義弟(25)

 

 

 

~ユノ33歳~

 

 

 

「義兄さん、少し痩せましたか?」

 

チャンミンの肘をつかんだ俺の手の甲に、彼の指がかかったままだった。

 

節の目立つ指に、「やっぱり男の手なんだよな」と思ってしまって、「やっぱり」ってどういう意味だ?と、自問した。

 

「僕たち、通行人の邪魔になっているみたいです」

 

歩道の真ん中で突っ立ったままの俺たちだったから、チャンミンの腕を引いて脇に寄る。

 

「チャンミン、この辺に用事でも?」

 

この通りは、チャンミンの自宅とは正反対に位置しているから、疑問に思って尋ねてみた。

 

「それは...」と、チャンミンは一瞬言いよどんで、

 

「書店に行きたかったし、それから...。

ずっとモデルをサボっていたから、義兄さんに謝ろうと思って。

アトリエに顔を出そうと思ってて...」

 

この通りを数百メートル行ったところに、俺のアトリエがある。

 

チャンミンの言葉に喜んでいた。

 

よかった、嫌われていたわけじゃなかったわけだ、と。

 

「立ち話もなんだから、店に入ろうか?

ちょうど昼飯をとっていたところなんだ。

チャンミンも何か食べていかないか?」

 

「でも...」

 

握った手の下で、チャンミンの腕が引き締まった。

 

「無理なら、いいさ。

本屋に行くんだったよな?」

 

昼間の外出先で、チャンミンと差し向かいでお茶でもするなんて、したことがなかったから。

 

チャンミンと話がしたかった。

 

1か月前のことをなかったことにするつもりはなかった。

 

チャンミンを呼び止め、振り向いた彼を見た時、「この子が、好きだ」と確信したから。

 

身体の欲求に誘われるまま、手順を無視して急接近し過ぎた。

 

理性が邪魔をして、行為を途中で止めてしまい、チャンミンに恥をかかせるような真似をしてしまった。

 

アトリエまで会いに来ようとしてくれた気持ちが嬉しすぎて、引き留めたかった。

 

「僕は構いません。

義兄さんと話をしたかったので...」

 

「よかった」

 

俺に先立ってカフェへ向かうチャンミンの後ろ姿が...細身のスラックスに包まれた腰が、丸みを帯びているように見えてしまう。

 

一度そういう関係になりかけた現在、視線の質まで変わってしまうらしい。

 

やれやれ、重症だなぁ、と心中で嘲笑した。

 

 

 

 

席にバッグを置いたまま突然店を飛び出していったため、カフェスタッフはテーブルの皿を片付けてよいものやら迷っていたらしい。

 

彼らに謝り、チャンミンのオーダーを伝えて、俺たちは席についた。

 

「髪...切ったんだ?」

 

「はい」

 

前の方が似合っていたのに、と言うのは止めた。

 

耳にかけられるほど長かった前髪が、眉上までの長さになり、チャンミンの凛々しい眉が露わになっていた。

 

一か月前までは確かにあった、中性的な儚い美しさが薄れてしまったことが残念だった。

 

だとしても、チャンミンは圧倒的に美しかった。

 

わずか一か月でこうまで変わるものかと驚くほど、色気が感じられた。

 

「義兄さん?」

 

無言で見惚れる俺に居心地が悪くなったのか、テーブルに置いた手にチャンミンの指が触れた。

 

通りでもそうだったが、チャンミンの指が触れるだけで、妙に反応してしまうのだ。

 

一か月前なんか、チャンミンの口内を舐めまわし、敏感なところを愛撫したくらいなのに。

 

思い出して下半身に血流が集まる感覚を覚えて、俺は慌てる。

 

制服姿のチャンミンに色気を感じてしまうのは、前回のことがあるせいだと結論付けた。

 

俺もとうとう、ここまできたか、と。

 

「絵の中のチャンミンは髪が長いからな。

想像力で補って書くよ」

 

「すみません。

また伸ばしますから...」

 

「冗談だよ。

今の髪型もよく似合ってる」

 

チャンミンは、照れくさそうに微笑んで、視線をテーブルに落とした。

 

アイスコーヒーのストローを、指先で弄ぶチャンミンの指に釘付けになる。

 

「そう...ですか」

 

はにかんでいたチャンミンの表情が、急に強張った。

 

ん?と思った直後に、俺を呼ぶ太く低い声が背後から発せられて、振り向いた。

 

オーナーのX氏が近づいて、俺たちのテーブルの上に視線をやり満足に笑った。

 

「新メニューはどう?

見た目も華やかでいいだろ?」

 

「若い女性はこういうの好きそうですね」と、チャンミンの前に置かれたアラカルト・プレートを褒めた。

 

X氏のもの言いたげな表情に、慌てて俺はチャンミンを紹介する。

 

ところがチャンミンは、X氏と俺を交互に見た直ぐに、そっぽを向いてしまった。

 

そうだろうな、チャンミンはこういう推しの強い人物は苦手そうだから。

 

「へえ。

私はてっきり、ユンホ君の実の弟なんだと思ったよ。

整った顔なんか、そっくりじゃないか!」

 

「そうですかねぇ...似てませんよ。

あ、チャンミンには絵のモデルをやってもらっています」

 

「え?

君は女専門じゃなかったかな?

男も描くようになったのか...そうか...やっぱり、ヌードか?」

 

X氏の好色そうな物言いとにやけ顔に、嫌悪感が表に出ないようにするには努力がいった。

 

「まあ...そんなところです」と、チャンミンの方を窺う。

 

俯いたままのチャンミンの両耳が赤くなっていて、X氏への自分の回答を後悔した。

 

「完成したら見せてくれないか?」

 

「審査会が終わるまでは、ちょっと...」

 

俺は元々、過去作品も含めて制作中の作品をわりと気軽に見せるタイプの作家だった。

 

ところが、X氏には披露したくない意志がなぜか湧いてきて、曖昧な返事で濁した。

 

チャンミンを見るX氏の目がいやらしく感じるのも、しばしば耳にする噂のせいだ。

 

「チャンミン君」

 

「!」

 

X氏に呼ばれたチャンミンは、勢いよく顔を上げた。

 

「ここでバイトしないか?

かっこいいスタッフがいたら、話題になって繁盛しそうだ。

時給もいいぞ?」

 

「Xさん。

チャンミンは私のモデルなんですから、引き抜かないで下さいよ」

 

俺の言葉に何をそんなに可笑しいのか、ガハハハッと笑い、「あのラフ案は今一つだから、頼むよ」と俺の肩を叩くと去っていった。

 

ほっと一息ついて、向かいのチャンミンに「大丈夫だ」の意を込めて頷いて見せた。

 

余程X氏が嫌いなタイプの人間だったんだろう、青ざめているように見えたから。

 

「義兄さん...」

 

食事の続きに取り掛かっていた俺は、囁くような小声で呼ばれた。

 

「この後、用事ありますか?」

 

今日のところは、X氏に依頼されていたデザインの練り直しに取り掛かる予定でいた。

 

チャンミンから何かしらの誘いの文句の予感に、「特にないよ」と答えた。

 

「ずっとサボってばかりだったから、もし義兄さんがよければですけど。

今日、モデルします」

 

「え...試験期間とかじゃないの?」

 

「赤点とらなければいいので、試験勉強なんて別にいいんです。

駄目ですか?」

 

「助かるよ。

制作がストップしてたからね。

モデルがいなきゃ描けないから」

 

実際はモデルがいなくても、ある程度は想像で描けてしまうのだ。

 

ところが今回の作品に関しては、想像力で補うとたぎる想いが溢れそうになって、作品の本質から外れてしまいそうで、続きを描けずにいたのだ。

 

来年の展覧会に間に合うか、間に合わないかの瀬戸際にきていた。

 

俺の答えを聞くなり、チャンミンは立ち上がった。

 

席を離れると俺を急かすように、振り向いた。

 

むすりとした無表情の反面、切羽詰まったようなチャンミンの眼の色に、俺はたじろいだのだった。

 

 

 

 

チャンミンを乗せるため、助手席に積み上げてあった荷物を後部座席に移す。

 

展覧会のパンフレット、丸めたラフ画、空になったペットボトル、クリーニング店に出しそびれている冬物。

 

「意外ですね。

アトリエは整理整頓しているのに」

 

チャンミンはぷっと吹き出した。

 

笑みを浮かべると、年相応の幼い顔になる。

 

「そうなんだ。

几帳面な俺と、ガサツで大胆な俺がいるんだ。

しょっちゅうBに...」

 

口に出してしまってから、「しまった」と思った。

 

チャンミンの姉の名前を出すことに、後ろめたさを感じてしまうはやはり、チャンミンのことをそういう対象で見ている証拠だ。

 

チャンミンの方を振り返れず、荷物を片付けに戻る。

 

シートの足元に押し込まれていた紙袋を引っ張り出した時、

 

「あ!」

 

腕に抱えた紙袋から中身が滑り落ちて、チャンミンの黒のローファーの上に落下してしまった。

 

それは、艶やかなネイビーブルーのリボンで美しくラッピングされた包み。

 

「これ...?」

 

それは、渡しそびれていた、チャンミンへの誕生日プレゼントだった。

 

 

(つづく)

 

 

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