺も尿意をもよおしてきたから丁度いい、ウィンカーを出して最寄りのサービスエリアに進路変更した。

 

建物に近い駐車スペースを見つけて、車を滑り込ませる。

 

ブレーキをかけた時、軽くスリップしたからヒヤリとした。

 

「着いたぞ!」

 

「......」

 

停車してすぐ、隣を見ると...あれ?

 

がっくりと首を折ったままの姿勢のチャンミンは、おねんねの時間のようだ。

 

ということは、今までのは全部...寝言?

 

「チャンミン?

起きろ」

 

チャンミンの肩を揺する。

 

「ユンホ...しゃん...」

 

か、可愛い...!

 

そういえば、寝言に答えたら駄目だって、どこかで聞いたことがあるなあ、とか思っていたら。

 

「...あん」

 

(あん?)

 

チャンミンの肩を揺する手が止まる。

 

「...だめっ...あん...」

 

「!」

 

「...おっきい...!」

 

「!!」

 

「無理...入らない...あ...」

 

「!!!」

 

「...駄目...漏れる...」

 

チャンミン...どんな夢を見ているのか、容易に想像がつくぞ...。

 

(『おっきい』って、アレのことか?)

(『入らない』って、アレのことだよな?)

(『漏れる』って何がだ?アレのことか、それともソレか、それともアッチのことか?)

 

もうしばらくの間、チャンミンの寝言劇場を聞いていたかったが、俺たちには時間の余裕がない。

 

「ユンホしゃん...」

 

「はいはい、俺はここだ。

チャンミン、起きろ!」

 

「ユンホしゃん...好き...」

 

「!!!!!」

 

俺はたまらずチャンミンに抱きついてしまった。

 

「う...うーん...うーん...苦し...。

ユンホさん!

何してるんですか!」

 

やっとで目覚めたチャンミンは、俺に抱きつかれて驚いたようだ。

 

「ユンホさん!

だ、だ、抱きつくなんて!

は、放してください!」

 

「悪い」

 

身体を起こすと間近に、チャンミンの顔が。

 

ルームライトのみで、表情まではわからず残念だ。

 

100%真っ赤な顔をしているハズ。

 

チャンミンの首元から、久しぶりに嗅ぐ彼の濃い匂いする。

 

「好き」って言われたりなんかしたら、抱きつくなと言われても無理な話だ。

 

「『ゆんほしゃん...好き...』かぁ...」

 

「?」

 

「何でもない。

よし、便所に行って、食べるもの買って、とっとと出発しよう!」

 

顔がにやけてきて、仕方がないったら!

 

 

(つづく)

 

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