(52)時の糸

 

 

滅多に湯船に湯を張ることなどないユノだったが、今夜はそうも言っていられなかった。

 

身体の芯まで冷え切って、ぞくぞくとした震えでガチガチと歯が鳴る。

 

ユノは顎まで浸かって全身を温めた。

 

「いたたた」

 

張りつめた肩と肩甲骨に、蛇口から出しっぱなしにした熱いお湯をうたせ湯にして、その気持ちよさにユノは唸る。

 

次いで、こわばった足首からふくらはぎまでを撫でさすった。

 

そこだけ赤くなった皮膚はつるりとしている。

 

(自由に歩けるし、走ることもできる。

周囲も全然気づかないし、俺自身も違和感がない。

でも、冷えるのはいかんなぁ。

20年かぁ...再建手術を受けてもいいんだけどなぁ)

 

脱衣所に置いたものに視線を送る。

 

ユノは縁に後頭部をもたせかけ、白い湯気に煙る天井を見上げてひとりごちた。

 

「はっくしょん!」

 

(熱があるかもしれん...そうなっても仕方ないよなぁ...)

 

熱いお湯の中にいるのに、ぞくぞく震えが止まらない。

 

(チャンミンは大丈夫かなぁ...)

 

湯船から立ち上がると、バスタオルを身体に巻き付け、片足けんけんの要領で寝室に向かった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

相乗りしたタクシーがユノのマンション前に停まった。

 

「ひとりで大丈夫?

部屋の前まで送るよ」

 

とユノと一緒にタクシーを降りたが、

 

「大丈夫だから。

あんたこそ、早く家に帰りな」

 

と、ユノに無理やりタクシーに戻されてしまった。

 

火傷がしそうに熱いシャワーを浴びて十分温まった僕は、分厚いスウェットの上下を着た。

 

濡れた洋服は乾燥機の中で回っている。

 

ベッドのヘッドレストにもたれかかり、毛布にくるまった。

 

熱いお茶とブランデーを交互に口に運びながら、今日一日のことをふり返る。

 

ユノに断られても、彼の部屋まで見送った方がよかったのかもしれない。

 

しまった!

 

何か温まるものを買って、ユノに渡せばよかった。

 

10日程前から、僕は就寝前にその日1日、自分が言ったこと、やったことをひとつひとつ確認するのが日課になっていた。

 

何か間違ったことを口にしていなかったか。

 

僕はどんな行動をとったか。

 

相手はどう反応したか、そしてどんなことを僕に言ったか。

 

それに対して、僕はどう思ったか、どう感じたか。

 

僕の頭を占めるのは、ユノのことばかりだ。

 

ユノは僕のことを、どんな奴だと思っているんだろう?

 

僕はタブレットを膝に置き、しばらくスクロールをした後、目的のものを見つけてタップした。

 

ディスプレイの中で、二人の男女が笑ったり、泣いたり、身を寄せ合ったりしている。

 

女性役が何かを喋って、男性役がそれに答えて。

 

女性役が目を伏せて、首を振っている。

 

男性役が彼女の頭を引き寄せて、囁いた。

 

『好きだよ』と囁いた。

 

 

「すきだ...。

 

すき...?

 

すき...」

 

 

僕は何度も、この言葉を唇にのせてつぶやいた。

 

タブレットを膝から下ろして、僕は顔を覆った。

 

「すき」

 

手の平に、「すき」と紡ぐ僕の唇が触れる。

 

 

ユノは僕のことを、どう思ってる?

 

僕はユノのことばかり考えている。

 

ディスプレイから放たれる光が瞬いて、僕の顔をパカパカと照らす。

 

僕はユノのことを、どう思ってる?

 

じっとしていられなくて、勢いよく毛布を跳ねのけてベッドを出た。

 

運転終了を知らせる乾燥機のアラーム音が聞こえた。

 

ユノは...震えていた。

 

真っ青な顔をして、震えていた。

 

僕が熱を出して震えていた時、ユノは僕のことをうんと心配してくれた。

 

マフラーを僕の首に巻いてくれた。

 

温かかった...。

 

僕はスウェットを脱いで、クローゼットから黒いニットと黒いパンツをとって身につけた。

 

あちこち毛先がはねているけれど、別にいいや。

 

コートを羽織って靴を履いた。

 

僕はユノのことをどう思ってる?

 

ユノを部屋まで送らず帰ってきてしまった。

 

ユノが僕に「早く帰れ」と言ったから。

 

でも本当は、僕はどうしたかった?

 

僕は...僕は、もっとユノの側にいたかった

 

ユノが風邪をひいたりしたら、いけない。

 

ユノのことが心配だった。

 

 

僕はユノのことを、どう思っている?

 

 

僕はユノのことが、好きだ。

 

 

(つづく)

 

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