~ユノ33歳~
ずかずかと上がり込んだX氏の背を追った。
両足を抱えて座ったチャンミンは、ガウンに顎までくるまっていた。
例の三白眼で、X氏を睨みつけるように見上げていた。
嫌悪感丸出しな目付きに、見ていてヒヤヒヤした。
X氏は好きになれない類の人物だが、彼の仕事を受注した立場として、チャンミンの態度は褒められたものじゃない。
「Xさんは、相変わらず強引ですねぇ。
佳境にさしかかっていたんです。
こっちが遅れたら、Xさんの方の仕事に支障が出てしまいますよ?」
苛立ちを隠し、抗議の意味をやんわりと込めるだけにした。
本心は、背中を蹴り飛ばして、このアトリエから追い出したかった。
「なんだ...ヌードじゃないのか?」
ガウンの下からズボンの裾が覗いているのを、目ざとく見つけたらしい。
「私だって、ヌードばかり描いているわけじゃありませんよ。
チャンミンは年ごろですし」
チャンミンのすがる視線を受け止め、俺は「安心しろ」といった風に頷いてみせた。
力作過ぎて、誰にも見せられない特別な作品になってしまったとは、絶対に言えない。
俺とチャンミンだけの秘密の作品だ。
キャンバスのこちら側に回り込もうとするX氏に、俺は立ちふさがる。
佳境を迎えているなんて大嘘で、新たに手掛けたそれは未だ下描き段階のものだったから。
「ああっ!」
チャンミンが軽い悲鳴を上げたのは、X氏が突然、隣にどかっと座ったせいだ。
「チャンミン君、って言ったよね?
顔を見せて。
...へぇ...近くで見ると...やっぱり綺麗な顔をしてるね」
X氏の巨躯で、ソファが軋み音を立てた。
「...っ」
「そこまで嫌がらなくていいだろう?
私が怖いのか?
そうだろうねぇ、『オーナーの顔はいかつい』ってスタッフたちに恐れられているからなぁ。
ガハハハハハ!」
「......」
顔を寄せるX氏に、チャンミンは顔を反対側に背けている。
自身の膝を抱える指に力がこもっていた。
「男にしておくのが勿体ないね」
「Xさん!」
チャンミンが穢されるようで、たまらずに俺はX氏の肩に手をかけた。
「この子をからかわないで下さいよ。
内気な子ですから、Xさんのノリについてこられないんです」
俺の手にこもった力に本気を感じたのだろう。
X氏はチャンミンにのしかからんばかりに傾けていた身体を起こし、立ち上がった。
「すまなかった。
ふざけ過ぎたな、ガハハハハハ!」
「そうですよ...全く」
「チャンミン君は、『内気』な子なんだ、へぇ?」
「妻は誰とでもすぐに打ち解けるタイプなんですけどね。
弟のチャンミンは、奥ゆかしい子なんです」
「どうだろうね。
そういう子ほど、年長者の目が届かないところでは、はじけているものなんだ」
「若者に詳しいですね、ははは」
X氏の言葉に、平静を保つのがやっとだった。
チャンミンの両親...姉である俺の妻、その他からの目を盗んで、俺たちがやっていること。
妻帯者、17歳差、未成年、妻の弟、姉の夫、高校生...。
道徳的に真っ黒だ。
「ところで、私に何か要件があったのでは?」
チャンミンから引き離したくて、X氏をオフィスの方へ誘導する。
「ああ。
当初の予定では無かったんだが、店舗の外壁に...」
この男をとっとと、ここから追い出して、怯えたチャンミンを慰めてやらないと、とそのことばかり考えていた。
ビジネスの話を始めれば、X氏は事業家の顔に戻り、半時間ほどで打ち合わせはまとまった。
「来週には内装工事が入るから、それまでにラフ案を2つ3つ、頼むよ」
「承知しました」
先に出た俺は、玄関ドアを押さえ、靴を履くX氏を待つ。
「チャンミン君が心配だよ」
「?」
「ああいう寡黙な子はね、何を考えているか分からない。
大人の目を盗んで、とんでもないことをしていたりするんだ。
綺麗過ぎる顔も心配だ。
『そんな子のはずがない!』って、大人たちを驚かせるようなことをね」
「...チャンミンが?」
「奥さんの弟だ。
兄弟じゃないんだ。
私生活を全部、知っているわけじゃないだろう?
チャンミン君がそうだ、って言ってるわけじゃない。
単なる一般論だ」
エレベーター扉が閉まるまで、X氏を見送った。
「ふう...」
帰り際のX氏の言葉が気になった。
この2人に個人的な付き合いがあるはずないが...。
意味ありげなX氏の目線と、異常なまでに嫌悪感を見せるチャンミン。
X氏は色事に奔放な人物だが、好みの子に見境なく近づくような馬鹿じゃない。
俺の知らない何かを、X氏は知っているのだろうか。
(つづく)
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