~チャンミン17歳~
「ねぇ、チャンミン」
食後の珈琲を飲んでいる時、姉さんから落ち着いた声音で話しかけられた。
「何?」
「ユノは最近、何か大作にかかりきりになっているのかしら?」
最近の義兄さんは、本業の絵画以外の仕事に追われていたはずだ。
僕をモデルにした作品も、あともう少しのところで中断している。
「作品作りどころじゃないみたいだよ。
デザインの仕事が忙しいんじゃないかな。
いつも義兄さんに会っているわけじゃないから、よく分からないけど...」
義兄さんに会えるのは週に1度、今だって2週間以上ぶりだったのだ。
よかった、嘘をつく必要がなかった、全部本当のことだ。
仕事が忙しくて、姉さんの相手をしていられないのかな、と思った。
「チャンミンにこんなことを質問するのは変ね。
まさか...女の人がいるってこと...ないよね?」
心臓が口から飛び出してしまうんじゃないかって...全身にぶわっと汗が噴き出た。
女の人じゃなくて、義兄さんは『僕』と『不倫』をしているんだよ。
「...僕に聞かれたって困るよ」
動揺を隠そうと、僕はぬるくなったコーヒーを飲み込んだ。
苦いばかりで全然、美味しくない。
「そうよね...ごめんなさい」
「どうしてそんなこと、聞くの?」
姉さんは気づき始めているのだろうか...もしそうなら、まさか相手が僕だとは想像もつかないだろう。
僕が姉さんと顔を合わせることはほとんどないから、僕の行動からボロが出たのではないと思う。
となると...義兄さんの行動から怪しいと思わせる気配があったのかもしれない。
慎重派に見える義兄さんなのに意外だな...。
「おかしなところがあったの、義兄さんに?」
探りを入れることにした。
姉さんはコーヒーカップを見、イヤリングに触れ、窓の外を眺め、コーヒーカップに口をつけた。
僕は固唾をのんで、姉さんが話し出すのを辛抱強く待った。
「私って、あちこち旅行に行ったり好き勝手しているって、チャンミンは思っているでしょう?」
その通りだったけど、「全然」と首を振った。
「結婚して1年かそこらなのよ。
お互いのやることに干渉しない。
ユノはいわゆるアーティストだから、会社勤めしている普通の男の人とは違うと思ってた。
でも、ユノはアーティストなのにアーティストっぽくないの。
気配りも出来て、規則正しくて...」
「ふっ...。
のろけてる?」
動揺を隠したくて、いかにも『弟』が言いそうな台詞を発した。
「...ごめんなさい、話が反れたわね。
私たちは好きなことは自由にやっていい。
そのことに口出ししない。
2人でなんとなく決めていたスタイルだったけど...結婚している意味はあるのかしら、って」
義兄さんと姉さんがどんな夫婦生活を送っているのか、想像もしなかった。
僕といる時の義兄さんの姿が本来の義兄さんで、それ以外の、仕事の顔やアトリエを出て帰宅した後の義兄さんの顔なんて知りたくもなかった。
でも、こうして義兄さんの奥さん...姉さんを前にしてしまったら、具体的に想像を巡らしてしまうのを止められない。
「ただいま」と言って玄関ドアを開ける義兄さん、湯上りでラフな格好をした義兄さん、あくびをした寝起きの義兄さん...そして、姉さんを抱くときの義兄さん。
僕が知らないことばかり、目にすることができないことばかり。
そう言えば、義兄さんは姉さんの話をほとんどしない。
たまに、姉さんからの電話に出て話をしていることもあって、通話を切った後、僕に対してすまなさそうな表情をするのだ。
義兄さんは姉さんと結婚していることを申し訳ないと思っているんだ...僕は嬉しかった。
姉さんから誕生日プレゼントで贈られたブレスレットも、僕と居る時は外してくれている。
...そのブレスレットは僕が盗み出していた。
悪いことをしている意識はゼロだった。
僕の目につく場所に置いておいた義兄さんが悪いんだ。
ところがその後...義兄さんを驚かせようと不意打ちに、学校帰りにアトリエを訪れた日のことだ。
あのブレスレットが義兄さんの手首を飾っていた。
心臓が喉から飛び出るかと思った。
動揺を悟られないよう、「テスト勉強をしないと!」と言い訳して、アトリエを後にした。
大慌てで帰宅した僕は、クローゼットの引き出しの奥、タオルに包んでおいたそれを目にして身体じゅう熱くなった。
最初は意味が分からなかった。
僕が盗み出したはずのブレスレットが、どうして再び義兄さんの手首にあるのか。
失くなったと気付いた時、義兄さんはどう思っただろう。
焦っただろうな。
まさか僕が盗んだとは、義兄さんは疑いもしなかっただろう。
「奥さん」からのバースデープレゼントを早々と失くしてしまったことを、姉さんにバレるわけにはいかない。
だから、慌てて同じものを買ったんだ。
失くしてしまったと知ったら姉さんが悲しむ。
義兄さんは姉さんを悲しませたくなくて、同じものを買って誤魔化そうとした。
義兄さんは姉さんが大事。
これまでの僕は、義兄さんのことが好きで好きでたまらなくて、自分にとって都合が悪いこの考えはなかったことにしていた。
心の奥底に押し込んでいたこの件を、思い出してしまった。
...義兄さんは結婚している。
「別れないで」と頼んだ僕のかつての台詞を後悔した。
・
「ごめんね。
ほとんど会わない姉から、重い話をされて。
男の人の心理を、高校生に尋ねてもチャンミンが困るだけよね」
「...別に、困らないよ」
義兄さんの何を見て『他に女の人がいるのかしら?』と疑惑をもったのかについて、続きの話は聞けなかった。
弟にする話じゃないと、思い直したのだと思う。
姉さんを心配する振りをして、追求してもよかったのだけれども、怖くてできなかった。
「疲れたから、夕方まで部屋で休むわ。
チャンミンは、どうするの?」
「特に見たいものもないし...その辺をぶらついてるよ」
「そうね。
おこずかいは足りてる?」
僕は首を縦に振った。
「お先」
席を立った姉さんは、僕に片手を上げレストランを出て行った。
僕はその後ろ姿...きゅっと締まったウエスト、形のよい脚など...を見送った。
姉さんの隣に義兄さんが立ち、彼女の腰を抱く光景を想像してしまった。
義兄さんの腕の中にすっぽりとおさまってしまう小柄な姉さん。
これ以上後ろ姿を見ていられなくなり、食べかけの朝食が残った皿にとりかかった。
食べたばかりの朝食が、消化不良をおこしそうだった。
・
苦しい。
義兄さんに恋をするのは、苦しい。
行き止まりの恋。
これがクラスの女子だったら、どれだけ楽なんだろう。
でも、義兄さんを好きな気持ちはどうすることもできない。
(つづく)
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