(44)時の糸

 

 

 

「チャンミン...」

 

ユノの身体も汗がひいて、冷えてきた。

 

ユノは暑くてコートを脱ぎ捨ててきたことを、後悔していた。

 

冷たい水に浸かったひざ下がじんじんと痛む。

 

ユノは視線を、俯くチャンミンから周囲の光景に移した。

 

(この状況は...あまりにもまずい)

 

「チャンミン!」

 

ユノはチャンミンを小突いた。

 

「まずはここを出よう」

 

「え?」

 

「水遊びするには、季節が悪い。

このままじゃ、二人とも凍死するぞ」

 

しっとりと濡れた長めの前髪の下、すがるような眼をしたチャンミンは、はっとする。

 

「あんたの話はあとで聞いてやるから」

 

ユノは天井や壁、膝まで浸かった水を指さした。

 

「ここから出よう。

俺たちには手に負えない」

 

ユノがチャンミンの手を引いて、入口まで向かおうとした瞬間。

 

「うわぁ!」

「ひゃぁぁ!」

 

頭と肩を叩きつける衝撃が二人を襲った。

 

バスタブをひっくり返したかのような大量の水が、滝のように降り注いできた。

 

「!!!!」

「!!!!」

 

ついで、目の前を黒い物体がかすめたかと思うと、二人の膝近くに水しぶきを上げて落下した。

 

「......」

「......」

 

あまりに突然のことで、ユノとチャンミンは頭を抱えたまま、しばらく身じろぎできずにいた。

 

(おいおいおいおいおい)

 

そしてお互いの顔を無言のまま、見合わせる。

 

「なんなんだよ!」

 

ユノも全身ずぶ濡れで、頭にはりついた髪からぼたぼたと水がしたたり落ちていた。

 

天井と壁との境近くの穴から、今もどうどうと水が放水されている。

 

これまでより、早いペースで水かさが増している。

 

「?」

 

チャンミンは水中を手探りすると、指先に堅いものに触れた。

 

引き上げるとそれは、換気口の鉄製カバーだ。

 

「どこから、こんな大量の水が湧いてくるんだよ!」

 

チャンミンは濡れないよう給水ポンプの上に置いておいたタブレットを、操作し始めた。

 

「どうして早く気付かなかったんだろう」

 

「どうした?」

 

チャンミンは幾ページ分かスクロールした後、目当てのページを見つけた。

 

「ほら、これだよ」

 

チャンミンの長い指が指し示したのは、管理棟の平面図だった。

「それが、何?」

「昼間、Tさんから水圧が弱いって言われたんだ。

僕はてっきり上水のことだと思い込んでた。

でもさ、ドームで散水で使っている水は、上水だけじゃない」

「わかった!

雨水を溜めているやつ!」

「そう、雨水タンク!

管理棟の屋上に並んでいるやつ。

雨水タンクのパイプは、管理棟の壁面を沿って地下のポンプ室に引き込まれている」

チャンミンは画面を管理棟からポンプ室が位置するドーム端まで、画面を移動させた。

冷水のせいで、指先は真っ赤になっている。

「そのパイプは...なるほど!

換気ダクトの上を通っていて...。

調節バルブかパイプが破損してたりしたら...」

「タイムタイム!」

ユノはチャンミンの腕を引っ張る。

「のん気に原因究明なんか、あとにしよう。

あんたの話は、あったかいところで聞くからさ。

早く帰ろう、チャンミン!」

チャンミンは、真っ白な顔をして震えるユノにやっと気づいた。

「ごめん」

ユノとチャンミンは、ざぶざぶと水をかき分け、入口ドアまでのステップを上がる。

ステップも水中に沈んでいる。

「あれ?」

ドアのレバーを手前に引こうとした。

「ドアが開かない」

ユノは片足をドアにかけて、力いっぱい引っ張ろうとしたがびくともしない。

「水圧だ」

「どうすんだよ!

俺たちここから出られないのか?

​おぼれ死ぬのか、凍死するのか?」

ユノの脳裏には、チャンミンと死体となって水中を漂う光景が浮かぶ。

「助けを呼ぼう!」

ユノはリストバンドを操作しかけるが、

「繋がんないじゃん!」

「ここは圏外なんだよ」

「おい!どうすんだよ!」

相変わらず滝のように放水し続ける、換気ダクト口をチャンミンは見やる。

「おい、あんたは頭がいいだろ?

​計算してみな。

タンクの水が全部、この部屋に流れこんで来たら、俺たちの身長を超えるか?」

「うーん...」

「こらこら、考え込むな。

不安になるだろう!」

洋服は、水を吸った重みでずっしりしている。

「密閉された場所じゃないから安心して」

「なんて災難なんだよ。

凍え死ぬなんて、絶対に嫌だからな!」

「ごめん」

じっとしていると凍り付きそうになるため、ユノは水中で足踏みしていた。

「チャンミン!

排水ポンプみたいなのは、この部屋にはないのか?」

「あるよ。

使い物にならないのがね」

「なんで使えないの?」

「ホースがない」

「はぁ?」

「ホースがあったとしても、水を捨てる...」

 

チャンミンは、肩を揺らして大股で壁際まで行った。

「僕は大馬鹿だ!」

足先で、壁沿いの床を探り出した。

「どうした?」

「僕は大馬鹿だ!

とっくの前に気付いてていいはずだったのに!」

「ここから出る方法があるのか?」

「どこかに排水口があるはずなんだ」

チャンミンは、水に浸る前のポンプ室の様子を思い出そうとする。

​「地下室っていうのは、ちゃんと排水ができるようにできているはずなんだ」

水漏れ箇所を探そうと、ひざまずいた時の床はどうだったっけ?

「ユノ!

床と壁の境あたりに排水口があるかもしれないから、冷たくて悪いんだけど、探してくれる?」

「お、おう!」

二人は、あごまで水に浸かりながら、壁に沿って床を手探りしていった。

この間も換気ダクトからは、滝のように水が降り注いでいる。

「ない!」

ユノはかじかんで真っ赤になった手に、ふうふう息を吹きかけた。

体の芯まで冷えて、ぞくぞくと震えがのぼってくる。

はぁはぁと吐くチャンミンの息も白い。

「あ、あるとしたら、こ、ここか?」

ユノは、あごをしゃくって鉄の塊を指す。

震えのせいで、言葉がうまく出てこない。

「発電機だ」

「......」

三辺が各1メートル程の旧式タイプの発電機を、チャンミンはじっくり眺める。

​その7割方は水中に没している。

「停電したときの非常用だろうね」

チャンミンは、発電機のフレームを持って揺すってみるがびくともしない。

(排水口があるのに、役目を果たしていないってことは、これが塞いでるに違いない。

どうしてもっと早く気付かなかったんだろう)

発電機は、壁にぴったりと付けて置かれている。

「僕らでなんとか動かすしかないね。

ユノ、そっち持って」

「......」

「ユノ?」

 

唇まで真っ白にしたユノが、両腕で抱きしめてガタガタと震えていた。

 

「チャ...ミ...ン」

「ユノ!」

チャンミンは、水をかきわけユノの側に駆け寄る。

「さ...さささ...む...い」

歯の根が合わないユノ。

チャンミンは逡巡する間もなく、腕を伸ばした。

「ユノ、こっちにおいで」

 

(つづく)

 

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