義弟(31-1)

 

 

~ユノ33歳~

 

 

キッチンで誘われた時、Bとする気は全くなかった。

 

チャンミンの絵を見たいと、Bは軽い気持ちでねだったんだろうが、俺は動揺していた。

 

アレはいけない。

 

網ストッキングと真珠のネックレスだけを身につけた、10代の少年。

 

アート作品から大きく脱線してしまった、淫らな官能画だ。

 

チャンミンに抱く愛情を濃厚に漂わせた、非常に個人的なものになってしまった。

 

見る者が見れば、あの作品に込められた念をキャッチするだろう。

 

Bは鈍感な女じゃない。

 

「いいよ」と頷けるはずもなく、かと言って「駄目だ」と拒絶するのもおかしな話だ。

 

Bは俺の妻だ。

 

返答に困った俺は、Bの腕を寝室まで引っぱって、ベッドに押し倒した。

 

その場を取り繕うための行為に、俺はなんて最低だ、と自分自身に嘲笑した。

 

 

 

 

「ユノ」

 

洗面所に向かう俺の背を、Bは呼び止めた。

 

「赤ちゃんが欲しい」

 

思考がストップした。

 

俺の背中が震えたことに、Bが気付かずにいてくれたらいい。

 

「...B?」

 

ゆっくりと振り向いた。

 

Bの表情が微笑みから、目を丸くした驚いたものに変わった。

 

その目元がチャンミンに似ていた。

 

「ユノったら...そんなに驚いた顔しなくても」

 

「いらない、って言ってなかったっけ?」

 

咎める口調にならないよう、慎重に発音した。

 

「言ってたわね。

でも...この前、友だちの赤ちゃんを抱っこさせてもらったの。

私、感動したの。

赤ちゃん...欲しいなぁって」

 

「......」

 

「だから...今度から避妊はしなくていいから」

 

「...そうだな」

 

Bが伸ばした手を優しく握ってやって、その手を放した。

 

Bは気まぐれな女だ、そのうちこの件も忘れるだろう。

 

そう自分の中で締めくくった。

 

 

 

 

俺たちの結婚がきっかけで、陰気で湿った目を持つ、美貌の少年...チャンミンと出逢った。

 

チャンミンに会いたくなった。

 

Bが浴びるシャワーの音を確認し、洗面台に置きっぱなしにしてあったスマホを手に取った。

 

「チャンミン?」

 

『...義兄さん?』

 

電話に出たチャンミンの口調が、意外そうなものだったのも当然だ。

 

俺からチャンミンへ電話をかけるのは、非常に稀なことだったからだ。

 

「今から、こっちに来られるか?」

 

『あの...すみません。

...今、学校です』

 

ひそひそ声に、「そうだろうね」と、非常識な時間にかけてしまったことに思い至る。

 

「これだから、自由業は駄目だな。

曜日感覚が抜けていたよ...ははは。

電話に出て、大丈夫なのか?」

 

『休み時間です。

...義兄さん?

どうかしたんですか?』

 

「チャンミンの絵を描きたくなって...」

 

『さすが義兄さんは芸術家ですね』

 

俺は『芸術家』でも何でもないよ。

 

お前を前にした俺は『芸術家』なんかじゃない。

 

恋に溺れた30男に過ぎないんだ。

 

お前をモデルに描いたあの絵はもう、芸術作品の性質を失いつつある。

 

「急に電話して悪かった。

じゃあ...週末に...」

 

『待って!

行きます、今から行きます』

 

「学校は?」

 

『大丈夫です。

今すぐ行きますから』

 

「待ってる」

 

高校生に学校をサボらせて呼びつける俺は、どうかしている。

 

実は、それくらいBの発言に動揺していたのだ。

 

 

 

 

チャンミンを待つ間、スキャニングした手描きの線画に、PCディスプレイ上で色付けする作業に没頭していた。

 

X氏のカフェの仕事が好評で、多方面から仕事が舞い込んだ。

 

Bへ言い訳した「忙しい」も、あながち嘘ではないのだ。

 

一息つこうとアトリエへ行き、イーゼルに掛かったままのチャンミンの絵の正面に立つ。

 

第3者の目でそれを眺めた。

 

キャンバスの中でチャンミンが、艶やかで不敵な微かな笑みを浮かべて、俺を見つめ返している。

 

コレはいけない。

 

人に見せられるものじゃない。

 

描き始めの当初は浅黒い肌をしていたのに、今じゃ桃色に肌を染め、引き結んでいたはずの唇は、半開きになり濡れて光ってた。

 

情事の後の脱力した気だるげさと、湿った濃い空気を漂わせている。

 

誰にも見せたくない。

 

「はあ...」

 

俺は嘆息し、キャンバスをイーゼルから下ろし、アトリエ奥に裏返しに置いた。

 

出品予定の展覧会の趣旨から外れ過ぎている。

 

「駄目...か...」

 

その直後、チャイムの音に俺ははじかれるように玄関ドアへ走る。

 

昨日会ったばかりなのに、まだ足りないんだ。

 

チャンミンへの想いを深く分析し過ぎて、難しく考え過ぎていた。

 

チャンミンが囁いた数えきれない「好き」に答えずにいたのも、理詰めで導かれる答えを探っていたからだ。

 

もうそんなことは、どうでもよくなった。

 

求められたら、何倍にもして求め返す。

 

俺はチャンミンに恋をしている。

 

開けたドアの向こうに、無表情のチャンミンが立っていた。

 

ところが、俺の顔を見た途端、不安で揺れた眼がぱっと輝いた。

 

そんな顔を見せられたりしたら...。

 

吸った息を吐くのも忘れてしまうくらい、感激していた。

 

 

 

(つづく)

 

 

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