~ユノ34歳~
入浴を終えたチャンミンの髪はびしょ濡れで、見かねた俺はタオルで包んでやった。
俺に頭を預けて、小さな子供みたいにじっとしているチャンミンが愛おしい。
アトリエでシャワーを浴びていくこともしょっちゅうだったから、湯上りのチャンミンは珍しい姿じゃない。
それなのに、じぃっと見入ってしまったわけは、ゆったりとしたTシャツとスウェットパンツといった寛いだ格好が、なんていうか、そう...普通っぽくて。
チャンミンの日常を垣間見れたみたいで、嬉しかったのだ。
タオルドライ後のボサボサ頭のチャンミンは、ワゴンに並んだ料理に目を輝かせた。
「2人分にしては多くないですか?」
「育ち盛りの高校生がいるからね」
今の台詞もそうだが、夕方のエレベーター内で「子供みたいだ」とからかったことも、チャンミンが17歳であることを強調するようなことばかり口にしているみたいだ。
なぜだかは、分からないけれど。
気をきかせたチャンミンは、冷蔵庫から取り出したビールを掲げて俺の方を窺っている。
「酒はいいや。
水か炭酸水がいい」
「あれ...?
お酒を飲まないのですか?」
「毎晩、飲みに連れ回されていて、肝臓がヘトヘトだ。
...じゃないよ。
今夜は素面でいたい」
意味ありげに笑ってみせて後、俺は真顔を作ってチャンミンを見る。
「...意地悪ですね」
俺が何を匂わせているのかを悟ったのだ。
入浴後の火照った顔をもっと赤くさせて、チャンミンはぷいっと横を向いてしまった。
「ほらほら、食べよう。
夜は長い」
ベッドサイドの時計をちらりと確認すると、まだ21時。
時間はたっぷりとある。
・
チャンミンが入浴中、俺は考えていた。
俺とチャンミンとのことを考えていた。
3週間に及ぶ会期中のこの2週間、息つく間もなく忙しかった。
会場設営、大勢の前でのスピーチ、パネルディスカッション、美術雑誌その他の取材、招待客との歓談、毎夜のように酒場に連れ回されて...残すは閉会セレモニーだけだ。
セレモニーの後のパーティにはBが参列する。
Bとは2週間の間に数度、電話で簡単な近況報告をしたくらいだ。
世間一般的に言って、これが多いのか少ないのわからない。
海外に行くから1週間留守にするとか、Bは話していた。
(どうせ買い物旅行だろう。Bとチャンミンは姉弟なのに、物欲という点では正反対だ)
子供が欲しいと言い出されたのは、何か月か前のことだった。
チャンミンと肉体的な関係が始まった頃で、どうしても妻Bを抱く気がおきなくて、誘われても何かと理由をつけてかわしていた。
Bの言動はその場限りの思いつきのものが大半だから、放っておけばその気もフェードアウトするだろうと、その話題には一切触れずにいた。
幸いにして予想通りになって、俺は胸を撫でおろしたんだった。
Bとの間に子をもうける図が全く浮かんでこなかったことと、チャンミンとの関係にのめり込みかけていた頃で、物事を複雑にしたくなかったことの2つが、Bの発言に同意できなかった理由だ。
Bのことが大事じゃないという意味じゃない。
彼女には彼女のいいところがあって、そこに俺は惹かれて結婚するに至った。
彼女への愛情が冷めた、というよりも、チャンミンへ注ぐ愛情が圧倒してきたと言う方が正確だ。
チャンミンとのことがなくても、彼女と共に生きていくことについて考え直す必要はあるかもしれない。
もし...。
俺とチャンミンとのことを知った時、Bはどんな反応を見せるだろう?
...火を見るよりも明らかだ。
俺はいいさ。
他人に戻るだけだ。
心配なのはチャンミンの方だ。
Bとチャンミンは姉弟だ。
先日チャンミンが指摘したように、俺たちの関係を知った時、チャンミンはさんざんな言葉をぶつけられ、家に居られなくなるかもしれない。
どれだけ非難されても俺は構わない。
チャンミンの場合は、家族が絡んでいる。
加えて男相手で、周囲の拒否感が大きいことは必至だ。
チャンミンが妻Bの弟じゃなく、全くの他人だったらどんなによかったことか...。
でも、Bの弟だったからこそ、俺はチャンミンと出逢えた。
とは言え、永遠に隠し通せることじゃない。
隠し通せない訳は、こそこそと会い続ける関係は御免だと俺が考えているからだ。
俺たちの関係を隠す必要がない状況でいたい。
今は無理でも近い将来には。
チャンミンの「別れないでください」には頷いてやったけど、守り通すつもりはない。
あの時のチャンミンの切羽詰まった表情に、俺は頷いてやるしかなかったのだ。
俺たちの関係がこの後ずっと続く保証はない。
先のことは分からない。
でも今の俺は、17歳の高校生に真剣に惚れている。
結婚している身でありながら、チャンミンとの関係を守りたいのだ。
チャンミンが高校を卒業する頃には...俺たちは自由になれるだろうか。
それから...チャンミンの立場を守る意味でも、今後言動には慎重にならないと。
X氏はあんな風だが、社会的には成功者だ、自分の首を絞めかねない軽々しい行動はとらないだろう。
...などと、つらつらと考えていたのだ。
・
ワゴンの上の料理はほとんどチャンミンが平らげた。
あまりにも美味しそうに食べるからついつい見入ってしまい、チキンにかぶりついた瞬間のチャンミンと目が合うと、俺を睨んでみせる。
でもその目は笑っていて、俺もつられて笑顔になる。
旺盛な食欲のわりには、やせっぽちな身体。
...そうでもなくなってきたか。
出会った頃は鳥がらのような肉付きだったのが、この1年の間にぐんと背が伸び、男らしい筋肉質なものに変わってきた。
そんな身体が、俺に抱かれている間は女のようにぐにゃりと柔らかいものになり、快感に酔ってのけぞった喉はしなやかな曲線を描くのだ。
Bにもさせたことのない恰好をさせた。
仰向けになったチャンミンの両膝が肩に付くまで落として、俺は真下へ攻めに攻めた。
どこまで俺の欲についてこられるか、試してみるかのような行為だった。
チャンミンとの行為を通して、何を確かめようとしているのだろう?
...きっと、俺の中にくすぶり続けている疑念を晴らしたいんだ。
どんな体位も応じられる柔らかい関節は、俺との経験で作られたものなのか?
感度の良すぎる肌と粘膜。
チャンミンは俺以外の誰かと関係を持っている。
これは確信だ。
チャンミンを壊しかけないような抱き方をしてしまうのも、この疑念のせいなのだ。
過去のものなのか、現在進行形のものなのかは、男との行為はチャンミンが初めてだから判断がつかない。
チャンミンに色気が増してきたから、俺に巣食う疑念の存在感が増してきた。
チャンミンと身体の関係を持っているから、どうしてもそういう目で見てしまうせいもあるが...綺麗な顔から伸びる長い首...男でも女でもない不思議な色気だ。
X氏が目をつけても、仕方がないか。
一度X氏には釘を刺しておいた方がいいな。
・
「チャンミン、おいで」
先にソファに腰掛けた俺は、隣の座面をぽんぽんと叩いた。
食事の後、いそいそとワゴンの上を片付けようとしたり、テレビを付けようとするチャンミンを制した。
この後に行われることを意識し出したのか、チャンミンは落ち着きがなかった。
照明も絞ったから余計に、挙動がおかしくなったチャンミンが可笑しかった。
二人だけの空間でゆっくりと食事をとったことも、それぞれの家へ帰る必要がない状況も、初めてだった。
誰にも邪魔されない時と場所。
俺は今、この時、チャンミンに伝えたいことがあった。
俺の隣にちょこんと...大きな身体をしていて、こんな言い方もおかしなものだ...座ったチャンミン。
「チャンミン」
自身の膝頭に視線を落としたままのチャンミンを呼んだ。
「こっちを見て?」
チャンミンはおずおずと、眼差しだけをこちらに向けた。
(つづく)
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