~チャンミン~
僕はうとうとしていた。
冷え切った身体で、興奮から覚めて、疲れていて、眠気に襲われてしまった。
「...ミン」
僕を呼ぶ声。
白くまぶしすぎて、場所はわからない。
僕は腕をまくっていた。
まくるたびに、袖が落ちてくるから、何度もまくり上げていた。
手首からひじに、冷たいものがつたってくる。
「...ミン」
すーっと顔が近づいてきた。
汗ばんだ額に、髪のひと筋がはりついていた。
伏せていて顔は見えない。
間近につむじが見えた。
僕は、水気たっぷりの熟れた果物を手にしていた。
手のひらから、たらたらと果汁が滴り落ちていた。
近づいてきたその人は、
僕の腕を、ぺろりと舐めた。
滴る果汁を、ぺろりと舐めた。
「ハックション!」
ユノのくしゃみの音で、チャンミンは飛び起きた。
「!」
身体をビクッとさせたチャンミン。
「あんた...まさか、寝てたんじゃないだろうね?」
「......」
チャンミンは、一瞬自分がどこにいるか分からなかった。
(夢...か)
「しっかりしろよ。
俺の背中の熱を、あんたに分けてあげるから」
「う、うん」
(あの人は、誰だ?)
舐められた感触が、生々しく覚えている。
腕を確認して見たかったが、ユノが手首をがっちり押さえ込んでいて、腕を引き抜くわけにはいかない。
チャンミンはギュッと目をつむって、映像の断片だけでもと、手繰り寄せようとした。
(果物を食べていた。
2日前にみた夢の中で、隣を歩いていた人。
果汁で濡れた僕の腕を、舐めた人)
チャンミンは確信していた。
(2つの夢に登場した人、顔は分からないけれど、同じ人物だ。
共通した雰囲気を持っていた。
でも、知らない人
誰だよ。
舐めるって...どういうことだよ。
不快だ)
じくじくと、こめかみがうずいてきた。
頭痛の予感がしたチャンミンは、すぐさま思考をストップさせる。
黙り込んだチャンミンを心配したユノは、肘でつつく。
「チャンミン、寝るなよ。
冬山で遭難した時は、眠ったらそのまま死んでしまうらしいぞ」
「ここは冬山じゃないよ」
「何が悲しくて、職場で遭難しなくちゃいけないんだ」
「まったくだ」
大の大人が高いところによじ登って、はた目から見ると滑稽な眺めだ。
「チャンミン、大丈夫か?」
「大丈夫って?」
「コントロールできない、とか言ってただろ?」
「ああ!
そのことか」
カイと一緒にいたユノを見て沸き上がった、腹立ちと不安感をどう処理すれば分からなかったこと。
苛立ちで渦巻くチャンミンの内心をよそに、いつもと変わらないユノの様子が、それに拍車をかけたこと。
「お兄さんに話してみな」
でも、災難に巻き込まれてしまい、ユノと密着して体温を分け合っているうち、そんな苛立ちの嵐は過ぎ去ってしまったこと。
「あのさ...」
チャンミンは、口を開きかけた。
「うんうん」
「...ううん、何でもない」
(僕は、今、何を言おうとしていたんだ?
ユノに伝えようとしたことは、何だったんだ?)
「大丈夫だよ」
「言いかけて止めるなんて、余計に気になるじゃないか!」
「いや、ホントに大丈夫なんだって」
「それなら、いいんだけどさ。
チャンミンも大人しくなってよかったな」
「大人しく?」
首をかしげるチャンミンと、こみ上げる笑いに肩を震わすユノ。
「おい!」
チャンミンは「大人しく」の意味が分かると、顔を真っ赤にさせる。
「今度こそ、突き落とすよ?」
チャンミンは、ユノのブーツを軽く蹴った。
「こらっ!
水が浅いところに落ちたら、床に直撃じゃないか!
...あ!
ほら!」
ユノに指摘されて、チャンミンは斜め下の出入り口ドアの辺りを見下ろした。
「やっと出られるよ」
タンクから見下ろす水面が、ぐっと遠くなっていた。
入口のステップ面があと少しで露わになりそうだった。
「やった!」
リストバンドの時刻を確認すると、21:00。
滝行から3時間。
「うわっ、もうこんな時間か!」
「降りよう」
「助かったぁ」
チャンミンはタンクから飛び降ると、ユノに向かって両腕を伸ばした。
「おいで」
(ヒロインが、恋人の胸に飛び込む...まんまなんですけど...。
俺はヒロインじゃなくて、ヒーローなんですけど)
ロマンティックなイメージがユノに浮かんだが、
「無理!」
恐怖のあまり、お尻がタンクにくっついてしまったかのようだ。
「大丈夫だから」
チャンミンは差し伸ばした手で「おいで」のジェスチャーをする。
「あんたに俺の命を預けるよ」
「大げさだなぁ」
チャンミンは身をのりだしたユノの脇の下に手を差し込むと、ガチガチに身体を硬直させたユノを、すとんと床に下ろした。
ユノの脚が再び、水に浸かる。
水の深さは30センチの高さまで下がり、2段あるステップの上段が露わになっていた。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。
ユノったら姫になってたね」
「あのなー。
毎度のことだが、その一言が余分なんだよ!」
チャンミンの背中を叩く。
「ははっ。
元気になったみたいだね」
鉄製の重いドアを引くと、あっさり開いた。
「やった!」
2人は目を輝かせて顔を見合わせた。
(つづく)
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