~ユノ33歳~
X氏は俺たちのテーブルの上に視線を向けると、満足そうに笑った。
「新メニューはどう?
見た目も華やかでいいだろ?」
「若い女性はこういうの好きそうですね」と、チャンミンの前に置かれたアラカルト・プレートを褒めた。
X氏のもの言いたげな表情に、慌てて俺はチャンミンを紹介する。
ところがチャンミンは、X氏と俺を交互に見た直ぐに、そっぽを向いてしまった。
そうだろうな、チャンミンはこういう推しの強い人物は苦手そうだから。
「へえ。
私はてっきり、ユンホ君の実の弟なんだと思ったよ。
整った顔なんか、そっくりじゃないか!」
「そうですかねぇ...似てませんよ。
あ、チャンミンには絵のモデルをやってもらっています」
「え?
君は女専門じゃなかったかな?
男も描くようになったのか...そうか...やっぱり、ヌードか?」
X氏の好色そうな物言いとにやけ顔に、嫌悪感が表に出ないようにするには努力がいった。
「まあ...そんなところです」と、チャンミンの方を窺う。
俯いたままのチャンミンの両耳が赤くなっていて、X氏への自分の回答を後悔した。
「完成したら見せてくれないか?」
「審査会が終わるまでは、ちょっと...」
俺は元々、過去作品も含めて制作中の作品をわりと気軽に見せるタイプの作家だった。
ところが、X氏には披露したくない意志がなぜか湧いてきて、曖昧な返事で濁した。
チャンミンを見るX氏の目がいやらしく感じるのも、しばしば耳にする噂のせいだ。
「チャンミン君」
「!」
X氏に呼ばれたチャンミンは、勢いよく顔を上げた。
「ここでバイトしないか?
イケメンがいたら、話題になって繁盛しそうだ。
時給もいいぞ?」
「Xさん。
チャンミンは私のモデルなんですから、引き抜かないで下さいよ」
俺の言葉に何をそんなに可笑しいのか、ガハハハッと笑い、「あのラフ案は今一つだから、頼むよ」と俺の肩を叩くと去っていった。
ほっと一息ついて、向かいのチャンミンに「大丈夫だ」の意を込めて頷いて見せた。
余程X氏が嫌いなタイプの人間だったんだろう、青ざめているように見えたから。
「義兄さん...」
食事の続きに取り掛かっていた俺は、囁き声で呼ばれた。
「この後、用事ありますか?」
今日のところは、X氏に依頼されていたデザインの練り直しに取り掛かる予定でいた。
チャンミンから何かしらの誘いの文句の予感に、「特にないよ」と答えた。
「ずっとサボってばかりだったから、もし義兄さんがよければですけど。
今日、モデルします」
「え...試験期間とかじゃないの?」
「赤点とらなければいいので、試験勉強なんて別にいいんです。
駄目ですか?」
「助かるよ。
制作がストップしてたからね。
モデルがいなきゃ描けないから」
実際はモデルがいなくても、ある程度は想像で描けてしまうのだ。
ところが今回の作品に関しては、想像力で補うとたぎる想いが溢れそうになって、作品の本質から外れてしまいそうで、続きを描けずにいたのだ。
来年の展覧会に間に合うか、間に合わないかの瀬戸際にきていた。
俺の答えを聞くなり、チャンミンは立ち上がった。
席を離れると俺を急かすように、振り向いた。
むすりとした無表情の反面、切羽詰まったようなチャンミンの眼の色に、俺はたじろいだのだった。
・
チャンミンを乗せるため、助手席に積み上げてあった荷物を後部座席に移す。
展覧会のパンフレット、丸めたラフ画、空になったペットボトル、クリーニング店に出しそびれている冬物。
「意外ですね。
アトリエは整理整頓しているのに」
チャンミンはぷっと吹き出した。
笑みを浮かべると、年相応の幼い顔になる。
「そうなんだ。
几帳面な俺と、ガサツで大胆な俺がいるんだ。
しょっちゅうBに...」
口に出してしまってから、「しまった」と思った。
チャンミンの姉の名前を出すことに、後ろめたさを感じてしまうはやはり、チャンミンのことをそういう対象で見ている証拠だ。
チャンミンの方を振り返れず、荷物を片付けに戻る。
シートの足元に押し込まれていた紙袋を引っ張り出した時、
「あ!」
腕に抱えた紙袋から中身が滑り落ちて、チャンミンの黒のローファーの上に落下してしまった。
それは、艶やかなネイビーブルーのリボンで美しくラッピングされた包み。
「これ...?」
それは、渡しそびれていた、チャンミンへの誕生日プレゼントだった。
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]