僕の恋人の名前はユノ、という。
ユノは、いい男だが束縛男だ。
異常なまでに嫉妬深い。
彼は背も高く顔もよく、かなりの高給どりで、完璧に近かった。
交際したての頃は、街中で自分の隣を歩く美しい彼が自慢だった。
こまめにくれるメールや電話、
忙しい合間をぬって会いに来てくれるし、
記念日のサプライズ、高価な贈り物、そして甘い言葉。
最高の恋人なのかもしれない。
けれども、徐々に露わになるユノの異常さに気付くまで、一か月もかからなかった。
・
「今日は何してた?」
「メールの返信が遅くないか?」
「先週渡したビタミン剤は、毎日飲んでるか?
最近、顔色が悪いようだから」
じんわりくるきめ細やかな思いやりは嬉しい。
「電話に出るのにどうしてそんなに時間がかかるんだよ?
何をしていた?
誰かと一緒なのか?」
「今夜も残業か?
嘘ついていないだろうな?」
朝目覚めてから眠るまでの間、そばにいなくてもユノの視線から逃れられない。
わずか2時間、連絡がとれなかっただけでも、ユノにとっては一大事だった。
携帯電話は手放せない、絶対に。
これまでの出来事を、思い出す。
・
ユノの嫉妬を、くすぐったく喜んでいられた頃の話だ。
ユノが出張で遠方に行っていたときのことだ。
商談の前後、手洗いに立った時、食事の時などの隙間時間を狙って、ユノはメールを送ってきた。
「珍しいものを見つけたから、お土産に買っていくよ」
「仕事が忙しいのか?」
「ひとことでもいいから、返事をくれ」
僕はその日、クレーム対応に追われていて、メール返信ができなかった。
ユノからのメールに、ひとつひとつ返答できなかった。
面倒だった。
帰宅してテレビを観ながらビールを飲んでいたら、チャイムが鳴った。
「こんな時間に誰だろう?」と、インターホンのディスプレイを覗いた僕は、心底驚いた。
画質の悪いモノクロのディスプレイに、端正な顔が青白く光っていた。
ぞっとしている自分がいた。
インターホンのカメラを、睨みつけるユノがいた。
「出張じゃなかったっけ?」
動揺していて、チェーンがなかなか外せなくて、ドアを開けるまでに手間取ってしまった。
ドアが開くと、ユノは無言で部屋に入ってくるなり、力いっぱい僕を抱きすくめて言うのだ。
「お前が事故か何かに遭っているのかと心配したんだ。
もしくは、俺がいないのをいいことに、他の男に抱かれているのかって!
はらわたが煮えくり返りそうだった!」
「ちょっと待ってよ、そんなことするわけないでしょう?」
ユノは仕事を終えるとすぐ、片道4時間の出張先から僕の様子を確かめにきたのだ。
呆れる僕を、ユノは後ろから羽交い絞めにすると、床に押し倒した。
「お前からメールがなくて、俺は生きた心地がしなかった」
僕を見下ろす充血した目は、怒りの光が瞬き、ナイフのように鋭かった。
「ごめんなさい」
「俺はお前とひとつになっていたい、ずっと、ずっと」
ユノは僕のパジャマのボタンをひとつひとつ、ゆっくりと外していく。
猛禽類のように瞳をギラギラさせているのに、手つきが優しいから、余計ぞっとした。
しかし、僕は拒まない。
これから始まる行為を想像すると、恐怖心と欲望が攪拌するホイップクリームのように混ざり合って、ふわふわと泡立つ。
強ばった僕の身体から、力が抜ける。
甘くて乳脂肪がたっぷりな、ホイップクリームの出来上がり。
僕もユノのワイシャツを脱がせ、ベルトをするりと抜き取る。
指ですくったクリームを彼に差し出すと、ユノは僕の指ごと舐めとり咥える。
ユノは僕の顎を押さえて、付け根までクリームを塗りたくった指を、僕の唇にねじこんで出し入れさせた。
ユノの指が食い込む肌が、痛い。
ホイップクリームは、なくならない。
次々と、むくむくと湧いてくるのだ。
狂気すら感じる眼差しなのに、僕の身体を撫ぜるその手は優しくて、くらくらする。
堅いフローリングの上で、脱ぎ散らかされたユノのジャケットと僕のパジャマを下敷きに、交互に上になったり下になったり転げまわるのだ。
僕の身体もユノの身体も、境目がなくなって、ひとつの物体になってしまうまで。
僕の汗もユノの汗も、混ざり合ってどちらのものが分からなくなるまで。
正面からも、後ろからも、ありとあらゆる体位で。
僕の方こそ、彼に夢中だ。
「お前の中に溶けてしまいたい」
耳元でもらすユノの喘ぎ声を聞きながら、僕は彼の頭を抱きしめる。
もし、本当に他の男に抱かれていたと知ったら、僕はユノに殺されるだろう。
汗だくになった僕たちがシャワーを浴びていると、再びユノは後ろから僕を抱きすくめてつぶやく。
「お前と離れていたくない」
「分かってます」
僕はユノの方に向き直ると、彼の可愛いお尻を両手でつかんで、爪を立てた。
ユノの嫉妬は、自分自身に自信がなくて、その不安を埋めるためのものではない。
ただただ、僕を自分のものにしたいだけだ。
自分の中に、僕を取り込んでしまいたいのだろう。
ユノの目には僕しか映っていない。
そんなこと分かっている
・
ユノは束縛男かもしれないが、暴力もないし、乱暴なことも言わない。
僕のアパートの鍵も要求しないし、携帯電話を盗み見ることもない。
けれども、少しの間連絡が取れなくなったり、休日を一緒に過ごせなかったりした時の、ユノの悲しみようが凄い。
がっくりと肩を落として、めいっぱい残念がっているユノの背中を見ると、キュウっと胸が痛くなる。
「ごめんね。
そばにいるから」
ユノの頭のてっぺんにキスをして、友人に断りの電話を入れる。
友人との通話中、心底嬉しそうにニヤニヤ笑っているユノを見つめながら思う。
大きくて、可愛い顔をした僕の彼氏。
僕に夢中な恋人。
ユノが僕の恋人になってから、途端に付き合いが悪くなった僕への友人たちのお誘いも、今じゃ無くなった。
僕は全然、寂しくない。
この世は、僕とユノの二人だけだ。
・
ユノと交際して3か月が過ぎたとき、彼は初めて僕を縛った。
ボトムスから抜いたベルトを僕の手首に巻き、自由を奪った。
きっかけは、職場の新年会の場にユノからの電話に出た時のことだ。
親しげに僕の名前を呼ぶ同僚の声が、電話越しにユノに聞かれてしまった。
「しまった」と思ったら案の定、しつこく店名を聞き出したユノは、僕を迎えにやってきた。
その場は一瞬で静まり返った。
男の恋人登場への驚きと、ユノの背中でゆらめく怒りの炎に皆、口がきけなくなったのだ。
ユノに腕を引っ張られる形で店を出た。
ユノの部屋に連れていかれるまで、彼は僕の手首から手を一度も離さなかった。
「俺のポケットに鍵があるから」
部屋の鍵を僕に取り出させると、片手で器用に開錠し、寝室に直行した。
ベッドに押し倒すなり、ボトムスから引き抜いたベルトをぐるぐると僕の手首に巻きつけたのだ。
目を剥く僕に構わず、ユノは顔を傾けて僕の唇を奪うと、舌を差し込んできた。
その後は、ほとんど覚えていない。
僕の指に絡めたユノの指に力がこもるたび、僕も彼に応えるように握り返した。
巻かれたベルトは緊縛されていなかったから、手首を動かせば容易に外せたはずなのに、僕は縛られたままでいた。
ほどいてしまったら、ユノが繋ぎとめようとした僕の心と身体がばらばらになっていまいそうだったからだ。
「縛ってゴメン」なんて、ユノは絶対に言わなかった。
もしそんな言葉を口にされたら、僕は幻滅しただろう。
ユノは僕に依存しているのだろうか。
そうかもしれない。
「チャンミンがいないと生きてゆけない」は、心の奥底から叫んだ、ユノの真実の言葉だと思う。
いくらいい男だからと言っても、常にジェラシーの炎がめらめらと燃えている人は勘弁だと、大抵の人は思う。
けれども、僕はそうではない。
僕もユノに依存している。
ユノからの束縛は、イコール彼の愛情なんだと、僕の方も心の奥底から思っているのだ。
縛りたい男と縛られたい男。
この世はユノと僕の2人きり。
心も身体も彼のもの。
僕とユノの手首は、ひとつの手錠で繋がれている。
・
どんよりと灰色の雲が空を覆った、昼下がりのある日のことだった。
「チャンミンを窮屈にさせてしまっているな」
ことの後、2人して大汗をかいて乱れた呼吸をととのえながら、放心しているとユノは話し出した。
「でも、これが俺の愛し方なんだ」
ユノの視線は天井に結ばれたままだ。
「俺は謝らないよ」
下着をつけようと身を起しかけた僕のウエストは、ユノの長い腕にさらわれた。
「束縛してごめん、とは謝らない」
暗闇に彼の瞳が光っている。
「これが俺の愛し方だ」
ユノは僕の顎をつまんだ。
「もし、こんな俺のことが嫌いになったら、正直に言うんだ」
美しい顔をかたむけた。
「もし、こんな俺が嫌になったら...」
僕の首筋に唇を押し当てる。
「俺はお前を手放す。
もし、俺の存在がお前を不幸にしているなら、
俺のことは嫌いだと、はっきり言うんだ。
俺はチャンミン...お前から離れる」
僕はユノの首に腕をからませる。
「お前には不幸になって欲しくない。
これが俺の愛し方だ」
僕は、ユノの頭のてっぺんに唇をつける。
僕は、もしユノから手放されたら、死んでしまうだろう。
僕が束縛されて悦んでいることを、ユノは知っている。
ユノの胸に頬を押し付け、彼の匂いを嗅ぎながら、手首を縛られたまま僕は答える。
「これが僕の愛され方です」
柔らかい手首の皮膚に、固い革が食い込む。
いつの間にか降り出した雨が、窓ガラスを濡らしていた。
「お前の部屋に、カメラを付けてもいいか?」
僕はこくりと頷いた。
ユノは僕を縛りつけている。
僕もユノを縛りつけている。
(おしまい)