(3)会社員-恋の媚薬-

 

「相思相愛...ですか...」

 

チャンミンのつぶやきに、隣が気になって表情を窺う。

 

思いっきり嫌な顔をされていたら傷つくよなぁ、と思って。

 

これまでの経験上、ウメコ作の『魔法のドリンク』なんて、90%はいい加減なものだ。

 

ところが、残りの10%は効き目が抜群だったりする(何度、痛い目に遭ったか!)。

 

ん...?

 

果たして「とんでもないもの」なのか?

 

願ったりかなったりじゃないか!

 

ちらっと、隣のチャンミンに視線を向ける。

 

チャンミンは空になったグラスを手の中でもてあそびながら、何やら考え込んでいる。

 

「チャンミン。

本気にするなよ?

ウメコのお遊びなんだから」

 

「え...。

そうなのですか?」

 

チャンミンは、きょとんとした丸い目で僕を見返した。

 

「俺と相思相愛になったりしたら、気持ち悪いだろ?

ごめんな」

 

そうしたら心外そうに眉をひそめるから、俺の方がきょとんとしてしまった。

 

「ユンホさんは、気持ち悪いのですか?」

 

「いや...気持ち悪いってことは...」

 

動揺してしまって、声が震えてしまった。

 

「どう?」

 

俺とチャンミンの間に、ウメコの顔がぬっと割り込んだ。

 

「何か変化があった?」

 

「変化も何も...なんとも...ないけど?」

 

『相思相愛のドリンク』なんて聞かされたから、燃えるように身体が熱くなって、視界がピンクになるのだと、実は期待していた俺だった。

 

アルコール度数高めのカクテルを少量飲んだ程度。

 

俺がチャンミンに気があることをキャッチした、ウメコの悪戯なんだと思った。

 

もしくは、いつものように魔術(?)がいい加減過ぎて、効き目のない無害なものなんだと。

 

「おかしいわねぇ。

ちゃんと発酵させなかったせいかしら。

蜘蛛の...」

 

「ウメコ!

言うな!

原材料は聞きたくない!」

 

俺は耳を塞いで、大声をウメコの説明を制した。

 

「うるさいわねぇ!」

「うるさいのはお前だろ!」

 

ウメコの首を絞めて前後に揺する。

 

「あの...」

 

消え入るようなチャンミンの声に、俺とウメコは口を閉じる。

 

「僕...なんだか、変です...」

 

「ええっ!?」

 

俺とウメコは、一斉にチャンミンに注目する。

 

チャンミンはシャツの衿口をぎゅっと握っている。

 

「大丈夫か?

気持ち悪いのか?」

 

心配になった俺は、チャンミンの肩に手をかけて顔を覗き込んだ。

 

チャンミンはふるふると首を振ると、ネクタイをもどかしげに緩める。

 

「熱い...」

 

首の締め付けから解放されて、ふぅっとついた吐息が俺の腕にかかる。

 

ぞくり、とした。

 

「ウメコ!

何入れたんだ?」

 

「聞きたくないって言ったのはユノでしょう?」

 

「身体が熱くって...」

 

チャンミンの申告通り、俺を見上げる彼の目が熱っぽく潤んでいて、ランプシェードの灯りを受けて揺らめいた。

 

オフィスではきりりと引き締めた表情のチャンミンが、今じゃ緊張の解けた...うっとりと弛緩した...ものになっていた。

 

俺の喉がごくりと鳴った。

 

「はぁ...熱いです...」

 

いつものむっつりと引き結んだ唇が、半開きになっている。

 

「チャンミンっ!」

 

「熱い...です」

 

おいおいおいおい!

 

あれよあれよという間に、チャンミンはシャツのボタンを一番下まで外してしまった。

 

「待て!

何するんだ!」

 

焦った俺は、シャツを脱ぎだすチャンミンの二の腕を制し、「お前もなんとかしろ」とウメコを振り返った。

 

ところが、ウメコは意味ありげな笑みを浮かべるだけの傍観者。

 

チャンミンは脱いだワイシャツを、ぽいっと床に落としてしまう。

 

「チャンミン!」

 

俺は慌ててそれを拾いあげ、空いていたハンガーにかけてやる。

 

予想通りだが、堅物チャンミンは中にインナーTシャツを着ていて、半裸を披露してくれるものと密かに期待していた俺は、少し残念だったりして。

 

「ふう...。

ちょっとはマシになりました」

 

そう言って、薄手のインナーTシャツの衿をつまんであおいでいる。

 

香水も何もつけていないチャンミンの体臭がふわりと漂ってきた。

 

一日の労働の後の、濃い匂い。

 

坊ちゃん坊ちゃんしているけど、それは男っぽいものだったから、その意外性に色気を感じた。

 

やば。

 

俺は目のやり場に困って、正面を向く。

 

なぜなら、薄い生地越しにチャンミンの乳首が透けていたから。

 

大量にかいた汗が素肌に張りついて、身体のラインが浮き出ている。

 

まだ暑いのか、肩までまくしあげたシャツから伸びるのは、太い二の腕。

 

チャンミン...鍛えているのか...意外過ぎるんだけど。

 

メニューに忠実に従って、黙々とトレーニングに励むチャンミンの姿が、容易に想像できた。

 

「ウメコ」

 

俺はウメコに手招きして、耳打ちする。

 

「あんなに暑がっているけど、平気なのか?

俺はなんともないぞ?

おい!

飢えた眼でチャンミンを見るな!」

 

ウメコは、薄着のチャンミンを舐めるように見続けたまま答える。

 

「これは『恋の媚薬』なのよ。

身体が熱くなって当然じゃないのぉ。

あなただって、好きな人を前にしたら熱くなるでしょ?

あらやだ、ユノ。

何を想像してるのよ?

熱くなるってのはムスコじゃなくって、身体全体のことよ。

やあねぇ、ユノったら、いやらしい!」

 

「おい!」

 

「効き目に個人差があるからねぇ...」

 

「本人の意志に逆らって、あんなもの飲ませていいのかよ?

汗かきすぎだろ、拒絶反応なんじゃないのか?」

 

Tシャツの裾で顔の汗を拭いているチャンミンを横目に、俺はウメコに問う。

 

贅肉のかけらもない平らな下腹がのぞいてしまってる。

 

告白する。

 

俺はどっちでもイケる方なのかもしれない。

 

男と付き合ったことはないが、男であろうと女であろうと、綺麗なものには惹かれる。

 

と言っても、分かりやすく開かれた美しさには惹かれない。

 

宝の持ち腐れみたいに当人に自覚がなくて、探す気のある者じゃなければ暴かれることなく埋もれたまま...みたいなものに惹かれる。

 

服装や髪型、仕草や言葉遣い。

 

他人からしたら面倒くさいキャラクターが煙幕になって、大抵の人は気付けずにいるチャンミンの美しさ。

 

最初はルックスだった。

 

どころが徐々に、くそ真面目一徹じゃなく、言葉の端々にはさんでくるユーモアさが面白くって...。

 

チャンミンの魅力についてはおいおい話すとして、ここまでにしておこう。

 

「ユンホさん...すみません...暑くって...」

 

俺はカウンターに肘をついて、鼻にしわを寄せてくしゃりと笑うチャンミンを見つめる。

 

なあ、チャンミン。

 

今のお前の目には、俺はどう映ってる?

 

 


 

 

もともとチャンミンに気のある俺はともかく、敬語・さん付けで、業務以外の関わりのなかった同僚に過ぎないチャンミンは困るだろう。

 

相思相愛になる代物を飲まされたりなんかしたら。

 

『恋の媚薬』の力で、チャンミンを振り向かせるのなんて、俺の意に反している。

 

相思相愛になるのは嬉しいが、その関係は本心によるものじゃないから、嬉しくない。

 

俺の問いに、

「さあ...それはどうかしら。

これからどうなるかは、あなたが確かめてみるしかないわ」

と、ウメコは答える。

 

「確かめるって言われても...」

 

「ユンホさん...」

 

俺のベルトにチャンミンの指が引っかけられている。

 

「ユンホさん!」

「うわっ!」

 

力任せにひき下ろされて、俺はドスンとスツールに腰を下ろした。

 

なんて力だ...。

 

「ウメコさんとばかりいないで。

せっかく一緒にいるのですから、僕とおしゃべりをしましょう」

 

「え...?」

 

「ユンホさんのことが知りたいんです。

おしゃべりしましょう」

 

そう言ってチャンミンは、俺を覗き込む。

 

15センチ頬を寄せれば、キスができそうだ...って、おい!何考えてんだ。

 

おしゃべりしましょう、と言われても、いざとなると話題が思いつかないものだ。

 

業務以外の会話なんてしたことがないし、チャンミンが何に興味を持っていて、どんな私生活を送っているかも知らない。

 

そんなんで、チャンミンが好きだ、とよく言えたものだ。

 

勿論、聞きたいことは山ほどある。

 

休みの日は何してる?

学校はどこに行ってた?

どうして今の会社を選んだ?

 

それから...『彼女』はいるのか?

 

「...チャンミンは、何が好きなんだ?」

 

そうっと横目でチャンミンを窺うと、同じタイミングで俺の方を窺うチャンミンと目が合った。

 

バチっと火花が散った。

 

つくづく綺麗な顔をしていると思った。

 

7:3に分けた前髪が乱れてしまって...前髪を長く伸ばしているらしい...片目を覆っている。

 

俺とチャンミンの肩が触れ合っている。

 

薄い生地を通して、汗ばむチャンミンの熱い体温が伝わってきた。

 

「そんな漠然とした質問じゃあ、答えられません」

 

チャンミンらしい答えだ。

 

「だよな。

しゅ、趣味は?」

 

あのなぁ、ユンホよ。

 

『趣味』...って、お見合いみたいな質問するんじゃないよ。

 

「そうですねぇ...。

最近は料理に凝ってます」

 

「へぇ。

凄いな」

 

もっと気の利いたことが言えないのか、ユンホよ!

 

「楽しいですよ」

 

生真面目にレシピと睨めっこして、忠実に倣ってに調理する姿が想像できた。

 

くすりと笑みがこぼれてしまう。

 

「!」

 

俺の腕に、チャンミンの手がのっていた。

 

思わず腕を引いてしまったから、チャンミンの頬がピクリと震えた。

 

しまった、拒絶にとられたかもしれない。

 

ところが、綺麗な顔を俺の方に寄せてきた。

 

近い近い近い!

 

「僕の作った料理を食べにきませんか?」

 

「......」

 

フリーズしてしまった俺に不安になったのか、チャンミンは「来ませんか?」と繰り返した。

 

今回の『魔法のドリンク』...『相思相愛になるドリンク』...『恋の媚薬』の効き目はホンモノだったのか!?

 

発汗作用のあるドリンクに過ぎないと馬鹿にしていた。

 

慎重で堅苦しいチャンミンじゃなくなっていた。

 

書類の受け渡し、電話越しの業務連絡、朝夕の挨拶...こんな程度の関わり合いだった。

 

勇気をかき集めて、チャンミンをこの店へ誘った。

 

ウメコの店なら、客も少なく、そして何より店が狭い。

 

肩がくっつくほどの距離感でカウンターに座れば、心の距離も狭まるんじゃないかな。

 

これがウメコの店をチョイスした魂胆なのだ。

 

チャンミンの三白眼が、俺の目を焦がす。

 

大きな瞳だ、と思った。

 

かぁっと身体が熱くなった。

 

俺は内心で、『YES!行く!行くよ!』と答えていた。

 

その言葉が即座に出て来なかったのは、チャンミンのキャラについていけなかったせい。

 

『恋の媚薬』の影響なのか、元来のものなのか判別できない。

 

後者ならいいな、と思った。

 

チャンミンはすっと視線を落とし、乗り出した身を引いて言った。

 

「すみません。

馴れ馴れしかったですね。

急にユンホさんを誘いたくなっただけです...。

忘れて下さい」

 

チャンミンはぼそりと言って、顔を背けてしまった。

 

「すみません」と謝っているくせに、不貞腐れた表情に気付いてるよ。

 

子供みたいに拗ねた仕草。

 

俺のフォローを待ってるんだよな?

 

そう思っていいよな?

 

「はーい、お待ちどうさまぁ」

 

ほかほかのオムライスがテーブルに供された。

 

かすかな想いの通い合いが生まれたのに、ウメコに邪魔されてしまった。

 

「お!

美味しそうですね!」

 

さっきまでへの字口してたくせに、その口が大きく開いて、笑顔が輝いているじゃないか。

 

気持ちの切り替えがうまいらしい。

 

俺の胸にこっそりしまってある、チャンミン録に1行メモ書きが加わった。

 

大きな口だ。

 

ハイペースでオムライスの山を崩しにかかるチャンミンに、ウメコは満足そうだ。

 

「なあ、チャンミン」

 

「なんですか?」

 

山盛りにしたスプーンを口に運ぶ手はそのままに、横目で俺を見上げる。

 

「床屋にどれくらいのペースで行ってるの?」

 

背中を丸めてディスプレイに向かうチャンミンの後ろ姿を、見つめ続けてきた。

 

線をひいたかのような、刈り上げた襟足のライン。

 

指で辿りたい、と思っていた。

 

くすぐったがって首をすくめるんだろうな、って。

 

「ユンホさん!

どうして、的外れな質問ばかりしてくるんですか?」

 

初めて聞く、チャンミンの鋭い声に俺はビクッとした。

 

「え?」

 

チャンミンはスプーンから手を放し、背筋を伸ばした。

 

「僕たちは『相思相愛になる薬』を飲んだんですよ。

気持ちがどう変化したか、聞かないんですか?

僕に確かめなくていいんですか?」

 

そのものズバリの質問は、直球で飛んできた。

 

ウメコの媚薬を飲んだのに、俺はいつもの俺だ。

 

チャンミンの方は、大汗をかいて、敬語は崩さないが口数が増えて...大胆になっている。

 

快活で社交的な俺が、ワイシャツを脱いでしまった目の前の男に圧倒されていた。

 

「チャンミン...」

 

口の中がからからで、俺は咳ばらいをした。

 

「どんな風だ?

気分は?」

 

チャンミンのこめかみから頬へとつたった汗が、あご先に到達してぽたりと落ちた。

 

俺はお手拭きをとって、チャンミンの額の汗を拭ってやった。

 

俺の突然の行動に驚いて、チャンミンのまつ毛がふるりと揺れた。

 

ぞくりとした。

 

「僕...」

 

チャンミンはTシャツの胸をぎゅうっと握りしめた。

 

「ユンホさんは、輝いて見えます」

 

「えっ!?」

 

「カッコよくて、優しくて...まぶしいです」

 

照れ隠しなのか髪をかきあげたせいで、チャンミンの前髪がもっと乱れてしまった。

 

「あ...」

 

オフィスのチャンミンとは、すっかり別人に見えた。

 

 

 

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