【BL短編】恋する尻尾(前編)

 

 

「...くそっ...」

 

繰り飛ばした缶ビールが、テーブルに当たって床に落ち、こぼれた液体が白いラグを汚した。

 

酔ってしまえば気が紛れるだろうと、いきがってあおったものの、それは苦いばかりで余計に苛ついた。

 

がらんとしたリビング。

 

整理整頓の鬼によって整えられたこの部屋は、広々としているのに、俺ひとりじゃなぜか息が詰まる。

 

...喧嘩した。

 

あいつと激しい喧嘩をした。

 

ビリビリと火花が散るほど、ガン飛ばし合った。

 

よりによって、前日に。

 

俺の誕生日の前日に、喧嘩した。

 

ブチ切れたあいつは、家を飛び出して行ったまま、今日になっても未だ帰って来ない。

 

蹴り飛ばされた空き缶を回収しようと、テーブル下に伸ばしかけた手が止まった。

 

鈴...?

 

拾い上げた金色のそれには、黒いサテンのリボンが付いていた。

 

揺するとチリチリと、涼やかな音をたてた。

 

俺の物じゃないから、あいつの持ち物かな...そうだとしても、なぜ鈴?

 

アクセサリーとしては、音が鳴ってうるさいだろうし、鈴から連想する猫なんて、俺たちは飼っていない。

 

ここに鈴がある理由を、真剣に追求するのも馬鹿馬鹿しい、どうせクリスマスツリーの飾りのひとつだろう。

 

「はあぁ...」

 

ラグについたシミをなんとかしないと、綺麗好きなあいつに怒られる。

 

...俺を怒ってくれるかな...。

 

怒って飛び出してしまった俺の恋人...2、3日もすれば帰ってくるだろう。

 

上目づかいで無言で俺に近づいて、突進する勢いで抱きついてきて、子供っぽい仕草にきゅっとなった俺は彼を抱き返す。

 

俺たちは両方意地っ張りだから、「ごめん」のひと言が悔しくて、ハグやキスで誤魔化してしまう。

 

いつもそんな仲直りの仕方をしてきた。

 

でも、昨日の喧嘩はバッドタイミングだった。

 

2人きりでのんびり、スィートな誕生日の夜を過ごす予定だったのに。

 

気取ったレストランで、ちょっと贅沢な食事をするとか、高価なものを贈られるとか、特別なことはしない。

 

テーブルに並ぶ皿が普段より多く、見た目が華やかな盛り付けになる程度。

 

こんな言い方じゃ、2、3日前から仕込みに精を出すあいつに失礼だったな...その中央に彼特製のケーキが鎮座する点が、いつもと違う。

 

祝福されるのは俺なのに、あいつは瞳をキラキラとさせて、俺以上に楽しそうなんだ。

 

いい年した大人が、自分の誕生日を心待ちにしてしまうのは、あいつの存在のせいなんだ。

 

ラグの汚れを拭き取ったフキンを洗う手が止まった。

 

「?」

 

先程から気になっていた音。

 

俺がいる洗面所のすぐ傍の、玄関の方から聞こえる。

 

カリカリと何かを引っかく音。

 

同じ階に住む子供のいたずらかな、と思った。

 

カリカリ、カリカリカリ。

 

ドアをノックすると、その音は止む。

 

ところが、しばらくするとスチール製のドアを引っかく音が始まる。

 

子供じゃなくて不審者だったら怖いから、インターホンのディスプレイで外を確認することにした。

 

面倒なことに巻き込まれたくないんだけどなぁ。

 

「?」

 

背が低いのか、それともうずくまっているのか、画面の端に身体の一部が映っているだけだ。

 

奇妙な点といえば、細長いものが揺れている。

 

(...尻尾?)

 

「...あっ!」

 

誰か具合の悪い人がいて、俺たちの部屋の前で倒れている可能性が頭を過った。

 

玄関まで走り、裸足のままたたきに下りて、開錠する。

 

なぜか俺たちの部屋の前で行き倒れになっている人物を介抱しないと。

 

あいつがいなくて寂しく腐っていた気持ちを一瞬で忘れて、俺はドアを開けた。

 

 

 

 

「にゃあぁぁぁぁん」

 

「うわっ!」

 

飛びつかれて俺は、尻もちをついてしまった。

 

俺の首にしがみついてきたそいつは、真っ黒なダウンコートを着ていた。

 

コートからは、懐かしい匂いがした。

 

俺の頬に顔をすり寄せて、にゃあにゃあ鳴いている。

 

ずいぶん前から玄関前にいた証拠に、頬が冷たい。

 

「分かったから...もういいだろ?」

 

肩を押して俺の胸から引きはがし、そいつの顔を観察した。

 

長い前髪の下に、大きくて丸い眼。

 

毛先がはねたくせ毛に埋もれるように、大きく尖った耳。

 

黒ネコだった。

 

「可愛いなぁ」

 

思わず言葉にしてしまった。

 

それくらい、可愛いネコだった。

 

俺の褒め言葉に、ネコは小首をかしげて「にゃあ」と鳴いた。

 

「おいで」

 

手招きすると、ネコは素直に俺の後についてくる。

 

「外は寒くって!」と、スキップするみたいに軽やかに、足音をたてずに。

 

リビングに通されたネコは、ダウンコートを脱ぐとそのまま、ぱさりと足元に落とした。

 

ビロードのような艶のある短毛の黒ネコ。

 

ネコである証拠に、長い尻尾がゆらりゆらり。

 

黒い毛皮に包まれたネコのお尻は、丸く小さくて可愛らしい。

 

ソファにぴょんっと飛びのって、ネコは抱えた膝に顎をのせている。

 

床にはネコが脱ぎ捨てたまま、ダウンコートが丸まっている。

 

あいつなら絶対にしないだらしがない行為だな、と呆れて、俺はそれをソファの背に引っかけておいた。

 

懐かしい匂いがしても当然だ、見覚えがあるデザインで、そいつが羽織ったコートは俺の持ち物だったのだ。

 

「いつの間に?」という疑問は脇に置いておく。

 

なぜなら今、素敵なことを思いついたからだ。

 

さっき、テーブルの下で見つけた鈴の存在。

 

「こっちにおいで」

 

呼ぶとネコは顔を輝かせて、ソファに腰掛けた俺の足元に駆け寄ってくる。

 

なつっこすぎて猫というより、どちらかというと犬みたいだ。

 

リボンを結ぶ間、ネコは長い首を屈めてじっとしている。

 

「よし、結べたぞ」

 

ネコは後ろの俺を振り向くと、「にゃあ」と鳴いて、首を左右に振って鈴を鳴らした。

 

俺を覗き込むネコの眼が、「似合いますか?」と褒めてもらいたがっている。

 

俺はネコの前髪をそっと斜めによけて、現れた額に唇を押し当てた。

 

「似合ってる...可愛いよ」

 

どんな音も聞き漏らすまいと、主張する大きな耳に触れ、柔らかな毛につつまれた丸い頭を優しく撫ぜた。

 

俺の腕の中から頭を上げて、

 

「美味しいものを食べさせて下さいな」

 

ネコはそう言って、俺の唇の端をぺろりと舐めた。

 

「何がいい?」

 

俺はネコを抱き上げて、ソファに座らせた。

 

「何でもあるぞ」

 

キッチンに立って、冷蔵庫の中を物色する。

 

あいつが焼いたケーキ、温めるだけまでに仕上げた料理、ドリンク各種。

 

俺の誕生日を祝うため、あいつが用意したご馳走たち。

 

感動して、ちょっとだけ泣きそうになってしまった。

 

今年の誕生日は、あいつの代わりにネコと祝おう。

 

ケーキとオードブルの皿を左右に持って、ネコの待つテーブルに戻る。

 

ネコに酒を飲ませてもいいのかな、と迷ったけれど、ま、いっか。

 

シャンパンと、猫らしく牛乳のパックも取ってくる。

 

「切ってやるから、待ってろ」

 

ところがネコは、ナイフを取りに戻る俺のニットの裾を掴んで離さないんだ。

 

「ホールのまんま食べるってか?」

 

驚く俺に、ネコはこっくりと深く頷いた。

 

こんなお行儀の悪い食べ方、あいつだったら絶対に許さないだろうな。

 

ケーキにかぶりつくネコ。

 

口も鼻も頬も、真っ白いクリームだらけだ。

 

指ですくいとったクリームの行き先は、当然俺の口の中。

 

こんなベタなこと、したことなかった。

 

ネコは俺の首に両腕をからませた。

 

そして、俺の唇をぺろぺろと舐めだした。

 

「くすぐったいよ...!」

 

俺が口を開けるまで、舌先の愛撫は止まらない。

 

温かく柔らかなネコの舌は、俺の下腹を痺れさせる。

 

耐えきれなくて顎を緩めた直後、ネコの長い舌が侵入してきた。

 

俺もネコに応えて、口内で踊るそれを吸い、クリームにまみれた上唇を食み、尖った犬歯をたどった。

 

ネコの首で鈴が鳴り、ネコの喉が、くくっと鳴る。

 

俺の手は自然とネコの尻に下りていく。

 

柔らかな毛皮を撫ぜて、形を楽しんだ。

 

ネコの尻尾の先は天井に向けてカーブを描いている。

 

身体の動きに合わせて、ゆらゆらと揺れる尻尾。

 

尻尾の付け根から先に向けて、優しく撫ぜ上げた。

 

「...んんっ...」

 

ビロードの毛皮が、丸くすぼめた手の平をくすぐる。

 

「...ん...あ...っ...」

 

敏感な尻尾を触られて、ネコの喉からくぐもった声が漏れた。

 

 

 

(つづく)

 

 

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